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7_6 拘束


「――――――!」


 ばっ、とファム・アル・フートはミハルの側に駆け寄ると、盾となるべくその前で大きく両手を広げた。

しかし隠そうとしてもその足取りには一抹の重さがあった。

彼女には既に誇りである剣も、山を抜く威を持つ鎧の権能を振るう体力も残されてはいない。



「あらあら、大丈夫?ホミネ?」



 たっぷり蜜をかけた砂糖菓子のように甘い声が聞こえてくる。

凹凸のない滑らかな塔の扉がぽっかりと開き、その向こうの闇からコツコツと踵を鳴らす音が聞こえてくる。



 ファム・アル・フートのそれよりも更に瀟洒な鎧を身に付けた女騎士が現れた。

栗毛の髪を上品に緩く巻いて整え、ぷっくりとした唇が警戒心や不安を溶かす形に笑みを作っている。



「――――――ッ!」



 その顔を見て思わず毒気を抜かれてしまったミハルの前で、ファム・アル・フートは表情筋を強張らせた。



「お初にお目もじします。大いなる神造裁定者に見定められた祝福者様」


  

 つかつかと歩み寄った栗毛の髪を持ったその女騎士は、ミハルが思わずはっと息を呑むくらい見事な所作で片足を引いて腰をかがめる礼をした。



「アルカイド=イリデッセンスと申します」



 まるで舞台の上で喝采に応えるかのような完璧なお辞儀に、ミハルはどぎまぎとして名乗ることもできなくなってしまった。

額に脂汗を浮かべてしきりに眼球を動かすファム・アル・フートと、その後ろで事態が掴めず固まってしまったミハルを見て、アルカイドは片手を頬に当ててとろんと目尻をほころばせる。



「これは……また……随分と可愛らしい方ね」

「え、ええ。ミハルと言います」



 そこであることに気付いたようにアルカイドは垂れ気味をぱっと見開くと、ファム・アル・フートに近づいてそっと耳打ちした。



「あの、一応確認するのだけれど。…………男の子なのよね?」

「そうです」

「ああ、そう……なら良いの。ええ。同性愛は教会法違反ですからね、分かってると思うけれど」



 小さく一息ついてから、アルカイドは微笑み直した。



「ホミネが好きなのは、もっと粗野な殿方だと思ってたわ」

「…………」

「ああ、驚いた?祝福者様には失礼だけれど、ここは日差しが強いでしょう。皆で中で待たせてもらってたの」

「皆?」



 その言葉を待っていたかのように、アルカイドが出てきた扉から完全武装の兵士たちが飛び出してきた。

慌てるミハルと更に表情を厳しくしたファム・アル・フートを中心に円を描くようにして、アルカイドの部下たちが取り囲んだ。

その機敏な動きだけで、彼らが相当な訓練を積んだ正規兵だと分かる。

 


 その後からのそのそと、周りの兵士よりも小柄な……卵型の頭をした男が出てきた。 

瞬間、兵士たちが直立し背筋を伸ばす。



「隊長。ご挨拶を」

「挨拶?ああ、はいはい……。挨拶ね」



 職務的な熱心さとは程遠い態度で頭を掻きながら、出てきた小男は欠伸を噛み殺した。



「謁見の栄に浴し誠に光栄の至り!」

「ジョバンニ=ピッコロ―ミニ大隊長。ホミネ……失礼、ファム・アル・フートの上官ですわ」


 

 正対せずに斜めの方向を向いて乱暴に片手を上げたピッコローミニをフォローするかのようにアルカイドがつけ足した。



「……大隊長」

「おう。ファム・アル・フート。ご苦労、無事に花婿を見つけられたようで何よりだ。ずっと心配してた、君は美人だからな。"エレフン"の脂ぎったスケベ親父に『愛人になれ』とか誘われなかったか?」

「……」



 厭味ったらしく食って掛かったピッコローミニは、ファム・アル・フートの背後にいるミハルを見て足を止めた。

 

 

「……同性婚は教会法で禁止されてたはずだが」

「失礼ですよ。ご立派な殿方ですわ」

「え、男? すごいな"エレフン"ってところは……。いや、待て。それよりも……子供じゃないか!」



 ピッコローミニが驚嘆する。

周囲の兵士たちは槍を掲げた姿勢のままでまんじりともしないが、兜の下ではおそらくは大隊長と同じ感想をファム・アル・フートの背後に隠れたミハルに対して抱いていることだろう。


 ミハルは露骨に気を悪くしたが、話が混ぜっ返されててもファム・アル・フートの体と表情の緊張が一向に緩まないことに気付いた。

それは彼女がどうあがこうと……おそらくは大剣を帯び鎧の権能を使える状態であろうとこの二人を相手取ることはできないと確信していることを意味していた。



「おい、ヒゲも生えてないぞ。下の毛も生えそろってないんじゃないか?良いのかこれ?ちゃんとその……できるのか、アレが!?」


 

 あまりに明け透けなことを口走るピッコローミニに対して、流石のアルカイドも口元をひくつかせた。



「オデットが急いで連れてきた理由はこれか。あいつは子供のことになると目の色が変わりやがるからな」

「そうです……オデットはどうなりましたか!?」



 倒れ伏したまま別れた友のことを案じるファム・アル・フートにピッコローミニは眠たげな目を向けた。



「お前よりは重症だが、命に別状はない。勝手に任務を拡大解釈して祝福者を連れてきたのは後で査問にかけられる」

「そんな……」

「竜が200以上潰れ死んだ大事件の引き金になったんだぞ。形式と責任者の追及は要る。……まさかアイツがお前と戦って負けるとは思ってなかったがな」



 ピッコローミニは肩をすくめた。



「それよりもっと大事なことを聞いたらどうだ?」

「……ミハルはどうなりますか?」

「今朝、法王聖下直々に勅諭が出された」



 法王聖下、という単語にミハルとピッコローミニを除くその場の全員が背筋を正した。



「全教区で教会法として布告された。その坊主と家族には不可触特権が出される」



 重々しく言ったピッコローミニに対して、兵士たちとファム・アル・フートが一斉に息を呑む。

その中でミハルだけが意味が分からず目を白黒させた。



「……へ?」

「お前さんの体は神聖にして不可侵なことを法王聖下が全信徒に宣言された。手出しした瞬間、法王勅諭に逆らったとして教会法の外に置かれる」

「どういう意味?」

「……つまり、お前さんには誰も手だしできない。白昼堂々と救世主大聖堂に放火しても聖都の全兵士は指を加えて見てるしかないってわけだ」

「法王って誰?救世主大聖堂?どこそれ?俺は放火なんかしないよ?」

「……」


 つかつかとピッコローミニはミハルの傍に歩み寄ると、おもむろに少年の耳を引っ張り上げた。

間髪入れずに耳元で叫ぶ。



「分かるように言ってやる。お前と家族に指一本でも触れようもんなら、そいつは法王圏のどこに逃げようとハジキ者にされる!そういう特別な権利が与えらえるってわけだ!分かったかこのスカタン!?」

「今まさにその特別な権利が侵害されてますけどぉぉぉ!?」



 痛みに顔をくしゃくしゃにしたミハルと、何故か苛立ちが収まらないといった顔のピッコローミニに慌てて女騎士二人が割って入る。



「何をするんですか!」

「落ち着いてください隊長!バレたら責任問題ですよ!」

「うるさい!この教区に勅諭状はまだ回って来てないだろ!ぎりぎりセーフだ!」



 ファム・アル・フートが慌ててミハルを庇い、アルカイドがピッコローミニを引きはがした。



「彼はまだこの世界のことを良く知らないのです」

「ことの重大性を理解できてないのが腹が立って……。"英雄"にだって不可触特権は与えられなかったんだぞ?」

「ムキにならないで、相手はまだ子供ではないですか」

「ああ、そうだよ。ただのガキじゃねえか、どう見ても……」



 アルカイドになだめられても、まだピッコローミニは憤懣やるかたないといった顔だった。

ぶつぶつ呟いて明後日の方向へとうろうろ歩きながら、最も権威ある聖堂騎士団の一部隊をひきいる大隊長は足元の小石を蹴り飛ばしだした。兵士たちがどよめきながら道を譲る。



「何なのあの人……」

「ごめんなさいね。悪い人間ではないのですけれど、ちょっと偏屈で自意識過剰で短気で我慢弱くて口の聞き方を知らない人なのです」



 涙目になって耳をさするミハルに対して、美貌の副隊長はおよそ外に出してはいけないと思われる人間の特徴を列挙しだした。



「ともかく、祝福者様の安全は保証されます。法王聖下がお認めになったのですから」

「……じゃ、このまま帰してもらえる!?」

「ええ、もちろん。オデットのことは残念ですが……もう祝福者様を無理矢理聖都へとお連れしようなどという者は現れませんわ」



 ミハルはずっと緊張して張りつめていた神経がすっと急速に解きほぐされていくのを感じた。

一気に血流が変化したときのように意識が遠のいて、思わずその場でたたらを踏んでしまう。

正直なところ、日本に帰ったところでまたオデットのような人間が現れては自分を連れ戻しにくるのではないかと不安で仕方なかったのだ。


 気が抜けてしまった少年の肩を、ばっとファム・アル・フートが抱き寄せた。



「良かったですねミハル!」

「う、うん……」

「これでうちに帰れますよ!法王聖下のご叡慮に感謝しなければ!」



 花が開くような喜悦を顔中に浮かべるファム・アル・フートに釣られて、ミハルも思わず口角が上がってしまう。

安全であるというのが、こんなにも心が躍るものだとは思わなかった。

風邪を引いて寝込んで初めて思い知る健康の大切さと同じで、普段はその『当たり前』がどんなに幸せで恵まれたものか自分では分からないのだ、と悟る。



 ともかく帰れるのだ。あの日常にまた。

再び学校へ通って、友人たちとバカをやって、店に出ては客に叱られる。

ファム・アル・フートがまた騒動を起こしてそのたびに頭を痛めることになるかもしれない。というかなるのだろうが、今ではそれも悪くないと思える。

 こんなところに連れてこられて訳の分からない注射を打たれそうになったり、SF映画さながらの戦闘に巻き込まれて恐ろしい思いをするよりはずっとマシだ。



(…………あれ?)



 ふと、自分を見つめて笑うファム・アル・フートの目に何か切なげなものが混じっていることに気付いた。



「……本当に良かったです」



 ―――――どうしてそんな顔をするのだ?

嬉しいのならいつもみたいにもっと単純で、豪快に、明快な笑い方をすれば良いのに。



「……」



 そこである違和感に思い当たった。

聖堂騎士団とやらがこのまま帰してくれるつもりなら、なぜこの二人はここに待ち構えていたのだ?

重要な決定を伝えるだけならいつでもできるのに。それもこんなにたくさんの兵士たちまで連れて。

まるでこれでは……。



「……盛り上がっているところを悪いが」



 いつの間にか近寄ってきていたピッコローミニが、何やら豪奢な装丁がされた羊皮紙を手にしている。



「逮捕状だ」

「……逮捕?」

「騎士ファム・アル・フート。ラインホルト枢機卿猊下の命令でお前を拘束、連行する。罪状は教会法違反及び教義への不服従だ」


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