7_1 岐路
いきなり間近で星が弾けた。
ミハルの目からはそう映った。
少年が見たことのない大きさと輝きの光は、いかなる力が働いているのか無数の環となってその場を照らし出し、天守からは球のようにも見えた。
眩しさでとっさに手で目を庇うが、不思議と恐怖は感じなかった。
むしろ炭の中の起こり火を見ているような、暖かさと安心を感じる光―――。
その球の中心に、見慣れた金色の長髪がたなびいていた。
「ファム!」
やや鎧の形が変わり見たことのない大きな光輪を背負ってはいるが、その姿は見間違えようもない。
天守の方を一瞥することもなく、女騎士は頭上に次々と現れた不吉な空間の歪みたちへきっと向き直る。
そこには先刻撃ち落とされた眷属と同じように、『飛竜』たちが既に鼻先を現しだしていた。
曖昧な影の形を取る人類の天敵たちへ向けて、ファム・アル・フートは颯爽と手にした長大な筒を構え―――――。
――――――やおらひっくり返して、片目でその筒先を覗き込んだ。
「これにはどうやって弾を込めるんです!?」
<<騎士ファム・アル・フート!銃口は自分に向けるな!覗き込んではいけない!>>
「火薬袋は?鉛玉は?火縄か火打石はどこです!?」
<<装填は不要である!聞いているのか!?装填は不要!!>>
……女騎士と鎧のその問答は天守の屋上まで聞こえてきた。
「……うん。やっぱりファムだ!!」
離れていてまだ一日も経っていないのに、不思議な懐かしさすら覚えながら少年がうなずく。
「えぇっ……!?」
傍らで見上げる修道女が絶句した。
――――――。
<<発砲、発砲せよ!ファム・アル・フート!発砲せよ!!>>
「どこを狙えば良いんです!?」
<<既に自動照準済である!………………もう良い、当機が発射する!>>
平板な音声が投げやりな言葉を発したかと思うと、不出来な人形劇のようにガクッと女騎士の手が唐突に伸ばされた。
「!?」
ファム・アル・フートが目を白黒させたのと、筒先から光が溢れたのはほとんど同時だった。
何もない中空へ向けて放たれた光の一射が、瞬きの間にその本数を増やし、角度を変える。
莫大な熱量と必殺の意思を持って放たれた光の槍は14に広がり、周囲に狂猛な姿を晒した『飛竜』たちを正確に薙ぎ払った。
それだけでは留まらない。
ビルの壁にプロジェクターでアートを描くかのごとく、複雑に精密に本数を増やし角度を変えていく。
射角というものを無視して急速に方向を変えた光の束は、直進して途中にある城壁と石狭間の一部をバターのように斜めに切り裂くと、中庭に集結していた『竜』たちを薙ぎ払った。
勝負は一射で決した。
全自動未来予測射撃。
一発も過たずに放たれた光子の奔流に捉えられた『竜』たちが、空中でこの世に残った最後のよすがである煙と炎を立ち昇らせながら地上へと崩れ堕ちていく。
その中央に、二つの光輪を背負った白い鎧姿はあった。
<<――――――。皆中。イオン濃度の低下を確認。脅威は排除された>>
「何か出ました!出ましたよ!?」
射撃姿勢を保ったまま。
熱量に耐えた砲身から上がる白い煙を見て、顔中に疑問符を貼りつけた女騎士が叫んだ。
――――――。
天守の屋上。
原型を保ったままぶすぶすと焼け焦げる『飛竜』の屍体の下から、辛うじてミハルは這い出した。
「―――――死にそう。死ぬ。もう死んだ……!?」
「坊や!気持ちを強く持って!心を折られちゃダメだ!」
鱗の生えた数トンの肉の塊の落下から、辛うじて少年を庇ったオデットが励ました。
"ザルカーンの"力添えを得て彼女が咄嗟に受け止めて隙間を作らなければ、哀れな少年は巻き込み事故によって靴底で潰された油虫のようになっていたであろうことは想像に難くない。
青ざめた……というよりもう土気色に近い顔色をして、この晩何度目かの死神の抱擁から辛うじて抜け出した少年が胡乱な目つきで宙を見上げた。
「ミハル!」
その視線の先で、一瞬だけ天守の屋上に残った小石の欠片やら『竜』の破片やらを巻き上げて、ファム・アル・フートが降りてきた。
足をついた瞬間に背後の光輪が掻き消え、舞い上がった有象無象も再び転がり落ちる。どういう原理なのかさっぱりわからないが、取りあえず単純に重力と反対方向へ揚力を発して体と鎧を浮かせているわけではないらしい。
「……ファム!」
疲労困憊でおぼつかない足取りながら、よろよろとミハルは立ち上がった。
「ミハル―――!」
肉塊を避けながら、ファム・アル・フートは手を広げて少年の元へと駆け寄ろうとした。
長いまつ毛には涙の粒が浮かび、少年が受けた労苦を思って柳眉は痛ましく歪んでいる。
それを迎え入れるように、少年は片手を上げ――――――。
「助け方もっと考えろバカ―――――――ッ!」
「!?」
振り下ろしたそのチョップが、女騎士の頭を直撃した。
「!?……えぇッ!?」
女騎士本人は内心で感動の再会を期待していたが、裏切られたようだ。
呆然として目を見開いたまま、何故怒られたのか分からないといったように目をぱちくりと開閉した。
「死にかけたんだぞ!……1回じゃないからもう1回言うぞ?死にかけたんだぞ!?」
「わ、私も必死だったんです!なんとかしようとして……その、ものの弾みですよ!」
「ものの弾みでビームなんか撃たれてたまるか!」
「せ、先刻の光のことなら、撃ったのは私ではなく"ファイルーズ"です……」
唇を尖らせて、女騎士は謎の力を発揮した鎧の方へと話を逸らそうとした。
「アンタの鎧だろうが!監督責任だ!!」
「そんな理不尽なー!?」
「アニメみたいな恰好しやがって!この!このこの!!」
が、ミハルにはその理屈は通用しなかった。さらに怒りに火を注いだようで、耳を引っ張られてしまう。
ついさっき瞬く間に人類の天敵を討ち滅ぼした射手とは思えぬ威厳のなさで、背骨をぐにゃぐにゃに折り曲げて女騎士は悲鳴を上げた。
「痛い、痛いですよ!離して……ん?」
そのとき、ファム・アル・フートは少年の手足にくっきると残る縛り上げられた縄目に気付いた。
見ると、服も着崩れていてボタンも外れたままだ。靴下も履かずに、パーカーのポケットに突っ込まれているのが見えた。風呂場から火事で慌てて逃げてきたかのような風情だった。
「一体何があったんですか?」
「こっちが聞きたいわ!」
少年が更に声を張り上げた。
「怖かったんだぞ!?」
「わー!ごめんなさい!」
「……」
「えっ?」
ぐすり、と少年が涙鼻をすすった音に女騎士は驚いて目を見開いた。
「……本当に怖かったんだぞ」
安心して、今まで意思の力で辛うじて押さえつけていた感情が一気に溢れてきたらしい。
顔をぐちゃぐちゃに汚しながら、少年はこみ上げる嗚咽に細い肩を震わせていた。
「全然知らないところに連れてこられて……、訳の分かんないことばっかり起きてさ……」
「……。ごめんなさい、私の責任です」
手のひらで顔を覆ってすすり泣く少年を、女騎士は自らよりも頭一つは低いその身体をそっと両手で抱き寄せた。
今度ばかりはミハルも素直にその胸甲に額を寄せた。
「ケガはありませんか?」
「うん……」
「酷いことをされたのですね?」
「……変な奴らに体調べられれた」
ぽつぽつと、少年は胸の内を打ち明け始めた。
女騎士が小さく頷く。
「えぇ」
「もう少しで訳の分からない薬打たれるところだった……」
「えぇ」
「武器で人が殴られるところなんて初めて見た。あんな怖い生き物がいる世界だなんて知らなかった……」
「ごめんなさい、私が悪いのです。もう少しで取返しのつかない過ちを犯すところでした」
瞑目し、少年の柔らかな髪が埃と汗に汚れてしまっているのに鼻先を寄せる女騎士。
が、続く言葉に血相が変わった。
「……あと、裸も見られた」
「なんですって!?」
ばっと顔を上げると、ミハルの両肩を抑えて詰問しようとする。
「ちょ……どういうことです!? 何があったんです!? 相手は男ですか、まだ純潔は保ったままでしょうね!? 前にも言ったように愛人を作るのは良いですが、上をいかれるのは女の沽券に関わることですよ!?」
「ああもう、鬱陶しいなあアンタは本当に……」
胸に顔を埋めたまま、ぷるぷるとミハルが肩を震わせる。
その背後で、やや気まずそうにしていたオデットが足元の小石を蹴った。
「……オデット」
「よっ」
全身に返り血を浴びた親友のその姿を見て、ファム・アル・フートは目をしばたたかせた。
「貴女がミハルを守ってくれたのですか?」
「いやあ、申し訳ない。護送役失格だねえ!こんなことになるとは思わなくってさ!」
必要以上に明るい声を上げながら、バイザーの隙間からシスター・オデットは笑みの形に目を細めた。
「でもおかげで助かったよ!流石神造裁定者から直接賜っただけある!完全な形で残った神性兵装がこんだけすごいとは!」
「…………」
「?」
近寄ってくるオデットから隠すかのように、ファム・アル・フートは半身を入れて少年を抱き直した。
その手に籠る緊張は、腕の中のミハルにも伝わってきた。
「まあ、クソったれの『竜』は全部倒したことだし?ちょっと鎧脱いで休んでこーよ!夜明けまでにはアタシが呼んだ応援もくるだろうし、お互いこんな格好のまま聖都に入るわけにはいかないしさ!」
「……それはできません」
応じた女騎士の声は低く抑えたものだが、明白な拒絶の意思があった。
「――――――えっ?」
「ミハルはこのまま、"エレフン"に連れて帰ります。この子を聖堂騎士団や法王庁の者に引き渡しはしません、絶対に」
それを聞いた瞬間。バイザーの隙間に並んだオデットの両目にさっと影が差したのが、ミハルからもはっきりと見えた。




