ジャニュアリー1
りさたちが受けた大学の合否の発表日、里中が嬉しそうにりさに告げる。
「りささん。僕たち受かりましたよ。専修大学の教育学部に、だからもっと嬉しそうにしてくださいよ」
「ああ」
喜びたいけど喜べないりさ。原因は徳川の死であった。
「まだ徳川さんのことを気にしているんですか?仕方がないことですよ。もう年だったんですから、僕たちではどうにもならないことですよ」
「確かにそうだね。仕方がないことだよね」
そうだもっと嬉しそうにしないといけない。春からは憧れていた大学生になるんだから。笑顔を取り繕うりさ。だが里中はそれを見破る。
「りささん笑顔がぎこちないですよ。やっぱり徳川さんのことが気がかりなんですね」
「ゴメンやっぱり素直には喜べない」
「だったらさっそく英明に戻りましょうよ。僕たちのためにみんな腕を振るってごちそうを作って待っていると言っていましたから」
「・・・」
黙り込むりさ。
里中はもうこれ以上何を言っていいのか分からずに黙り込んでしまう。
二人の間に何か辛気くさいムードが漂い始める。
大学合否に受かって喜ぶ人や落ちて落胆する学生たちが集っている。
そんな中かき分け二人は合格した専修大学を後にする。
「駅はそっちじゃないですよりささん」
「ゴメン今は町を歩きたい気分なんだ」
「梓先生言っていたじゃないですか。僕たちが帰ってきたら合否に構わずにパーティをしようって。帰ってこなかったらみんな心配しますよ」
「だったら明だけ先に帰って受かったことを伝えておいてくれないか?」
「そんなつれないこと言わないでくださいよ」
「明になにが分かるんだよ。徳川さんは自分の夢を果たせずに死んじゃったんだよ」
りさは感情的になり人目もはばからずに大声で言ってしまう。
こればかりはどうしようもないと思った里中は黙り込むしかなかった。気持ちは分からなくはない。だから今はりさの心の整理ができるまで静かに見守ることにした。
お茶の水周辺で宛もなく歩くりさを里中はその後を追う。そんな里中に、
「別について来なくてもいいんだよ明」
「・・・」
こんな時なにを言っても無駄だと思った里中はりさの後を黙ってついていくことにする。
そんな里中に対してりさは『勝手にしろ』と言わんばかりに歩き続ける。
お茶の水は楽器のメッカとも呼ばれている町でもあり、りさは目を輝かせながら楽器店のギターを物色する。
「エレキギターの値段ってピンキリにあるね明」
何て心弾ませるりさ。
「二階にはアコースティックギターがありますよ」
それを聞いてりさはすかさずに店の二階に足を運ぶ。
そこでみたのはアコースティックギターが並べられているコーナーだった。
「すごいアコギがいっぱいあるよ」
安いのは二三万で高いのは何十万とするアコギが並べられている。
そこで目を輝かせながら物色しているりさに店員が、
「お客様もしよろしければ弾いてみてもよろしいですよ」
「そうしたいのは山々何ですが私お金持ってないから」
「構いませんよ。お気に召したギターであれば一度試しびきをしても」
「いいんですか?」
顔をほころばせながら言うりさ。
「はい」
にっこりと笑顔を絶やさない店員。
どれにしようか選ぶりさは、
「このギターがいいんですけど良いですか」
ジャスト二十万のギターだった。
横からりさが選んだギターの値段を見て目玉が飛び出そうになる里中。
さっそく店員はりさが選んだギターを取り出してストラップをつけて「どうぞお客様」と渡す店員。
早速りさはかきならす。
「すごいよ明、私が持っているギターとは音の質が全然違うよ」
「本当ですね」
「お客様は結構な熟練者ですね。たぶん安いギターを使っていたんじゃないんですか?」
「私が持っているアコギは二三万の安物ですよ」
「そうだと思いました。安物でやっていた方がいざ高いアコギで弾いたら腕がプロ級にまで達するケースって多いんですよ」
「そうなんですか?」
それは初耳だと驚くりさ。
「そうなんですよ」
「へー」と相づちを打って里中の方をにっこりと向いて「明これ買って」
「そんなあ、勘弁してくださいよ。僕にはそんなお金ありませんよ」
「冗談だよ」
と言ってギターを店員に返す。続けて、
「店員さん。楽譜とか置いてないんですか?」
「楽譜は三階にございます」
「ありがとう」
りさが三階にあがったところ里中もその後に続いた。
「へーこれってみゆきちゃんが好きな曲の美少女御子ナナの主題歌じゃん。今度私たちガールズビーアンビシャスが演奏する曲はこれにするか明」
「別にいいんじゃないんですか」
「じゃあ明私お金持ってないから立て替えといて」
「エー勘弁してくださいよ」
不服を言う里中。
「ありがとうございました」
店員はお辞儀をして丁寧に言う。
「何ですか。まったく僕のお金を」
楽譜代をしかたなく立て替えぶつぶつと文句を言う里中。
二人は楽器屋から外にでる。
「楽しかったな明」
高いギターを弾いてご機嫌のりさであった。
「本当にお金返してくださいよ。今月結構ピンチなんですから」
「そんなケチくさいことを言うなよ」
「ケチじゃないとやっていけませんよ」
「一応私たちはつき合っているんだから、このようなときはレディーファーストってことで」
「それってちょっと使い方が間違っているかもしれませんよ」
「良いから良いから」
にっこり笑って里中を宥める。
里中はそんなりさの無邪気なところも好きであり憎めなかった。
時計を見ると午後四時を示しており喧騒な町も黄昏色に染まろうとしている。
「ほらりささん。気が済みましたか?みんな心配しますからそろそろ英明に戻りましょうよ」
「何が気が済んだって?」
うろんな瞳で言いかけるりさ。
「・・・」
徳川のことをまだ引きずっていることに落胆しながら黙り込む里中。まあ無理もないかもしれない。徳川はりさの生徒であったのだから特別な思いがあっても不思議ではない。
りさは再び町を歩く。
里中は心配してその後を追う。
しばらく喧騒な町を歩くりさと里中。
そこでりさが足を止めたのがゲームセンターだった。
りさが中にはいると続いて里中も入っていく。
そこでりさが注目したのがユーフォーキャッチャーの景品のリラックマのぬいぐるみだった。
「明あれとってよ」
興奮して指を指す。
「あれですか?」
里中はりさが元気になってくれるなら良いと思ったので早速財布からお金を取り出してユーフォーキャッチャーにお金を入れる。
操作して失敗。
「まあこんなもんだよね」
諦めるりさ。
「ちょっと待ってください。こんなんで諦めたらいけませんよ」
りさが元気になってくれるなら多少無理しても良いと思って・・・。
「りささん。取れましたよ」
「キャーすごいすごい」
興奮して手をたたくりさ。
「はい」
とりさにリラックマの人形を渡す。
「ありがとう。これをみゆきちゃんに渡したら喜ぶだろうな」
「りささんが欲しいんじゃないんですか?」
「明、私はこんなのに興味を持つほど子供じゃないよ」
がっかりする里中。お金は二千円ジャスト使ってしまったのだった。
「じゃあこれ私鞄持ってないから明入れておいて」
「はい」
憤っているのか里中は声が裏返る。
でも里中はそんなわがままなりさも大好きなので憎みきれない。
再び二人は外にでて町を歩く。
そんなときりさの携帯が鳴り出して着信画面を見てみると梓からだった。
「携帯が鳴っていますよ。誰からですか?」
「姉さんからだ」
「ほらやっぱりみんな心配しているんですよ。とりあえず出てあげてくださいよ」
だがりさは携帯には出なかった。
「どうして出ないんですか。あなたはもう子供じゃない。そんなことをしたらみんな心配するでしょ」
「ゴメン明。私は今一人になりたいんだ」
「・・・」
徳川のことで思い悩んでいると黙り込むしかなかった。
こんな時恋人として出きることは静かに見守ることだった。
りさは本当にどこに行こうとしているのか?さらに歩を進める。里中はそれに黙ってついていく。
やがて町は色とりどりのネオンを放ちまるで何かのパレードのようにも思える。
そこで到着したのが東大だった。
「明、徳川さんはこの東大の赤門をくぐることが夢だったんだよ」
赤門におでこをくっつけて涙を見せないように里中に背を向けたまま語り出すりさ。続けて、
「私たちのレベルじゃあこの大学には入れないよね」
「そうですよ。別に東大に出たからって幸せになれるとは限りませんよ」
「そうだよね。でも徳川さんは死ぬまでにこの大学に生きたいって言っていたんだよ。せめてその願いは無理だけど一応この思いをこの赤門の前で・・・」
声が涙声になってしまった。もはや泣いているところを恋人の里中に悟られてしまっている。
里中はそんなりさにゆっくりと近づいて抱きしめる。
「明、初めて抱きしめてくれたね。あんたにそんな度胸があるなんて思わなかったよ」
「恋人として当然ですよ。りささんが悩んでいたり泣いていたりしていると僕はすごくつらいです。だからその悲しみの涙を僕にも分けてください」
りさは顔を上げるとそこには満面な笑顔の里中がいた。
「何笑っているんだよ」
思わずりさ自身も笑ってしまう。
「やっぱりあの人の言っていることは本当だったんだ」
「何のこと?」
「悲しみ+悲しみは笑顔って」
「何それ。どういう理屈?」
再び笑ってしまうりさであった。
「僕もよくわかりませんが多分そういうことですよ。悲しみ+悲しみは笑顔って」
りさは大笑いしてしまった。
りさは思った。もしこの先迷っている人がいたら徳川みたいなスーパー高齢者がいることを語ろうと。そうすればすべての人にとは言えないが何人か迷いを断ち切る勇気に転換する人がいるかもしれない。だからりさは徳川の死を無駄にはしない。この先徳川のことを語り継げようと心に誓う。
悲しみは癒えないが心の整理はついたりさだった。
英明塾に戻ると。梓が真っ先に。
「あんたたちいったい何をしていたのみんな心配したんだからね。もしかして落ちちゃったの?」
「受かりましたよ。専修大学教育学部に」
里中。
「じゃあどうしてこんなよる遅くに返ってきたの?」
時計を見ると午後八時を示していてみんな帰って梓だけが残る羽目になってしまった。続けて、
「りさ。携帯にかけたけど出なかったのは何でなの?」
「・・・」
俯いて黙り込むりさ。
洞察力の鋭い梓はりさの顔を見てりさの生徒の徳川が死んだことに何かショックを受けているのでそうなったと解釈してこれ以上は聞かなかった。それで梓は、
「まあ良い、とにかくみんなでごちそう作ったんだけど、主役のあんたたちが来ないから仕方なく始めていたよ。それで残り物でよければ晩ご飯をかねて食べなさい」
調理室に促され二人は円卓のテーブル席に座って梓のおもてなしを待つ。
「だから言ったじゃないですか、みんな心配するって」
「うるさいな、そんなことわかっているよ」
つっけんどんに言うりさ。
里中は一瞬そんな態度をとられムカついたがそんな素直ではないりさのことも大好きだった。
里中は恋人のりさのことをもっと知って良いところも悪いところも好きになってあげたいと思っている。それが本当の愛情だと豊川に教えてもらったことだった。
「ほらりさに里中君、みんなで作った特性カレーとケーキだよ」
と言って梓が二人が座っている円卓のテーブル席にカレーライスと一切れのケーキを置く。
「おいしそう。丁度おなかすいていたんだよ」
りさが嬉しそうに微笑む。
「僕もですよ」
「じゃあみんなを心配させた罰として食べ終わったら、台所にある食器をすべて片づけるんだよ」
二人は嘆息する。