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7_5 巨人の頭

 出発したのは日が暮れてからだった。

母屋に移って朝食と変わり映えしない食事をしてから表に出ると、主人が馬を用意してくれていた。

馬の毛並みは艶々とまでしていた。無口そうな主人だが、マメなことに水と飼い葉をやる他にブラッシングまでしてくれていたらしい。


 

「深甚な感謝を。聖堂騎士団は必ずこの恩に報いるでしょう」



 呻きながら鞍にしがみつく少年のお尻を押し上げながら女騎士は謝辞を述べた。



 ――――――。

 


 二重の月が紫色の夜空を作る下、とぼとぼと二人を乗せた馬が街道を進んでいく。



 馬の上というものはこんなに高く恐ろしいものなのかとミハルは改めて思った。

鞍の前側から見えるのは四角い頭とタテガミだけである。一定の間隔を置いて乾いた音を立てるヒヅメが、今どんな地面を蹴立てているのかも目では見えない。

ちゃんと背筋を伸ばさないと上下にずっと頭を揺らされているのと同じですぐに気分が悪くなることを、ようやく少年は学んで実行できるようになった。

が、馬術用語で言うところの『粘性の高い』……いわゆる下半身の力で揺れを制御するような技術を習得するには至っていない。

自然尻も太ももも突っ張って痛むので、一定時間進むごとに休憩を取らなければならなかった。



 ちらりと後方を見やる。



「できたら後ろの方が良いんだけど」

「こちらの方が揺れるし、馬に動きが伝わるのです。我慢してください」



 恐怖感が拭えないでいる少年を、体ごしに手綱を取るファム・アル・フートが励ました。

 人が操る乗り物というのはただでさえ落ち着かないものだ。しかも今乗っているのは体重500キロは軽く超える軍馬である。もし制御を失えばと思うとその恐ろしさは自転車の二人乗りなどとは比較にならない。



 不安ついでに、きょろきょろとミハルは後方を振り返った。

どうも誰かが後ろからついてくるのではないかという疑念が頭から離れなかった。あれだけのことをしておいて、オデットの仲間たちや城の人間が何も手を打たずに見過ごしておくとは考えにくい。



「追手の心配はありません。もし近づくものがあれば"ファイルーズ"が教えてくれますよ」



 そういえばそうだった、と少年は思い直した。

一体どういう原理で動いているのかは不明だが……女騎士にワープやビームまでさせてその上自動翻訳機能付きの兵器が馬に乗って追いかけてくる追手に遅れを取るはずもない。

いままでそんなトンデモ兵器が知らずに自分の家に普通に置かれていたというのが今更ながらに空恐ろしいことに思えた。

何せミハルは茶の間でバラバラになっていたそれを拾い集めて片付けたことさえあるのだ。



<<現在半径10km圏内に不審な生物及び物体は存在しない>>



 鎧は感情を感じさせない平板な声で報告してきた。

タイミングの良さに内心を見透かされたようで、誤魔化すためにミハルは前方を見やった。


 赤いごつごつとした月が空に浮かんでいるのが見えた。

見るたびに違和感がある。ミハルが知るそれはクレーターや影になる部分は何年も前に服に付いたシミのように自然に溶け込んでいるように見えるものだが、その月は切り立ったような影が深く落ちているのがはっきり見える。もしかしたら地球の周りを38万キロの距離で回る月よりもずっと近くて新しい天体なのかもしれない。



「変な月」


 

 背後でファム・アル・フートが見上げる気配がした。ああ、と納得する声が聞こえてくる。



「不吉ですよね。あれは巨人の頭であるという伝説があります」

「頭?」

「ええ。大昔に人と『竜』が争った時、『竜』側の切り札として巨人が送り込まれたとか」



 またすごい言葉が出てきたな、とミハルは思った。

『竜』と巨人とがどう結びついて仲間になるのかは分からなかったが、実際に目にしてしまうとそんなものが本当にいてもおかしくないという気になってくる。



「巨人は各地で暴れ回りましたが、最後には神造裁定者御自らの手で首を切り落とされたそうです」

「なんでその生首が月になったわけ?」

「この話には続きがあって、巨人は最後の力で首だけになっても一人でに動き空を飛び続けたそうです。今でもああして、神造裁定者の威光が及ばない夜の世界で人類を呪い続けているとか」



 ミハルもどこかで似たようなことを聞いた覚えがあった。

強い怨念や執着が力となって、魂の居所である頭だけになっても空を飛び害を成す妖怪の話。

同じ人間同士で考えることは似通っているのか、それともミハルのように"エレフン"出身の人間が持ち込んだ昔話が元ネタなのかもしれない。



「ふうん……」



 再びミハルは空を見上げた。 

確かにごつごつとした月の表面と深く落ちた影は、いかつい武張った巨人の鼻や頬骨を連想させないこともない。



「面白いね」

「全くです。聖典にそのような記述はありません。異端の信者のたわごとですよ」

「……」



 ははは、と背中で豪快に笑う女騎士にうそ寒いものを首筋に感じた。

うっかりまかり間違えば、神とつくだけでこの女はあらゆるものを肯定するのではなかろうか。




 ――――――。




 明け方には近くの森の中へ馬をつなぎ、木陰で外套にくるまって眠った。



「恥ずかしがらずに、一緒に寝ましょう。ね? 温かいですよ」

「やだ! ここで良い!」



 農家から譲ってもらった毛布をくつろげるファム・アル・フートの勧めには頑として首を振らずに、木の根元でミハルは自分の両足を抱えた。


 

 ――――――。




 平野部に出てからは、休憩の時間は与えられなかった。

身を隠すような森も茂みも、その塔を中心とした半径30kmには存在しないからだ。

余りに突然景色が変わるので、植物の植生を犯す何かが発散されているのではないか?とミハルは疑ったほどだ。



<<有害な毒素は確認されていない。放射線も平常値である。金属イオン濃度も問題なし>>



 と"ファイルーズ"は太鼓判を押してきたが、だだっぴろい平地にその塔がそびえたつ光景は生理的に不吉なものを感じさせずにはいられない何かがあった。




「何あれ」

「"黒の塔"とだけ呼ばれています。『地獄の門』だとか『神の墓場』という呼ばれ方もされること以外は一切分かりません。人が建てたものではない、ということ以外は」



 金属の破片が地面に突き刺さっているのと印象は近かったが、言葉にするのと目にするのとではスケールが大違いだった。

比較するものがないから高さは分からないが……ミハルが目にしたあらゆる建築物よりも高い位置に塔の先端は座しているように見えた。

例えば昨日の話に出てきた巨人が、死ぬ間際に断末魔をあげながら得物の巨大コンバットナイフを地面に突き立てたらこんな風景ができあがるのではないか。



「気味悪いな」

「一応ここは聖地です」

「聖地?ここが?」

「神の御業が示された土地は残らず聖地です。今の法王庁の基準では」



 聖地というにはあまりにも寂しい風景だが、よく考えれば世界遺産も風景百選も見目麗しい場所ばかりとは限らないなとミハルは思い直した。



「……」



 駆け足による馬の上下動をこらえながら、ミハルは必死になって他に話題はないかと探した。何か喋っていないと気が変になりそうだった。



「お尻が痛いんですか?我慢してください」

「違う。間違ってる」

「嘘をおっしゃい」

「尻だけじゃない。尻と足が両方痛い」

「……では二倍我慢してください」

「そうする」



 不満がないわけではないが他に処方をしてくれる相手は馬の上からでは見つけられなかったので、ミハルは女騎士の診断に従うことにした。



 ――――――。



 黒の塔の傍までたどりついたのは日が傾きかけたころだった。

ほとんど女騎士に抱きかかえられるようにして、足から下の感覚がなくなりかけたミハルは鞍上から降りる。

生まれたての子馬そっくりの動きながらも、辛うじて地面に二本の足で立つことができたことに少年は自分の体力と気力の勝利を感じた。



「お疲れさまでした」

「二度と乗馬なんかしないぞ」

「次は馬車か輿を用意しましょう」



 痛みを胡麻化すためにぱしぱしとズボンの上から腰のあたりをはたき始めた少年を尻目に、女騎士は塔の外壁を検分し始めた。

前回は外周沿いを手探っていたら自然と塔の扉が開いた。

今回はどうだろう。見当をつけようとしたものの、一体塔がどちらを向いているかもファム・アル・フートには判然としない。

うろうろしている様子を見かねたのか、眉をひそめたミハルが声をかけてきた。



「聖地なら観光案内板くらい置くようにしたら?」

「良いアイディアですね!法王庁に提案しましょう!予算がつくかは枢機卿の方々の間で会議が必要ですが!」



 苛立ち混じりに声を返したとき、錆び一つない塔の外壁が動いた。

女騎士の顔に喜色が浮かび、少年の目が驚きに見開かれる。



「はい、そこまで」



 妙齢の女の柔和な声が、塔の内側から二人の耳へと届いた。

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