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心に響くものは



「じゃあ、まずは僕のことから。僕の右腕の話からしましょう」


大賀は神妙な面持ちでそう言うとワイシャツの袖のボタンを外した。袖を一気にまくりあげる。


細い右手首には、たくさんの傷。それは皮膚が薄いと思われる一箇所に、集中して存在していた。


梶井は、あっと小さく声を上げたものの、すぐにそれが大賀自身による自傷行為だと理解した。


「こう見えて僕は優秀でね。けれどその才能は残念ながら僕の努力などは関係なくて、代々受け継がれたDNAによって成り立っているんだ。君は、ユダヤや華僑といった優秀な民族を知っている?」


「聞いたことはあります」


「多くの天才や富豪を生み出している、才能の宝庫だ。日本から近いところだと台湾にもそういった民族がいる。有名なスポーツ選手やモデル、女優がいるね」


「そういやあ、すげえ美人がいますね」


「実はあまり知られていないけれど、日本にもそういう血筋というか、血統があるんだ。それが、純日本人の血だ」


そこで、梶井が首を傾げる。


「純日本人つっても、もう外国人の血が混ざっちまって、そんなの判断ができねえんじゃ……」


日本人の祖先は大陸から日本列島に渡ってきたと言われているのだから、純血と言っても、もうその時点で怪しいものだ。


「そんなには遡らないんだ。そこまで遡ってしまうと、くくりが煩雑はんざつになるからね。でもまあ、優秀な血統を受け継いできたってだけで、梶井くんが言う通り、本当に純日本人なのかは、怪しいところだよ。

 けれど、そういう少数民族が確かに存在するんだ。日本人の0.00001パーセントにも満たないけれどね。……僕もその一人だよ」


「俺のこの顔じゃ、間違いなく、そこには入っていませんね」


大賀がふっと吹き出して笑った。


そこへ、水無が入ってくる。


「自分では評価しにくいだろうから僕が言うけどね。非常にね、優秀なんだよ。まあ、見れば分かると思うけど、外見も美しいね」


梶井が賛同の頷き。安居がいたらクールビューティーだとかなんとか言って持ち上げるだろう。


「僕たちの常識でいくと、外国人の血が入った方が優性だと思い込んでいる節がある。でもそれはある意味間違いで、純日本人はIQがずば抜けて高いし、見目にも透明な美しさがあるんだ。

 そしてその血族は、ノーベル賞受賞者、オリンピックメダリスト、ミスユニバースなどを排出している」


「なるほど見えてきた」


梶井が返す。


「川瀬姉妹も純血種ってことなんだな」


「うん。そしてその可能性に満ち溢れた、優秀で美麗なその血を絶やさないようにしなければならないというわけだ。政府はそれに躍起になっている」


大賀がふと立ち上がって、コーヒーメーカーの方へと歩いていった。

が、水無が続ける。


「だからこその、このデボラシステムなんだ。貴重な血統を絶やしてはいけない、無論それを自死なんかで失うことはできない。

 絶滅から救えなかった、日本オオカミや日本産のトキの二の舞を演じないように、と。そういう理論で始まったんだよ」


「でも、今みたいに全国民を対象にしなくても……その純血種ってのだけを助けりゃいいわけだし」


「もちろん政府も最初はそのつもりだったはずなんだ。デボラシステムの開発だけで、莫大な費用を使い込んでいたから、手広くやるとは思いもしていなかったんだと思う。

 僕は初期からこのプロジェクトに参加しているから分かるけれど、国家予算でまかなえる額じゃないんだ。

 だから天才と言われた双子の妹、川瀬 環と、僕。才能は揃っていてもそれを活かせる金がない状態が続いていた」


大賀が運んできた紙コップをそっと梶井や水無の前に置いた。コーヒーの香りがふわりと漂ってくる。そして大賀は静かにイスに座った。


水無は構わず先へと進めていく。


「それでも、僕たちはデボラシステムの研究を細々と続けていた。その時点で純日本人の対象者リストは手元に用意されていたからね。

 やり方を試行錯誤しながら、純血種のかけがえのない命を救っていた。少なくとも……僕はそう思っていた」


一瞬の間がある。


けれど、直ぐにその口は開かれた。


「けれど、ある日スポンサーがついた。莫大な金を政府の目の前にちらつかせ、日本国民全体にデボラを施して欲しいと言ってきた」


「⁉︎ アルファ・クォーツ社か‼︎」


「そう、今ではαウォッチに関するあらゆる権利権限を政府から任されているね。いわば独占企業だからライバルはいないし、会社の幹部役員の懐に入る金以外は、会社を大きくするためとこのデボラシステムを維持する費用に充てられている」


一気に話して疲れたのか、一度ふうと息を吐いた。


「今のシステムになった所以ゆえんだ」


大賀が左手で紙コップを持った。そうだ。大賀の利き手はもともと・・・・左なのだと言っていた。


「僕の時は、間に合わなかったんですよ」


持った紙コップに口をつけ、コーヒーをひとくち飲む。


「いや、違うんだ。大賀くんの時は、デボラシステムが機能しなかった。彼には効かなかったんだ。ポジティブシンキングに持っていくつもりが、逆に彼を追い込んで煽ってしまったんだ」


水無が苦虫を噛み潰したような顔を見せる。


梶井も紙コップを握る。

けれど、口には運ばなかった。


「大賀くんをデボラでは止められなかったんだ。だから、僕と安居さんが直接、彼の所へ行った。そこで、……」


言葉は一瞬、呑み込まれた。


水無の顔がみるみる青ざめていき、大賀も隣で同じような顔で俯いている。


二人の様子。そこからその場が相当、凄惨せいさんな現場であったことがわかり、梶井は身震いする思いがした。


「大賀くんの家で、僕が救急車を呼んでいる間に、安居さんが彼の救命処置を……」


泣くのかと思った。


二人の目から、涙が流れてもおかしくないと思った。


だが、自分の頬に生温かいものが伝っていくのに気がついて、驚く。二人のそれではなく、自分の目から涙が零れ落ちていた。


水無と大賀が二人同時に顔を上げて、梶井を見る。


そして、水無は席を立って部屋を出ていった。


大賀が後ろの棚からボックスティッシュを取り、梶井の前に差し出す。それから大賀も部屋をするりと出ていった。


梶井はその場で少しの時間、泣いた。手の甲でぐいっと何度も溢れる涙を拭いながら。


水無が部屋から出て行く間際、言った言葉が蘇る。


「その時に僕は初めて、デボラシステムの存在に疑問を抱いた。自殺やうつ病を止めるはずが、それを促進してしまう危険性もはらんでいるなんて、それまでは思いも寄らなかったんだ。前向きな言葉は、時に人を傷つける。『頑張れ』と言われて、百人が百人、それを前向きに捉えるとは限らないんだ」


そして、梶井をしっかりと見すえて言った。


「そこでようやく僕は気がついたんだよ。それは安居さんが言う、他人が踏み込んではいけない領域なのではないか、ってね」


頭の中で、ぐるぐると回り始める言葉たち。


梶井は大賀が置いていった箱からティッシュを一枚引き抜くと、盛大に鼻をかんだ。


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