7_2 決闘
「……何言ってんの?」
オデットは押し殺した声を上げた。
「お前さんの使命は、その子を連れて帰ることだろ?」
「違います」
ファム・アル・フートは低く……決然として言った。
「この子と幸福になることが私に課せられた義務です」
「……疲れてるんだよ」
オデットは戦棍を手放すと、苛立たし気に兜を取った。肩まで伸ばした髪がこぼれる。
「急に"竜"の大群なんかが押し寄せてきたせいでさ、頭がパニックになってるんだよ。"エレフン"と違ってこの"アルド"には真夜中でも本や下着を売ってるような変な店はないけど、そんな環境じゃないと幸せになれないなんてことはないだろう。運が悪い時は人間は蚊に刺されたって死ぬんだぜ」
「ミハルが望むなら、私は喜んでこの地に新居を構えます。が、この子はまだ何も選んでいません」
女騎士の頑なな口ぶりに修道女は少し驚いた様子で……しかし大きく息をついてから続けた。
「だったらいい機会じゃん。私らとこの世界について知ってもらう」
「いいえ。それはできません。必ず彼をとどめ置こうとする者が現れ、帰れなくなります」
「……とにかく聖都に落ち着いてから話合おうよ。今急いで決めようとするのが間違えてるんだって」
『パーティーに行きたくない』と駄々をこねる聞き分けのない妹をなだめすかす口調だったが、ファム・アル・フートは毅然としたまま首を振った。
「聖都に着けば、必ず聖堂騎士団か法王庁の人間が間に立ちます。私もこの子も、弁舌を生業とする者ではありません。そうなれば必ず宥めすかされ、うやむやのまま引き留められることになってしまう。今しか彼を返す機会はないんです」
「どうしてそんなに帰りたがるのさ」
オデットは軽く頭を掻いた。
「向こうじゃこの子は……兎小屋みたいな家に住んでて、家業だって平凡な茶店なんだろ? アタシが見た限りじゃ特別な才能を持ってるとか立派な賞を取ったとかそういうのとは無縁な……ただの良い子じゃないか」
「ミハルの社会的地位は、私には一切関係のないことです」
「良いじゃねえか!こっちで何不自由なく暮らせば! 50年ぶりに現れた聖者様だぞ! たとえ人前で卵を食う以外のことができなくったってみんな喜んで入場券を買う人気者になるさ!」
修道女は声を荒げた。
「私はお前さんと坊やに、聖都の住宅地に家を買って適当に実入りの仕事に就いて、子供をたくさん作って幸せになって欲しいんだよ。変な色の服を着せられて毎日学校に通わされるよりそっちの方がずっと恵まれた人生だと思わないか!?」
「この子は私たちは違う!」
女騎士は毅然とした表情で修道女を見据えたまま、不安げに口論を眺めるミハルの肩に手を置いた。
「誰しも自分が思った通りの生き方ができる訳ではありません。貴女は復讐に、私は義務に生き方を曲げられたかもしれない。でも曲がりなりにも私たちはその道を自ら選び取ったはずです!」
「…………」
「この子はまだ何も選んでいない!"エレフン"で必死に生きようとしていただけです!怖がりで臆病で弱さに傷つきながら、それでも懸命に自分の居場所を作ろうとしていた!」
少年の細い肩に置かれた手に力が籠った。
「そんな子供の人生を、神の御名を唱えながら歪めるのを私は許さない!仮にも夫と呼んだ相手ならば尚更です!」
「…………」
空気が押しつぶされたような沈黙が流れた。
無数の感情の色を込めながら視線を交錯させる二人のうち、オデットが先に唇を開いた。
「……好きなんだ」
「――――――」
「お前さんのことは14歳のころから知ってるけど、最初は憎たらしくて小生意気で仕方なかった。でも今は好きだ。自分と同じくらい、お前さんのことを愛してる」
訥々とオデットは胸の内を語り始めた。
「坊やのこともさ。今日会ったばかりだけど、すごく気に入った。お前さんたちが幸せになるところを一番間近で見て、守ってたい。そう思ってちゃいけないっていうのか?」
「それは……」
親友の独白に、ファム・アル・フートは言葉を詰まらせた。
一瞬だけ視線を落とし、ミハルの薄緑色の瞳と交差してから、再びゆっくりと親友のすがるような目を正面に据える。
「それは、貴女の幸せです。オデット」
「……」
それが決別の言葉だった。
「……殺さない」
短く呟いてから、オデットは"ザルカーン"の兜を被り直した。
「顔も傷つけない。命に係わる傷も負わせない」
両手で戦棍を構える。
「でも、二度と戦えない体になってもらう」
手甲と戦棍の機能部が大きく広がり、再び狂猛な輪郭が現れた。
その兜に開いた狭いバイザーの隙間から、裂帛の戦意が漏れ出るのを見て、ミハルはたじろいだ。
「最初から貴女とは刃を交えるつもりです」
少年を連れたまま先刻のように瞬く間に移動されて逃がさないための長髪だと知りながら、ファム・アル・フートは応じて腰の剣帯に手を伸ばした。
残る手でミハルに城壁の側まで離れるように促す。
「私は剣の僕の家に生まれた者です。これでなければ伝えられない」
「伝える?」
『竜』の血肉がこびりついた屋上で、足場の邪魔とならない場所を探っていたオデットが訪ねてくる。
「私の覚悟を。そしてどれだけ、"エレフン"で騎士として成長できたのかを」
剣帯から一息で、女騎士は長大な両手剣を引き抜いた。
――――――。
<<騎士ファム・アル・フートに警告する>>
心細そうに少年が見つめる中で、どちらともなく決闘の場所を定めた二人が対峙する中、平板な声が割って入った。
<<"ザルカーン"は、塹壕内での肉弾戦用に調整された神性兵装である。本体部分を欠損していても、剛性と出力は当機を凌駕する>>
「……」
<<我々の目的は戦闘ではない。戦術を提案する。速やかに祝福者を連れ戦術的撤退を図るか、さもなければ遠距離から光子照射による攻撃を―――>>
「黙りなさい!"ファイルーズ"!」
黙って忠実な鎧の話を聞いていたファム・アル・フートは、突然叫ぶと自らの腰当をむしり取った。
先刻一射で『飛竜』を打ち倒した銃砲を、石畳の上に放り投げる。
「私たちが戦うのに、こんなものは必要ありません!」
それを聞いて、鎧の精霊は説得の無為を悟ったようだ。
<<……了解した。以降の判断は貴公に委ねる。武運を祈る>>
「ありがとう、"ファイルーズ"」
それだけ呟いて、ファム・アル・フートは自分の身長に匹敵する刃渡りを持つ両手剣を構え直した。
(……落ち着いている)
オデットの目から見ても、今のファム・アル・フートは手ごわい相手に見えた。
かつてであれば戦場に立てば過度に入れ込んでいたり無謀な攻撃を図るのが横から危なっかしかったが、こうして対峙していると背筋は鉄芯を入れ込んだようにピンと伸び、前後左右どこにでも動けるように腰は軽く据わっている。
心と体がうまく一致しなければなかなか良い姿勢を取るのは難しいのだ。
(それでも)
惜しいが、その武技を諦めさせねばならない。修道女は自分の勝利を全く疑ってはいなかった。
両手剣というものは、対集団戦に置いて最も効果を発揮する武器である。
先駆けによって突貫し、その長さと重さとを利して密集した槍衾を食い破るための武器だ。
間合いの全てで自らが不利にならないというその刃の範囲と重さが、対個人戦においては中途半端な特徴となって浮き出てくる。
対してオデットが持つ戦棍は、重心の加速のまま殴りつけるという極めて単純な武器である。
それだけに技量の差がはっきりと出る武器であるが、中東で帝国の兵士を相手にちみどろの境界争いを続けてきたオデットには、曲がりなりにも聖都の騎士としてお上品な仕事に就いてきたファム・アル・フートとは比較にならない白兵戦の経験がある。
得物でも技量でも自分の方が上。オデットが危惧しなければならない点は勝利よりも他にあった。
(肩を潰す)
オデットは狙いを定めた。
頭を潰すなど沙汰の外だ。顔も狙わない。オデットの役目は『可能な限り平和に』祝福者と女騎士を聖都に連れ帰ることである。
鎖骨と肩甲骨と上腕骨が複雑に組み合わさった関節を破壊することにした。
二度と戦場には出られなくなるが、日常の生活に問題はないはずだ。少なくともこれから侍女や子供たちに囲まれて笑顔で暮らす婦人としては。
戦棍を構え直しながら、オデットは自分の右半身にひりつくような剣気を感じている。
(狙われている)
いつの間にか、ファム・アル・フートの構えが変化していた。
利き腕である左腕の側にだらりとツヴァイヘンダーを垂らし、体軸以外の全てから力を抜いている。
表情も凛とした眼光は失われ、夢遊病者のように虚ろだ。唇は小さくぶつぶつと何事かを呟いている。
聞こえはしないが、何を言っているかはオデットは知っている。祈りの聖句だ。
(それしかないよな)
『神が讃うべき技』と呼ぶらしい。
剣の僕……というよりファム・アル・フートの一族の間で伝わる技術の一種である。
奥義といえるほど大層なものではない。最初の一撃に全力を込めて体ごと飛び込んで叩きつけるだけの単純なものだ。
ファム・アル・フートが行うそれは、彼女の一族の故郷である東方の帝国由来の身体操作法と自己暗示を伴う点が特殊と言えた。
本人曰く『頭の中の枷を外して、膝の関節から下が突然失われたつもり』で振り切る感覚らしい。
もちろんオデットも本人から聞いただけで理解はできない。幼少時から繰り返し鍛錬を行って初めて身に着く類の技術であることは想像に難くなかった。
オデットがそれを見たのは一度だけ。しかも8年も前の未熟であったファム・アル・フートが振るった時しか知らない。
今の身長も膂力も比較にならない女騎士が全身全霊を籠めて行えば、どんな速度と鋭さを持った斬撃となって襲い来るのか想像もつかない。
(一撃目は受ける)
修道女は無傷で勝つことを捨てた。
必殺の一撃などを繰り出さねばならない時点で実力不足を認めたようなものだ。そして威力が高い技というのは必ず受けるか避けるかされれば動きが止まる。
初撃を受け、二撃目で自分の棍が肩を潰す。それでしまいだ。夜明けには応援が駆けつけてくるから、女騎士を引き渡し少年を連れて凱旋すればいい。
聖句を唱え終わったファム・アル・フートの構えた剣先が、小鳥の尾のように震えている。
オデットは鉄鎧の内側で、背中に嫌な汗が伝うのを疎ましく思いながらその瞬間を待った。
「――――――」
分厚い両手剣の剣先が静止した瞬間。
閃光が奔った。
踏み込みも回転も申し分ない斬撃。目の端で何かが光った、としかオデットも知覚できない一閃だった。
知らなければなすすべなく白刃を受ける他なかっただろう。
(右腕なんかくれてやる!)
狙われる部位は既に特定できている。
頭は神性兵装の兜で覆われており、形状から極めて刃が滑りやすい。首当ても同様だ。ここを狙われたところで脳を揺らされるのに耐えれば済むことである。
足を狙っての脛斬りもないと踏んでいた。ファム・アル・フートの性格から邪道とみなしているのは知っているからだ。愛すべき頑固さだが、実戦ではこれが命取りとなる。
となれば残るのは右腕しかない。オデットは手甲を立て、その中心を貫く鉄杭で斬撃を受けた。
六方晶タングステンカーバイドという素材の名前を知らなくても、そこが"ザルカーン"の中で最も堅固で靭性に優れた部位だとオデットは経験で知り抜いていた。
もちろん中のオデットの肉と骨は神の手によって造られた防具ほど頑丈ではない。良くて骨折、悪ければ折れた骨が腕の肉を突き破り、衝撃で鎖骨が砕けることになる。
それでも勝つには安い代償だった。
(勝った!)
刃筋が手甲に当たって、猛烈な火花をオデットの全身へ降らせた。
赤熱化した鉄の微粒子の雨の中で、オデットは左手で戦棍を振り上げた。
狙うべきは一跳躍で自分の目前へと迫って来た女騎士の右肩。頭に当てないようにそこを潰せば、もう戦う力は失われる。
(許せよ!)
これほどの剣技を身に付けたことの感慨と、それを奪う懺悔を一瞬で済ませたオデットが戦棍を振り下ろす。
が、そのときに違和感に気付いた。
(……本気で振っていない!)
トランス状態に入った女騎士が渾身の一撃を振るえば、自分もそれなりに体勢を崩すはずだ。
が、鋭敏かされコマ送りのようにゆっくりと進む時間の中で、訪れるはずの骨折の痛みも女騎士の硬直も一向にやってはこなかった。
代わりに浅く振った両手剣を引き戻し、女騎士は構え直そうとさえしている。
オデットの神経が激発した。
「舐めるなァァァッッッ!」
決め打ちしすぎた自分の失敗と、その程度の小細工で勝ちを拾えると思ったファム・アル・フートへの判断の甘さへの怒りが声となってフルフェイスの兜の中を反響する。
既に自分は攻撃姿勢に入っている。二撃目を振るう時間など与えない。その思い上がりと一緒に肩を砕いて仕舞いだ。
そう断じたオデットの視界の中で、ファム・アル・フートは思いもよらぬ動きを見せた。
刀身をむんずと握りしめると、両手剣とは思えぬ小回りでさっと刃を斜めに立てた。
両手剣にはリカッソと呼ばれる刃のない部分が存在する。
理由は二つ。鞘を短くしすぐに引き抜けるようにするためと、超接近戦で取り回しを良くするためだ。
もちろん、その程度の小細工で激雷のような戦棍の一撃を受け止められるはずもない。
即席の盾となった両手剣は、わずかに攻撃の方向を逸らす役にしか経たなかった。
石床に蜘蛛の巣状のヒビを穿ち石辺を砕くほどの威力を受けて、"剣の僕"の誇りは真っ二つになって宙を舞った。
ファム・アル・フートは一顧だにしなかった。
振り下ろしたオデットの左腕より更に下方から、その胴体へと組み付く。
右腕は防御に回し、左腕だけで戦棍を振るうオデットにはどうやっても有効打を与えられない腰の高さを狙ったタックルである。
「はっ!」
嘲弄が混じる気合を込めて、オデットが大きく息を吐いた。
残った右腕だけでファム・アル・フートの腰を取り、両足に力を入れてタックルを切りにかかる。
上背ではファム・アル・フートに分があるが、元より彼女に組打ちを指導したのは他ならぬオデット自身だ。
この程度でぐらついて組み伏せられる程度の鍛え方はしていない。
その上自分には神性兵装の補助まである。右腕の"ザルカーン"が紫電をほとばしらせ、腕の中の相手を組み伏せるべく手甲が巨力を発揮し始める。
その瞬間。
「"ファイルーズ"!今です!!」
<<了解した。緊急除細動を開始する>>
衝撃が来た。
オデットは突然巨大な地震でも起きたのかと錯覚した。
白い鎧から発された6万ボルトの電流が見えない無慈悲な爪を伸ばし、女騎士と修道女の全身を駆け巡りその筋肉を跳ねあがらせた。




