ベニバナ
電車に一人の美しい女性が乗り込んだ。
彼女は黄色いブラウスを身にまとい、赤いスカートを履いており、両手には腰の高さほどの大きさのジュラルミンケースが握られていた。
端っこの席が空いていたため、彼女はそこに座った。ふっと一息つくと駅の売店で買った新聞を読み出す。最近の経済状況や知り合いの女優の整形疑惑が発覚したなどの内容を読みながらふと、窓を見る。
「酷い顔……」
小さくそう呟いた。
「○○駅~○○駅~」
目的の駅に到着したため、彼女はそこで降りた。改札を出ると強い日差しが彼女を照らす。手でその日差しから目を守っていると男が近づいてきた。
「ベニバナ様でございましょうか?」
黒いスーツを身にまとった男はそう彼女……クルクマに問いかけると彼女は頷いた。
「ええ、私はベニバナでございます」
彼女はジェラルミンケースを置くと頭を下げた。
「ようこそベニバナ様。ここから屋敷までは私が送らせていただきます」
男はそう言ってからベニバナのジェラルミンケースを持とうとする。
「お持ちしましょう」
「いえ、結構です。これは私の仕事道具であり、コレクションなので……」
彼女は男の申し入れにそう断ると男は少し怪訝そうにしながらも彼女の言葉に従い、案内するのみにとどめた。
男の案内を受けてベニバナは重いジュラルミンケースを持ちながら歩く。やがて彼女の前に大きな門がある屋敷が見えた。
「ここが高坂様のお屋敷でございます」
「大きなお屋敷ですね」
「くみ……ご主人様はこの地域の地主でございますので……さあこちらへ」
男はインターホンに言葉を述べ、門を開かせるとベニバナを招き入れる。
「失礼致します」
ベニバナは門をくぐり屋敷の中に入っていった。長い廊下を歩いていく。
「既にあの人は来てますか?」
「ゲッケイジュ様ですね。来られています」
「そうですか」
男の言葉に頷いたところで扉の前についた。男が扉を開くとそこに数人の男たちがいた。そして、その傍らには……
「よお、やっと来たか」
そこで茶色のコートを身にまとった男が手を振ったため、ベニバナはそちらに目を向ける。
「先に来ていたのですね。ゲッケイジュ」
「おうよ。遅かったなあ」
ヘラヘラしながら言うゲッケイジュに彼女はため息をつきながら彼の傍らに座った。
「この度はよく参ってくださった」
複数の男が後ろに控えている白い髭を生やした男が声をかけてくる。
「わしが一堂組、組長・一堂忠相だ」
「私はベニバナと申します」
「うむ、既にゲッケイジュ殿より名前は伺っておる。楽にされよ」
その言葉に彼女は少し頭を下げる。
「では、お仕事のお話と行きましょうかねぇ」
ゲッケイジュがそう切り出すと一堂は頷き、傍らに目を向ける。目の先には白い布を株された人物が寝かされていた。
そこに一堂の部下と思われる男たちが近づき、白い布を丁寧に取った。その白い布の下には眉をひそめたくなるほどの多くの暴行、傷の後が残されており、原形を留めていなかった。
「わしの孫の中で一番幼少の亮と言う……」
一堂は声を震わせながらそう言う。
「ご冥福をお祈りします」
「感謝する」
ベニバナの言葉に一堂は目に手を当てる。
「さて、そのお孫様のお顔をどうにかして欲しいというお話でしたが……」
そう切り出すゲッケイジュにベニバナは目を細める。
「そうだ」
一方、一堂はあまり気にしたようでなく頷く。
「わしらの組と昔から対立している組に嵯峨組というのがある。その嵯峨組と最近、縄張り争いがあってな。わしらはその縄張り争いに勝った」
「なるほど……それで報復されたと?」
ゲッケイジュの言葉に一堂は頷く。
「大抵は勝敗を喫した後、手打ちまでの話し合いへと移行するのだが、その前に報復が行われてこの結果さ」
一堂は悔しそうな悲しそうな表情をしながらもはや声を発することのない孫を見る。
「このような家業だ。やられても仕方ねぇ。全ては因果応報ってやつさ。でもなあ……でもなあ……まだ、十代なんだぜ亮はよおう。それがよう、これほどまでに顔をズタズタにされてしまったんだぜ……わかっているさ……こんな風に思うのはお門違いっていうのはわかっているのさ……それでもよう……」
彼は涙を流す。その姿に彼の部下たちも目を伏せる。
涙を拭った一堂はゲッケイジュとベニバナの方を見て言う。
「せめてよう。死に顔だけでも整えてこいつの葬式を挙げてやりてぇと思ったのさ。そこで伝手を使ってこの顔をどうにかしてもらおうとしたんだが、どいつもこいつもここまで損傷を受けてはとぬかしやがるんだ」
「それで私たちに頼ったのですな」
「そうだ。あんたなら孫の顔を完全に綺麗な死に顔にしてくれるって聞いてな。報酬はしっかり出す。だから孫の……亮の顔を綺麗な死に顔にしてやってくれ……頼む……」
「ええ、もちろんですとも一堂様」
手を叩きゲッケイジュはにこりと笑い、頷く。そしてベニバナの方に顔を向ける。
「さあベニバナ。一堂様の願いを叶えて差し上げなさい」
ベニバナは彼の言葉に横目で答えながら一堂亮の遺体に近づき、ジュラルミンケースを開けた。
「お、おいその中に入っているのをなんだ?」
一堂が驚きの言葉を発する。ジュラルミンケースの中にはたくさんのあまりにもリアルな人面が入っていた。
「これは仮面です」
ゲッケイジュはこの中身の物について説明する。
「私の知り合いにとても手先の器用な者がおりましてな。その者が作ったのがこの仮面たちなのです」
彼はそこまで言ってから小さく「一部は違うけどね……」と呟きながら続ける。
「ご依頼を受けた際、お孫様の写真をお願いさせていただいたと思います。その頂いた写真で作り出したのがこちらの仮面でございます」
彼が指し示したところには確かに一堂亮の顔と瓜二つの仮面があった。その精巧さは不気味さを覚えるほどであった。
「おい、まさかこの仮面を付ければ良いと言い出すんじゃないだろうな?」
「いやいやもちろん。そのようなことなどあろうはずがありません。ここから彼女の力が発揮されるのです」
ゲッケイジュの言葉に一堂は怪訝そうにしながらベニバナを見る。
「医者ってわけではないのだろう」
「ええ一応、偽の免許は持たせてはいますけどねぇ」
おどけるようなゲッケイジュの言葉を背にベニバナは一堂亮の顔に両手で触れる。するとカタっという音が聞こえた。そしてそのまま仮面となった一堂亮の傷だらけの顔を外し、外された一堂亮ののっぺりとした顔が見えた。
ベニバナは外れた一堂亮の傷だらけの仮面を両手で持ち大事そうにジュラルミンケースの空いているスペースに入れた。
「彼女は顔を手で触れると「顔」を「仮面」として外すことができます。因みに「仮面」が外され、目も口も鼻もない状態であっても生きていれば、「仮面」がなくとも呼吸できるし、目も見えるし匂いも嗅ぐことができるんですよ。面白いでしょう。そして、どんな「仮面」でも「顔」として付けることができます。これで面白いのはその「仮面」が目がなければ、見ることができず、口がなければ食べることもできず、これに鼻もなければ匂いを嗅ぐこともできず呼吸もできなくなるのです。実に不思議な力と言えましょう」
ゲッケイジュがベニバナの力を説明する中、ベニバナは精巧に作られた一堂亮の仮面を手に取る。
(私の力はそんないいものじゃないわよ)
自分の力を知られた時、どれだけ多くの者に石を投げられ、殺されかけたか。
「最初は信じられなかったがこのような力があるのとは……」
「信じられないのも無理はありません。彼女はずんべらという妖怪の血を引いているための力だと思われますが、ずんべらはもっとざっくりとした能力なんですけどねぇ」
二人の会話が続く中、ベニバナは精巧に作られた一堂亮の仮面をのっぺりとした一堂亮の顔につけた。
「おお……」
先ほどの傷だらけな顔でなく、まるで生きている頃のような顔をした一堂亮の遺体がそこにはあった。
「おお……亮……」
一堂は孫の遺体に寄り、顔に触れる。触れてみると仮面とは思えない柔らかさを感じた。傷一つ無いまるで生きているような美しい顔がそこにはあった。
「なんと……ああ亮……」
一堂亮の顔を撫でながら一堂は涙を流した。
「なんと感謝すれば良いのか。これで孫も安心して眠れるというものですぞ……」
「いえいえ報酬さえ頂ければ~」
「もちろんですとも」
二人の会話を他所にベニバナはジュラルミンケースを閉じ、片付けを行っていた。そのまま一堂亮を見る。
「私の力は美しさを求める者の欲の力……それでも人の救いとなる力になれる……」
そこまで呟いて彼女は自嘲する。
「くだらない情ね……」
片付け終えたベニバナをゲッケイジュが気づく。
「ベニバナ、もう帰ってもいいよ。今回の仕事料は口座振込でいいかい」
「いいわ」
「あと、次の仕事は三日後に事務所で知らせるよ」
「わかったわ。あなたは?」
「この後もビジネスのお話をしなくてはならなくてね」
「そう……」
相変わらず金の亡者のような男である。しかしこの男が仕事を凱旋しなければ、この現代社会で生きていくための糧を得ることはできない。
「ベニバナさんや」
そこで一堂が話しかけてきた。
「あなたの不思議な力のおかげで孫の顔を綺麗なものにすることができた。感謝しますぞ」
彼はそう言って彼女にお礼を言う。
「お力になれたのであれば幸いです」
こんな言葉をもらうだけでも、影の中で生きてきたこんな自分にとっては……
彼女は頭を下げると案内を受けて屋敷を出る。
日差しの暖かさを感じながら駅まで戻り、電車に乗り込む。電車の窓に自分の姿が写る。
「今の顔はちょっといいじゃない」
彼女はそう呟き目を閉じた。
次に降りる駅まではまだ時間がある。少し休むのも悪くはないだろう。