奪われていく
それからしばらく、事後ケアを称した梶井による川瀬 町子の監視は続けられていた。
(何をさせたいんだか、安居さんは)
監視の意味や詳細などは、おいおい説明があるのだと思っていたが、それもまだない。
(そんなに公安の監視が厳しいんかな)
その時、気がついた。
(もしかしたら、川瀬さんの監視じゃなく、警護的な? 川瀬さんも、マークされてんのか?)
川瀬とは何度か面談を重ねているが、相変わらず無表情で、しかもあれからは川瀬が泣く場面に遭遇することもなかった。
淡々と梶井の質問に答えているし、アンケートもきちんと記入され、梶井が進言する生活習慣のアドバイスも耳に入れている。
梶井は今、当たり障りのないことしか訊くことができない。それをもどかしく思う。
タイムリープのこと、妹の環のこと、デボラシステムのこと。
話したいし、話せばどう思うのかその反応が気になるし、もっと深く打ち解けて話しをしてみたい。
けれど、その話を進めていけば、水無の話へと行き着いてしまうだろうし、双子の妹は死んだと思っているわけだから、それを暴露して混乱させることはできないのだと、考えを改める。
もし川瀬が公安からマークされているのだとしたら、直ぐにαウォッチのバイタル関係で異常が知られて、それこそ由々しき事態に陥ってしまう。
(……綺麗だな。すごく綺麗な顔立ちだ……)
「梶井さん、まっちー彼氏いますよ。ちょっと前から付き合っているんです。それがですねえ、めっちゃ年上彼氏でえ。結構なおじさんなんですよねえ。ちなみに、私は彼氏いませんっ」
不意の小堺の甲高い声で、我に返る。
隣から、小堺が無遠慮に腕を絡めてくる。が、川瀬の同僚看護師だと思うと、無下にはできない。
断れない分、不快感で胸が一杯になる。
(……彼氏、)
もやもやと得体の知れない何かが侵食してきて、梶井の心臓を絞り上げていく。
その痛みに顔をしかめながら、梶井は言った。
「そうですか、知りませんでした」
腕をやんわりと引き抜くと、トイレへと席を立った川瀬を、イライラしながら待った。
(何だよ、彼氏がいるなんて聞いてねえ。そんな話、資料のどこにもなかったっての)
イライラと足を揺する。何度もカップを取り上げては、コーヒーをちびちび飲んだ。
連絡先の交換だとかカラオケや映画の誘いを、理由をつけてはかわしていると、川瀬が小走りで戻ってくるのが見えた。
「お待たせしました。すみません」
ガタガタと音をさせて、イスに座る。
時間がかかった上に、顔色が良くない。その指も微かに震えているような気がした。
梶井は不審に思いながらも、小堺の同席で迂闊な話はできないと焦れる。
「いえ、それでは今回の心エコーとMRIの検査結果の共有に同意したという書類にサインをいただけますか。この検査結果の管理は、病院と健康維持管理局との双方で直接行われます。川瀬さんのお手を煩わすことはありませんので」
「えー、煩わせて貰いたいよねえ」
うるさいなという顔を投げてやろうと思い、顔を上げた瞬間。
カンバセーション室の全面ガラス張りの壁の向こう。そこに、見慣れた猫背の後ろ姿。
正面入り口へと向かって歩いていくのが目に入った。
(何でっ、安居さんっ)
ぐるっと周囲を見渡す。
そこにあるのは、病院の事務局の入り口と、男女のトイレに繋がる共用のエントランス。
目線を落とすと、目の前では川瀬が書類にサインを走らせている。
(……そういうことか)
川瀬の。ペンを握る手が少しだけ、震えている。
耳から滑り落ちる絹糸のような黒髪を、何度も何度も震える手で耳に掛けている。
梶井はその様子を見ていた。
(安居さん、彼女に話したのか?)
ずっと、見ていた。