表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/49

空虚な心を抱えて



「つい先ほどお亡くなりになりました。お悔やみを申し上げます」


今までに何度、この言葉を口にしてきただろうと、川瀬かわせ 町子まちこは思った。



最初、込み上げてくるのは悲しみだった。


けれど。

それを今までに何度も繰り返してくるうちに。

麻痺していった、心と感覚。


込み上げてくるものはいつしか、虚しさへと変わっていった。


看護師を代表し、主治医の隣に立つ。


「家族の死に目に、仕事優先だなんて。世も末ねえ」


後ろの方で立つ看護師の中で、ひそひそと声がする。


その声を、家族と思しき二人の女性の嗚咽が、うるさいとばかりに掻き消していく。


一人は数時間前に電話連絡した老齢の女性患者の実の娘。

もう一人は息子の嫁だ。


二人の涙声は次第に大仰になり、部屋中に響き渡った。


「お、お母さん……長い間よく頑張ったね。お母さん目を開けて。お母さん……うわあぁぁっ、」

「……安らかに眠ってくださいね、お義母さん、……うぅ」


仕事なんてほっておいて、意識があるうちに来てくれたら良かったのに。

心の中で独りごちた。


しかも息子。

この後に及んでも、仕事の定時が六時だ何だと言い張って、いまだに姿を見せていない。


狂ってる。人の死とはそんなにちっぽけなものなのか。




こうして。毎週のように患者の死を虚しく看取る。


冷めた家族に看取られることもなく逝く人もいれば、たくさんの家族に手を握られながら逝く人もいる。


(けれどどの死を前にしても……)


川瀬の中にはぽっかりとあいた空虚しかない。

そしてそこには何も響かなかったし、響いてこなかった。



たまきが生きていれば……何か違ったのかもしれないな)


亡き、双子の妹を思い出す。


幼くして死んだ妹。その死を考える時、それが今の空っぽな自分を作り上げた要因のように思えて仕方がない。


あの時の絶望感と無力な自分といったら。何もできなかった自分がひどく悔しく思えてくる。


妹の死に感じるところがあって看護師になったのには、間違いない。


けれど、こうした患者の看取りこそ、そこに涙や虚しさ以外は何もないのだ。



そんな自分が看護師という職業には向いてないのではと思う。


(辞めた方が、……良いのかも知れない)


ベッドに横たえられた老人の顔。眠っているように安らかだ。



ふと。


老人の手元を見る。

さっきまで、老人が握りしめていたクマのキーホルダーが、持ち主を失ってころんと転がり落ちていた。


川瀬がこの患者の世話をする時に、孫には甘いおばあちゃんの顔を見せながら、孫娘に貰ったのだと嬉しそうに見せてくれたものだ。


亡くなる直前に、このキーホルダーを取ってくれと言われ、テレビ台の上に乗っていたものを手に握らせてあげた。


そっとキーホルダーを老人の手の中に入れる。けれど、永遠に失われた力のない手からは、ころんと転がり落ちてしまう。


(もう一度、……もう一度握らせてあげたい)


川瀬は目を閉じた。


そして、頭の中で願った。


三十分ほど前でいい。


戻れ・・』と。


すると一瞬、ふわりとした浮遊感を感じる。


目を開ける。


横たわった老人は、細く浅く呼吸を繰り返している。川瀬はほっと息を吐く。息を引き取る寸前にまで、戻れた・・・


先ほどまで大声で泣き叫んでいた家族の姿は消え、看護師の配置が、がらりと変わる。


そしてチラッと腕時計を見ると、その時計は確かに、三十分前に戻っていた・・・・・・・・・・


そっと。老人の手にキーホルダーを握らす。

皺だらけの細い指に、ぐっと力が入った。


(お孫さんと、……どうぞ、お幸せに)


キーホルダーは握られたまま、次第にその動きを止めていった。


実は、些事にこの力を使わないようきつく言い含められていた。けれど、約束した十分以内・・・・・・・・という、規定枠は守った・・・・・・・


少しだけ救われたような気がした。

この行為が何の意味も持たないことは重々承知している。


けれどそれは、虚しさの中の小さな小さな満足だった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点]  水無教授、そして川瀬町子の再登場。  時間の巻き戻し。  その物語が徐々に核心に近づいている予感がします。  三千さん、いつもながら時間を操って書くのが上手ですね。  そして。  場面転…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ