セプテンバー1
ある日の日曜日、みんなでりさのお誕生日を祝っていた。
参加者は梓と麻美と恵そして主役のりさであった。
司会の梓が、
「さあここでプレゼントタイムといきたいと思います」と言うと麻美と恵が拍手をして盛り上げる「プレゼントはなんと麻美と恵と私こと梓からです」
すると麻美が立ち上がり赤く包装された小さな箱を渡した。
「おめでとう。りさ」
「ありがとう麻美。別にプレゼントなんていいのに」と受け取って「開けて良いかな?」
「うん三人で相談して買ったの。きっとりさなら喜んでくれると思って」
りさは包装紙を丁寧にはがして中身は電子辞書であった。
「こんな高価な物をもらって良いの」
「りさには賢明に受験がんばってほしいと思って三人で相談して買ったんだ」
「ありがと」
その後テーブルには四人分のケーキに十八本のろうそくが立てられている。そのほかにも唐揚げやらソーセージやフルーツポンチなどが並べられていた。
部屋を暗くしてケーキに刺されている十八本のろうそくにライターで灯をともし部屋の明かりを消す。そこで司会の梓が、
「さあ今日の主役はりさです。りさろうそくの火を消して」
「うん」
と言って息を思い切り吸い込みろうそくの光を吹き消した。すべてのろうそくの光を消して部屋は真っ暗になった。りさが慌てて立ち上がり電気を付けようとスイッチに手を伸ばそうとすると足場の見えない地面にどこかつまづいてこけてしまった。仕方なく梓が電気の明かりを付けたところ信じられ光景に麻美、梓、恵は唖然とする。
それはりさの顔がケーキに埋もれていたのだ。
りさが顔を上げると顔面クリームだらけのりさに三人は大笑い。
「何よこれ最悪」
一瞬せっかくの誕生日が台無しなんて思ったがりさが三人の笑っている表情を見て幸せを感じてしまった。クリームを拭いながらりさも笑い出す。
ケーキは食べられなくなったがりさの誕生会を祝うために梓、麻美、恵が作ってくれたごちそうで満足であった。
食事も食べ終わり、四人はマリオカートをして楽しんでいる最中に英明塾に一本の電話が鳴り響いた。
「姉さん電話だよ」
とりさが言いかける。
「分かっているって」
梓は立ち上がりゲームを中断してパソコン室にある電話の元へと歩き出す。
「はいもしもし英明塾スタッフの柴田梓です」
『里中ですけど、そちらで大学受験の勉強も教えていると聞いて電話をかけたんですけど』
声からして十代ぐらいの若い男性の声だった。
「はい。大学受験の子も請け負っていますよ」
『そろそろ九月だしラストスパートじゃないですか。集中して勉強に望みたいので電話をしたのですけど』
「構いませんよ。一度見学なさってはどうですか?里中さんでしたっけ」
『本当ですか?』
「いつでも気軽に入らしてください」
『分かりました近日向かいます』
「はい待っています」
『それじゃ』
「はい」
電話を切ってゲーム室に戻りマリオカートの続きを始めようとしたところりさが。
「そろそろお開きだね。私これから勉強があるから」
「良いじゃない今日ぐらいは誕生日を楽しめば」
と梓。
「何悠長なことを言っているの。そろそろラストスパートじゃない」
「そんなことをしたら麻美ちゃんや恵ちゃんに悪いんじゃない?」
そんな二人のやりとりを見ている麻美と恵は、
「そんなことないですよ。麻美はもっとりさにがんばってもらいたいから気にしなくて良いよ」
「そうだよ。私はいつでもりさを応援しているよ」
と言って二人は帰っていった。
日曜日の今日。英明塾は梓とりさだけになった。
「じゃあ姉さん。今日は勉強とことん付き合ってもらうよ。私はいっぱい勉強して中央大学の教育学部に入部するんだから」
「はいはい」
りさが保育園のボランティアに参加したとき子供たちと戯れることが幸せな気分だと言っていた。夢が保育師になったのは良いことだが、いい加減中央に限らずにどこの大学でも良いんじゃないかと嘆息してしまう。
勉強部屋はりさが鉛筆を走らせる音しか聞こえないほど静寂だ。
そんなときである。呼び鈴が鳴った。梓は、
「はーい」
と言って玄関に向かいドアを開けるとジーパンに赤いカッターシャツとラフな格好をした男の子がたっていた。年齢的にりさと同じくらいか?と思わせるような雰囲気を漂わせている。
「あのー、先ほど連絡した里中ですけど、柴田梓さんはいらっしゃいますか?」
「はい私ですけど」
「見学に来ました」
突然来たことに一瞬戸惑ったが梓は、
「丁度今日は受験勉強している女の子がいるから。その子の様子でも見てみる?」
「はい」
目をきらきらと輝かせる里中。
梓は里中をりさが勉強している勉強室に案内する。
中に入りりさは二人が入ってきたことにも気にせずに勉強に集中している。そんなりさに「りさ」と声をかける梓。
「何姉さん。人が集中してやっているときに。集中線が一本ずれちゃったじゃない」と言ってりさの視界に里中が入る。とりあえず「どちら様?」
「紹介するね。あなたと同じ大学受験する子よ。まだ見学の途中だけど」
「里中明です。よろしく」
にっこりと笑って恭しく一例をする。
「あっこちらこそ橘りさです」
「橘さんはどこの大学に受けるつもりなんですか」
それを聞いた梓が、
「君それを聞くのは些か失礼なんじゃない」
「あっすいません」
しょんぼり謝った。そこでりさが、
「中央ですよ。私一流大学に行って、私をバカにしてきた連中を見返すためですよ」
胸を張るりさ。
「そうなんですか?僕もバカにしてきた連中を見返すために一流大学の明治を受けるつもりなんですよ」
「へーすごいですね。お互い頑張ろうね」
と握手を求め手を握り会う二人。
梓は頭が痛いと言わんばかりに「りさ二号」と呟く。
「あのう。柴田さん」
と里中。
「何?」
「ここで今日勉強していって良いですか?」
恐縮そうに頼みごとを申しつける里中。
「別に構わないけど、どうしたの?突然」
「こんなに頑張っている人の前で勉強すると熱が入って負けていられないと気合いが入るからです」
「それは良いことだけど、明治に限らずにどこの大学でも良いんじゃない?」
「絶対に明治です」
「君は明治に行って何をしたいの?」
「学校の先生になりたいです」
胸を張って意気揚々に言う里中。
「もう一度言うよ。確かに明治は優秀だけど、違う大学でも教育学部はあるよ」
優しく言いかけるが里中は、
「いや僕をバカにしてきた連中を見返すのは明治しかないです」
ここで梓は里中とりさに大切な話をするためにいったん二人を注目させる。
「いーい。とにかくりさと里中君。そんなにバカにしてきた連中を見返したいなら、夢を叶えて幸せになって見返していけばいいじゃない。優秀な大学に行っているからって偉いなんて思うなんて一番下等な考え方だと思うよ」
二人の大事な生徒に真摯に訴えかける梓。
「じゃあ姉さんはどうして国立なんかに行けたの?」
「それはうちが貧しいからだよ」
「私はどうあがいたって国立なんかに行けないよ。私は姉さんと違ってはいだらけの人生を送ってきたから中央なんかお前にふさわしくないって言いたいんだろ」
口を尖らせてすねたように梓に言うりさ。
「どうして?そんなこと一言も言ってないじゃん」
りさがすねてしまい何を言って良いのか分からなくなるほど悲しくなる。
「姉さんには分からないよ私の気持ちなんて」
と言って勉強を続けるりさ。
里中は深刻な空気に耐えきれずいたのか部屋から出ようとしたところ梓が、
「里中君どこに行くの勉強するんじゃなかったの」
「今日はもう良いです。とりあえず明日また来て良いですか?」
「もちろんだよ」
笑顔で言いかける梓。
「それじゃあ」
と言って里中は英明塾から去っていった。
梓はりさを一瞥して小説を読もうと広げようとしたところ読む気分にはなれずに「ちょっとトイレ行くから」と言って部屋を出た。
そんなとき階段から下りてきたのは英明塾塾長の豊川先生だった。
「あっ梓ちゃん。誕生会はどうだった?」
「はい。楽しかったです」
気の抜けたような返答をする梓をみて豊川は、
「どうしたの?そんな悩ましげな声を出しちゃって」
「豊川先生には何でもお見通し何ですね。そうです私すごく悩んでいます」
目を閉じる梓。
「差し支えなければ教えてよ。梓ちゃんの悩みを」
梓は豊川先生と共にパソコン室に入った。
梓は豊川にもてなされたコーヒーをすすって豊川の後ろ姿を見つめた。
豊川はいつものようにパソコンで引きこもった生徒にメールでエールを送っているようだ。
「顔に書いてあるよ。りさちゃんのことで悩んでいるって」
顔なんて見ていないのにパソコンを操作しながら言いかける豊川。
「私はあの子には有名な大学にこだわらずにあの子にあった大学に行ってほしいと思っているんですけどね」
「良いんじゃない。りさちゃんがそうしたいと思うならそれに対して勉強を教えてあげても」
「でも私はあの子がそれで傲慢な人間にはなってほしくないのです」
「確かにね。それは僕もその気持ちは分かるよ」
「だったら言ってあげてくれませんか。あの子今までバカにしてきた人たちを見返すために中央大学に入りたいと思っているのです。私は人を見返すなら誰よりも幸せになって見返せば良いと思っているんですけどね。それに今は実力主義になっているから良い大学に行ったからって企業は認める時代でもなくなってきたわけだし」
「確かにそれは言えているけど、とにかく今は彼女が何をしたいかを尊重するべき何じゃない」
「つまり今のままでいろって言いたいのですか?」
「やる気のあることは良いことだよ。それに僕は最近こうも思っているんだけどね。今僕が請け負っている引きこもりの生徒は『やれない』『出来ない』『怖くて出来ない』とか人それぞれ事情はあるけどみんな一歩踏み出す勇気がないんだよね。そんな人たちと比べればりさちゃんは勇気のある子だと思うんだけどね。とにかく彼女を信じてあげれば」
「信じるって何をです?」
と梓が聞くと。豊川は振り返って、
「梓ちゃんは自分の考え方を彼女に押しつけようとしているのだよ。だから押しつけないで彼女のやりたいことを尊重すべきなんじゃない」
ちょっと威圧的な豊川先生のセリフだった。
「私が押しつけている?」
「そう。それこそ僕は邪道だと思うんだけどね。別に彼女は疚しいことはしていないんだから彼女のやりたいようにやらせてあげればいいじゃん」
真摯に訴えかける豊川。
梓の心に一つのわだかまりが生じる。
そんな気持ちのまま勉強部屋で勉強しているりさが心配になり勉強部屋に行くとりさの姿がなかった。
外に出てりさの原付を確かめると原付さえなかったことに黙って帰ってしまったんだと察した。りさは自分のことを嫌いになってしまったんじゃないかと勘ぐり、すっかり落ち込んでしまった。
りさの十八になった誕生日を祝ったことは喜んでくれたが、その後りさの気持ちも分からないで一方的に梓自身の考え方を押しつけたことに罪悪感でいっぱいだった。
梓は帰り道、早速りさに謝ろうと携帯を取り出した瞬間だった。梓の携帯が鳴り出し着信画面を見てみるとりさからだった。すかさず出て、
「はいもしもし」
『もしもし姉さん』
「あっりさ」
『さっきのことで私姉さんに謝らないといけないと思って』
「謝らないといけないのは私だよ。私りさの気持ちも知らないで一方的に自分の考え方を押しつけようとしたんだから」
『確かにそれはムカついたけど、私のために言ったことだから姉さんは悪気はないんだなあって。それに私あんなひねくれたことを言っちゃって私は自分がはずかしくなっちゃったよ』
「そうだな、誰もそんなことを思ってないのにあんな風に思うのはちょっと直した方が良いかもしれないな」
『そうだよね。姉さんはやっぱり私の姉さんだよ。これからもよろしくね』
「こちらこそ。私の妹でいてね」
『じゃあまた明日』
「うん」
電話を切った。
梓はここで思う。りさの思いを尊重してあげようと。
一方りさは帰宅して中に入ると、真っ暗で誰もいないので自分の部屋に戻ろうとしたところクラッカーの音がした。驚いてたじろいでいると急に明かりがつきパーティー用の三角帽子をかぶった愛梨だった。
「りっちゃんお誕生日おめでとう」
「ちょっと驚かさないでよ」
「ごめんごめん」
舌を出しておどける愛梨。
「愛梨お姉ちゃん私の誕生日覚えていてくれたの?」
「妹のりっちゃんの誕生日を忘れる愛梨ちゃんじゃありません」
胸を張る愛梨。
りさは微笑んで愛梨に抱きついた。そのぬくもりはいつふれてみても柔らかくて本当の優しさを感じる。
そして愛梨に居間につれられテーブルにはケーキとカレーが用意されていた。
「愛梨お姉ちゃんお誕生日にはいつもカレーなんだね」
「愛梨ちゃんはカレーしか作れません。それに今日はあいにくお父さんとお母さんは仕事で大変な目にあっているのです」
「そう」
りさは父さんと母さんがいないことに落ち込む。
「りっちゃん。そんな顔しないの。プレゼントはお父さんとお母さんと愛梨ちゃんが出し合って買ったんだからみんなりっちゃんの誕生日を心から祝っているよ」
にっこり笑ってウインクをする愛梨。
「そうなの」
「そうなのです。今からそのプレゼントを持ってきます」
愛梨が居間から出た。
何だろうと内心わくわくしているりさ。
愛梨が居間から戻ってきて、
「じゃーん」
と見せつけたのは群青色一色のアコースティックギターだった。続けて、
「りっちゃんが最近英明塾に通ってギターが弾けるようになったって豊川先生って言う人が教えてくれたの。それで私たちでお金を出し合ってアコースティックギターを買ったのです。家族一丸となったプレゼントです。受け取ってください」
りさにアコースティックギターを差し出す愛梨。
「ありがとう」
りさは心の底からお礼が言えた。目には拭いきれないほどの涙が溢れてくる。
英明塾に通い始めてからりさの心境は百八十度変わった。それ以前までは死んだような世界をさまよっているような心境だ。
愛梨のカレーを口にするとごく普通のカレーだがりさの舌になじんでりさ曰くこれが世界一おいしいカレーと言っても過言ではない。
カレーはどんな高級な食材を使っても家庭でなじんだカレーに勝るものはない。
その後、愛梨に充分祝ってもらいお開きになるときに、
「ねえりっちゃん」
「何愛梨お姉ちゃん」
「せっかくギターもあることだし一曲ここで愛梨ちゃんに聞かせてよ」
「エッ恥ずかしいよ」
「どうして?路上ではジャンジャン弾いているって愛梨ちゃん豊川先生に聞いたよ」
「分かったよ」
りさは覚悟を決めて愛梨に尾崎豊のシェリーを聞かせようと弾く。ギターのメロディーにのせてりさが歌い出す。歌っているときりさは高揚して気持ちがいいみたいだ。聞いている愛梨はりさが奏で出すメロディーにうっとりしている。歌い終わって愛梨が拍手する。
「すごいりっちゃん。まるで魔法だね」
「魔法だなんてそんな大げさな」
照れるりさであった。
そんなこんなでりさは十八になった。今まで年をとるごとに誰かが祝ってもらったがこれほどの誕生日を祝ってもらって嬉しいことはなかった。これも英明塾の人たちに形にはない大切なものをもらっているからだとりさは思う。