監視する側から監視される側へ
「お前さあ、この仕事何年になる?」
生ビールの最後の一滴まで飲み干して、空のジョッキをテーブルの上に置く。
安居は片手を上げて追加の生中をジェスチャーで注文した。
「6年……ですかね」
梶井はツマミの枝豆を口に放り込むと、その皮を皿の上に行儀よく並べていく。
久しぶりの飲み。さっきからがっつりメニューを凝視している。
「俺はねえ、12年~」
「はあ、」
はずした視線をまたメニューに戻す。
ただ。安居が何かを話したいのか、いまだ判断がつかないでいた。
(こりゃあもっと飲ませた方がいいのか?)
表情はだらしなく崩すが、自分の内面は決して人には見せない。自分の考えや意見の出しどころを心得ている。
それが安居という人間だ。
そして自分の考えや意見を惜しげもなく放出する時。
合理的であり、柔軟でもあり、とにかく全てにおいてバランスがいい意見を出してくる。
しかも、それがさも当たり前のように、「え? なんでやらねえの? 俺、おかしいこと言ってる?」という具合だ。
そして、意外と冷徹な部分もある。
上層部に一目置かれているのはその優秀さも言わずもがなだが、下手に手を出すと、刃物のようにスパッとやられることを知っているからだ。
(確かに安居さん、言うことシンプルだし、説得力あるからなあ)
梶井ももう一杯ビールを頼みつつ、安居の出方を伺う。
すると、突然。
安居の表情がいつになく真剣なものになった。
(来るか?)
いよいよかと構えると、
「実はな俺……彼女に振られちまってよう」
「⁉︎ ちょっ、……え⁇ ……って、えぇ⁉︎」
テーブルの端に上半身の重心を預けていたヒジが、ガクッと滑ってしまうというテッパンをやってのける。
「……そっすか。それはおめでとうございます」
梶井は呆れ顔で、枝豆を口に放り込んでから、また皮を並べ始める。
「なあ聞いてよ梶井ぃ。彼女がさあ、俺の言うことちっとも聞いてくんねえの。こういうのって相性なんかなあ。なんでこうなっちゃうの⁇ って、いーーーっつも思っててえ。なあ、お前はどうよ。彼女いんだっけか?」
梶井は皮を並べる手を止めた。
顔を上げると。
安居は口では愚痴たれながら、箸袋を広げた紙に胸ポケットのボールペンで、さらさらと何かを書いている。
相変わらず器用なことしてんなあとそれを横目で見ながら、梶井も話に乗る。
「ここ2年はいませんよ」
「そっかあ、顔だけはイケメンくんのくせに虚しい人生を送ってんだな。まあ、振られた俺も同類だけどよ」
安居が箸袋を差し出してきた。
探るような目。
差し出された箸袋を手前に手繰り寄せて読む。
そこに踊る文字。
目を見開いた。
無意識に唾を飲んだのか、ゴクと喉が鳴ったが、梶井は気づかなかった。
「……別に。彼女とか面倒なだけなんで」
「そうなんだよ、色々と考えるの面倒なんだよなあ。ずっと付き合ってるとさあ、合う合わないってのが出てくるだろ。考え方の根本っていうの? そういうのが食い違ってきて、本当にこれで良いのかってことになるんだよ。お前は? どうだ?」
梶井は手元の箸袋に、視線が釘付けになったままだ。
『ミツバチ』
親切なことに、ハチミツの壺のイラスト付き。
プーさんか⁉︎ と心で突っ込みながらも、この時点でようやく、安居が何を言いたいのかが理解できた。
これは少なくとも、安居の元彼女の名前ではない。
『ミツバチ(蜜蜂)』は、ヘブライ語では『デボラ』。
つまり今、梶井らがリワインドへの働きかけに使っている『デボラシステム』について、安居がなんらかの含みを持っているという意味だ。
(……こんな居酒屋でも、軽々しく口に出せねえってことなのか?)
『デボラ』という主語を濁さなければいけない理由も、薄々だが分かっていた。
そしてこの安居の態度で確信することとなる。
我々『生き時計管理課』のオペレーターが、「常に見られている」ということ。
さすがに盗聴盗撮なぞはされていないだろうが、 なんらかの形で監視されているのには間違いないようだ。
たぶんそれは、手首に装着されたこのαウォッチがひと役買っているのだろう。
もちろん自分たちも『生き時計』としてデボラシステムで利用しているのだから、これはもう考えるまでもなく、決定打と言っていい。
脳波や血圧、心臓の鼓動から緊張し興奮し、そして例えば無理にも冷静さを取り繕ったりする心理状態などを、バイタルを使って絶えず「監視する」ことぐらいはできる。
その仕組みは、嘘発見機に近からず遠からずだ。
「そりゃ付き合ってる間は色々あるでしょ……」
実はその噂。梶井らオペレーターの間では前々からあった。
「それってホント? ねえルイ、教えてヨー。もしかして査定に響く……ハオーワタシ、そいえば給料下がってたあ。これ彼電バレてる⁇ ねえ、バレてるの⁇」
普段から仕事をサボっているルーイー=リャンなんかはこんな風にいつも騒ぎ立てているのだ。
安居の意図を理解する。
手の中に隠してあった箸袋をくしゃりと握り潰すと、梶井は安居を見た。
ある程度は酔っているはずの、安居の表情は暗く翳っていて、いつもはだらしない切れ長の目が、今夜はことさらに鋭く光っているようにも見える。
「……俺も考えますよ」
そして梶井は、枝豆を口へと放り込むと、皮を規則正しく並べ直してから言った。
「こいつと本当に結婚できんのか、ってね」
安居は、あっはっはと笑い出すと、
「俺と一緒で、お前も一生結婚できねえわ」
「最悪っすね」
そう梶井が返すと、安居はさらに笑いながら言った。
「あとさあ、お前。枝豆の皮並べんの、やめてくんない? めっちゃイライラするわー」