タイムリープの能力
(何か、ガサガサしてんなあ)
目の前に座る川瀬 町子を前にして、梶井は第一印象をそう評していた。
(看護師さんっていうから、もっと天使みたくキラキラしてるの想像してきたんだけどなあ)
「何ですか、じろじろと。失礼でしょ」
きっ、と睨まれる。
「……すみません」
口では謝りながらも、心では正反対の気持ち。
(ガサガサじゃねえな、これは。トゲトゲ、か)
「本当に、健康維持管理局の方ですか?」
「さっき、パス見せたでしょ」
おっと、いけねえ、そう思って口を噤む。
「偽造かも知れないじゃない」
「じゃあ、電話して確認してくださいよ」
こんな不毛なやり取りをいつまで続けないといけないのかと思うと、一気に興ざめてくる。その呆れ顔が功を奏したのか、相手を黙り込ませることに成功した。
これで説明しやすくなる、か。
梶井はそう踏むと、書類を前に出した。
川瀬の同意は不要とばかりに一方的に話し始める。
「まずお伝えしたいことは、αウォッチから転送されています、あなたの心拍数や血圧などの諸データを分析した結果、不整脈その他諸々の疑いがあることが分かりました。よって、日頃から健康に留意し、その方法をご指導させて頂きたく、私がこちらに伺いました。あなたのかかりつけの病院は、ご勤務されている如月第一病院でよろしいですか?」
「……はい、」
返事にさらなるトゲトゲしさを感じながらも、梶井は先に進んだ。
「では、職場で結構ですから、不整脈の検査を受けることをお勧めします。あとは定期的に私が伺いまして、食事や睡眠の内容などアドバイスをさせていただきたいと思います。この同意書にサインをくだされば完了です」
書類の中から一枚を抜き出し、川瀬の前へと出す。
川瀬はそれを無視して、αウォッチからの転送データの診断結果に目を通し始めた。
(うわー、本当にナイチンゲールか?)
課長室で安居に言われたことを思い出す。
「なあ、梶井。お前に、No.n3826475の事後ケアを任せるわ。久しぶりに働けよ~」
安居が水無の研究センターを訪れてから一ヶ月が過ぎた頃、突然中央センターに引き戻された。辞令が正式に下りて、健康維持管理局へと戻ることになったのだ。
水無のラボではなんの成果もなく、とぼとぼと帰った梶井はこの日、課長室にて戻って初めての仕事を頼まれた。
実はすでに。梶井は水無から、改造したαウォッチを渡されていた。今右手につけているそれは、梶井のバイタルサインの偽造されたデータを送信するものと化しており、梶井が常に平常心で生活しているようにカモフラージュされている。
だが、問題は安居の方だ。
安居がラボから帰還した際、この課長室に盗聴器が仕掛けられたという事実を、蓬莱から直接この耳で聞いていた。
ここでの会話は政府に筒抜けのはずだ。
「……戻ったばっかでもう仕事ですか。はあーあ馬車馬だなあ。社会の歯車だなあ、俺」
いつもの通り、憎まれ口を叩いてみる。
水無の研究所で聞いた話によると、『生き時計管理課』を監視しているのは、政府内にある内部組織、公安部門が担当していると言う。
政府の内部監査を担当する部署。警察内にも同じ公安が存在するが、公安警察とはまた別の類だと言う。
安居が少しだけオーバーに声を上げる。
「いやあそれがさあ。お前がいねえと何かとヤバイってことに気がついたんだよ。特に、ルーイー。あいつマジでひでえな。梶井ぃ、お前よくあんなのフォローできてたな。ほんとすげえわ。梶井くんはデキる子だったんだなあ」
賛辞だかディスだか分からないような言葉をしみじみと投げつけられながらも、手渡された紙には。
『川瀬 町子にはまだ何も知らせてはいない。普段通りの事後ケアでオッケー d(^_^o) よろしくネ』とある。
梶井は安居に紙を返して軽く頷くと、手書きで顔文字て‼︎ と心で突っ込みながら、
「ルーイーのお守りには特別手当が欲しいくらいですよ。ったく給料上げてくださいよー」
と、いつも通りの憎まれ口風な態度を残す。うるせえっという言葉が投げつけられて、その場は終了した。
目の前にちょこんと座り、眉間にしわを寄せて書類を真面目に読んでいる川瀬の姿を盗み見る。
川瀬は実際にはデボラシステムを受けてはいない。
けれど、その事実は安居によって報告書に記載されているはずで、事後ケアの書類も偽造されているはずだった。
(実際、この人健康そのものなんだよな。不整脈て‼︎)
安居から聞いた、川瀬 町子の能力。再度、頭の中で反芻した。
(この人の『生き時計』の巻き戻しは、俺らのところで通常のリワインドに見せかけてはいるけど、実際は本物のタイムリープだかんなあ。能力者なんてマンガでしか見たことねえっつーの。どうやるんだよ、マジすげえな)
初めてこの川瀬の『生き時計』を見た時に気付いた、違和感。
当たり前だったのだ。
時間という概念をもひっくるめて、自分の意思で自由自在に操れるのだから。
川瀬の『生き時計』。そのデジタル数字の動きに、微妙なぎこちなさがあるのは、そこに理由があるのだろう。
しかも蓬莱を除くオペレーターの中の誰一人として、そのことに気づいていなかった。
もちろん蓬莱 要は、川瀬 町子のことを自分より早い段階で、安居から知らされていたのだから除外。
梶井がNo.n3826475の動きがおかしいことに気づいた時。
(あの時、蓬莱が気のせいだろって知らない振りをしたのって、俺がその時点ではまだ安居さん側に組みしていなかったからだろうなあ。……でも、)
梶井はさらに首をかしげた。
(それにしても、どうして俺は気づけたんだ?)
そこで、はっとする。
どうして、俺は気づけたのだ?
梶井は目の前にいる川瀬を、再度見た。
日本人にしては鼻筋の通った高い鼻。長いまつ毛、あごのラインで切り揃えられた、黒髪。
(……妹は、死んだと思っている)
川瀬 町子の妹である環。
デボラとしてその脳だけを生かされている、眠り姫を思い出す時。
その眠った少女の顔をこの目の前の姉に重ねる時。
梶井の心は深く暗い穴の中へと落ちていくような、そんな錯覚に陥るのだった。