7_3 決着
頭の中で大きな音が聞こえた。
透明な手が災害のような暴力性を発揮し、皮膚を突き破って内臓を引っかき回したのだと思った。
「がぁっ……!」
高圧電流というものに対して知識がないオデットでも、不可視の強力な力が全身を駆け巡ったことは瞬時に分かった。
抱き着かれた体幹から巨大な針を無数に刺されたような鋭角な痛みが走り、忍耐不可能な苦痛が四肢の隅々まで駆け巡る。
(――――――ッ!?)
膝から下が溶けてなくなった。
麻痺だと理解が追い付くまでの間、喪失感に背筋が凍った。
急速に足元へといく視界の中で、仕掛けたファム・アル・フートの体が離れ、同じような苦悶の表情を浮かべているのが見えた。
(こいつ、最初から、このつもりで……!)
他は全てフェイク。
奥義が嘘ならタックルも見せかけ。
鎧の提案に激昂し、強力な武器を放り出したのも演技だ。
自分から選択肢を手放すことで、『鎧の機能は使わない』と思い込ませた。
そしてこの避けようのない不可視の一撃へつなげた。
倒れ伏す衝撃と合わせて、ファム・アル・フートがこんな詐術を使ったことへの驚きがオデットの目を見開かせた。
駆け引きなどとは無縁。愚直に自分の力と武を叩きつけることしかできない娘のはずだった。カードをやらせれば自分の手の強弱でしか判断しないような、視野狭窄から抜け出せない愛すべき愚か者。
それがここまで駆け引きを重ねて、自分を追い詰めるとは!
(……でも、これからどうする!?)
石畳に後頭部を打ち付けながら、オデットは意図が掴めずに困惑した。
自分への意趣返しだけが目的なら話は別だが……こんな自爆じみた手段を取っても先行きは暗いままだ。事実、仕掛けたファム・アル・フートも動けないでいる。
祝福者だけを逃がしたところで、会話すらできない少年が知らない土地で騎士団の捜索から抜け出せるはずもない。
その時、うつぶせに倒れた女騎士の指先がぴくりと動いた。
痙攣か、と思った瞬間、その目がこちらを見た。
その黄色がかった白目と、大きく開いた鮮血色の瞳孔には何も映ってはいなかった。
伝承に登場する砂男が魔法使いの言われるまま悪事を働くように、胡乱で意思を感じさせない動きでよろよろと立ち上がる。
(……嘘だろ?)
オデットは愕然とした。
受けている自分自身だから言える。この痛みは、人間が耐えることのできない痛みだ。まだ自分の方は起き上がることができないでいるのに。
「……『私のうちに、あなたの使命を果たしてください』」
ぶつぶつと何かが聞こえてきた。女騎士の乾いた唇から、耳慣れた祈りの聖句が聞こえてくる。
変成意識状態。
既にファム・アル・フートの精神は肉体を超越し、入神の域にある。
電気の衝撃か、それとも口ずさんでいた聖句からか、とにかく法悦のまま痛みなど感じていないのだ。
いったい何が女騎士にそこまでさせるのか。オデットには皆目見当がつかなかった。
たかが一月の付き合いしかないあの少年への情愛などではあるまい。義務感とも違う。神々より与えられた使命……でもまだ弱いように思える。
「『道と心理と命である御使いを、私にください』」
「……ひっ!?」
修道院でも戦場でも、これほどおぞましい祈りの言葉は耳にしたことはなかった。
ファム・アル・フートがファム・アル・フートとして成立するのに必要な何か。オデットには想像も及ばないようなその何かのために命と精神を顧みずに動いている。
空虚な抜け殻のような目を見て、修道女はそう察した。
オデットはファム・アル・フートに対して恐怖を感じている己に気付いた。出会ってから初めてのことだった。
「『私の魂のうちに光を増し、私の心の聖なる愛と、知性と意思の力を増してください』」
「やめ……やめて!」
まだ麻痺から抜けないオデットの体に、うっすらと微笑すら浮かべながらファム・アル・フートは抱き着いてくる。
またあれが来る。全身の神経と筋肉を引き絞られるような感電の痛みが。抜け出せるためなら何をしても良い、と思わずにはいられない苦痛が押し寄せてくる!
かつて自分の口からその甘さを指摘した女騎士。
それが今では自分でも裸足で逃げ出したくなる地獄のとば口へ、逃れようのない力で手首を握って一緒に飛び込もうと誘ってくる。オデットは涙目になっていた。
「お願い、やめ――――――っ」
「『神の国で永遠の幸福に浴するときまで、私が常に御使いと共にあり、歩むことができますように』。 ――――――"ファイルーズ"ッッッ!!」
<<了解。電気的除細動を行う>>
再びの衝撃にオデットの心は耐えられなかった。
意識を手放し、暗く静かな気絶の中へ逃げ込んだ――――――。
――――――。
丘に打ち上げられた魚のように、びくびくともつれ合った女同士が痙攣する。
そして、上になっていたファム・アル・フートの体がゆっくりと傾き、石畳へと崩れ落ちた。
決着の瞬間だった。
お互いが外傷もなく倒れている。本来決闘の終局としてはありえない光景だったが、ミハルにとってはどうでも良いことだった。
割れた石くれや『竜』の肉片を踏みつけながら、慌てて駆け寄る。
……女騎士の言動に嘘が含まれているのは分かっていた。
だがその真意までは掴めなかった。
決闘を始めようとする前にその足に抱きついて泣きわめき、『やめて』と叫んだらこんな結果にはならなかったかもしれない。
「何になるんだよ、こんなことして!」
焦りと動揺がそう叫ばせた。
本気で武器をぶつけ合ったり、電流を流されるカエルの真似事をして、一体の何の問題が解決できるというのか。少年には分からなかったし、分かりたくもなかった。
「おい!大丈夫か!?」
倒れたまま女騎士の傍に駆け寄ると、揺り動かそうとして思い止まる。
たしか昏倒した人間を揺り動かすと、脳の血管が破れてもっとひどいことになると教わった気がする。いや待て、あれは交通事故の時だったか?
高圧電流で感電したときの対処法なんて、保険の教科書にも夏休みのしおりにも書いていなかった!全く役立たず!
「しっかりしろ!」
女騎士に呼びかけても返事がない。目をつぶったまま、浅い呼吸を繰り返すだけだった。
「おい、返事しろってば!」
軽く顔をはたこうと頬に触れれた拍子に、恐ろしく脈が速いことに気付く。
首筋の血管が隆起を繰り返しているのが見えた。明らかに血流と心臓は尋常ではない様子だった。
「……死ぬのか?」
ミハルはこんな状態の人間を見たことがなかった。
心室細動、という言葉が脳裏に浮かぶ。
「おい、ふざけんなよ!おい!」
思わず罵倒が口をついて出ていた。
もう脳の血管のことなど吹き飛んでいた。思い切り揺り動かし、耳元で叫ぶ。
こんな幕切れなど、冗談ではない。決闘で自分自身で感電してそのまま死んでしまったとあってはイグノーベル賞のノミネートもののバカだ。どこにあるのかもしれない別の世界まで連れてこられて、そんな茶番に付き合わされてはたまったものではない。
「俺の生活に勝手に入ってきて、無茶苦茶にしといてさぁ!こんなのが終わりって、あんまりにも勝手すぎるだろ、なぁ!!」
視界がぼやける。涙がこぼれたらしい。拭う暇さえ今は惜しい。
走馬燈のように、路地裏で女騎士を拾ってからの今までが頭の中を駆け巡って来た。
突然現れた神の使命を受けたと自称する闖入者によってかき乱され続けてきた毎日。
あれがもう永遠に失われるかもしれない。
そのことが恐ろしくて、今にも悪寒のように背筋が震えてきそうだった。
「何とか言えよ、おい!普段は俺が何言っても絶対黙らないくせに!なあってば!」
ファム・アル・フートの体を揺り動かしながら、少年は生まれて初めて神に祈っていた。
お願いします神様。
こいつはバカで頑固で勘違いしてばかりのどうしようもないやつですが、神様のことを心から信じています。
この世界の神様が俺が知っている世界の神様と同じように、人間の願いを叶えてくれる力を持っているのならば。
どうかぼくにこのひとをたすけさせてください。
「う……」
祈りが通じた、とは少年は思わなかった。
ファム・アル・フートの口からこぼれたうめき声に、感謝をささげる余裕もなくその顔を覗き込む。
相変わらずの頻脈は治まらずその顔は苦し気だが、息の間隔は平常通りに近づいているようだった。薄く目を開き、鮮血色の目に今にも泣き崩れそうな自分の顔が映る。
「……し」
「し?」
まさか末期の言葉かと、少年は慌てて耳をそばだてる。
「し、死ぬかと思いました!」
「……」
それを聞いたミハルの体から思わず力が抜けた。
ぺたん、と赤ちゃんがするように後ろに尻もちをついてしまう。そして深々とため息をついて、苛立たし気に頭を掻いた。
「あー、もう!」
目を丸くして中空を見つめる女騎士のすぐそばで、少年は誰に向ければ良いのか分からない怒りを持て余していた。
――――――。
「大丈夫か?」
「ええ、なんとか」
しばらく休んでから女騎士は自分の力だけで起き上がった。脈はまだ一向に収まらないが、立って動く程度はできるまでに快復したようだった。
それでも相当に苦しんでいるのは、額に浮かんだ脂汗と蒼白な顔色を見れば分かる。が、言っても止まりはしないだろう。
「……待って。忘れ物」
連れだって昇降口へ向かおうとした時、うめき混じりの声が聞こえてきた。
仰向けになって倒れたままのオデットだった。
ファム・アル・フートは咄嗟に少年を背後に隠そうとしたが、オデットはまだ起き上がることはできないようだ。
「上着の中……アンタの守り刀が入っている。拾っておいたんだ」
「……」
ファム・アル・フートはミハルにその場にいるよう仕草で伝えてから、
オデットの傍らまで歩み寄り上着の中に手を差し入れた。
「本当に好きなんだ」
全身に残る麻痺に眉間を歪めながら、息も絶え絶えといった様子でオデットは口を開いた。
「今でもお前さんのことは恨んでない。神様と同じように愛してる」
「……ええ、オデット」
目当ての守り刀を取り出しながら、ファム・アル・フートは低く押し殺した声で言った。
「今でも貴女は私の……一番の友達です」
「……」
それを聞いたオデットは、童女のように顔中をくしゃくしゃにした。
「オデットさん!」
ミハルの呼びかけに、二人は驚いて視線を向けた。
「貴女のことどう思えば良いのか、正直良く分からないけど……。でも、親切にしてくれたのは忘れない!ありがとう!」
「……」
「でもごめんなさい!俺まだ、貴女の言うような生き方なんか考えられない!なんていうか、その……向こうでまだ勝ったことも負けたこともまだ一つもないんだ。それなのにチヤホヤしてくれる世界に逃げ出すのは、何か違う気がする!」
稚拙な物言いで、ミハル自身も自分が何を言っているのかと頬を染めてしまうくらい恥ずかしい内容だった。
が、二人は笑ったりはしなかった。最後まで視線をそらさず聞いていた。
ややあって、オデットが口を開いた。
「……良い子だろ?」
「ええ、知ってます。……それを貴女が言うのはおかしくないですか?」
「行ってよ」
ぷいと、寝返りを打つようにして顔を背ける。
「これ以上優しくされたら、ついて行きたくなっちゃうだろ」
「……」
まだミハルは不安げに見ていたが、ファム・アル・フートに促されて昇降口の扉の向こうへと進んでいった。
そして女騎士と少年は天守の屋上を後にした。
「本当に!本当に大丈夫!?」
「大丈夫、ちゃんと受け止めます!手を離してください!下を見ない、勇気を出して!」
籠城する際にオデットが壊した階段のせいで多少苦労しながら。




