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6_13 艱難


<<騎士ファム・アル・フートに警告する>>



 変わらぬ平板な声だが、女騎士の背筋がぞっと震える。

音でも振動でもなく、生き物としての本能で身にまとう鎧の内部で今まさに巨大な力が働き始めていることを洞察する。

巨大な産業機械か大規模な発電所を前にした時の人間が抱く畏怖に近かった。

ファム・アル・フートの中で、初めて出会うその未知の畏れは信仰の試練として受け止められた。



<<貴公の身体能力は当機の使用基準を満たしていない>>

「……」



 何度も泣き出したくなる訓練を堪え、鍛えに鍛えてきたという自負心にとっては受け入れがたい宣告だったが、鎧の言葉には反感は湧かなかった。

現在の時刻を告げるように感情の混じらない口ぶりのせいか。

それともこれから自分の身に起こるであろう苦難の予感に感情が麻痺したのか。

 

 


<<よって薬理的に負荷を軽減する必要がある。許可を乞う>>

「是非もなく!」



 忠勇たる鎧の精霊の言葉の意味を考えるよりも早く即答する。



<<……了解した>>



 静かな、それでいて不吉な宣告が返ってくる。



「……っ!?」



 変化はすぐに訪れた。

最初に感じたのはまず熱さだった。

ファム・アル・フートが知るはずもなかったが、熱さ寒さを感じる人間の自律神経に休息は許されない。どんなに重度の熱傷を負おうが神経は生存を手繰りよせるために最大音量で警告を発し続けるのだ。

耐える覚悟を固める暇もなくあっという間に閾値を振り切れた痛覚に代わって、全身を猛烈な勢いで襲う刺激を神経は請け負わざるをえなかった。

結果、脳は熱として処理を行った。

生きながら焚刑に処された人間にしか、この時の女騎士の脳が認知した感覚に共感を持てる者はいないだろう。



 急に視界がすとんと下がり、地面と同じ高さになった。

膝から下が溶け落ちたのかと慌てるが、這いつくばった拍子にまだ五体がくっついていることが目で確かめられた。

そのことに心から安堵する。

次の瞬間、ほっとつこうとしたため息は苦悶の喘鳴に取って替わられた。



 ―――――――自分の体が造り替えられていく。



 感覚としては熱さとしか感じられなかったが、未曽有の生命の危険を伴う施術が全身を襲っていることはうっすらと悟ることができた。

ファム・アル・フートは、幼児の遊びで手足の部品を交換させられる人形の気持ちが理解できたと思った。



 血管の端々まで溶けた鉛が流し込まれる。

筋肉がもの言わぬ鉱物と化す。

脂肪がその場で気化していく。

靭帯が引き延ばされる。

脊椎が順番を組み替えられる。

脳が液体と化して耳の穴から流れ出ていく。



「――――――――――――ッッッ!」



 口輪をされた犬のような猛烈な呼吸で女騎士は耐えた。

絶叫して助けを呼ばなかったのは騎士としての矜持でも忍耐力の発露でもなく、随意になる部分を総動員して耐えなければ発狂すると頭の深奥が直観したからだ。



(……仮にも騎士が家の玄関前で狂死しては笑い話にもならないではないですか)


 

 絶望に意識が奪われないように、面白くもないジョークを頭の中で作って自分で笑わなければならなかった。

そうしなければか細く辛うじて残った自意識は、あっという間に無慈悲に吹き荒れる嵐の前で形もなく崩れ落ちるところだった。



 皮肉な笑みが口元に浮かんだ拍子に、ぬるりと口の中に塩辛い液体が混じり込んでくる。

脂汗なのか。

鼻汁なのか。

涙なのか。

粘膜の毛細血管から漏れ出した血液なのか。

それともその全てか。



 ぴくぴくと、全身の筋肉でガルヴァーニのカエルの真似事を何秒続けただろう。

失禁せずに済んだのが不思議なくらいだった。

路地裏でうなだれている間水分を取らなくて良かったと心から思う。

やがて熱が吹き荒れるのが緩み、代わってぴりぴりとした麻痺とくたくたの虚脱感が身体を満たしていく。



<<処置を負えるまで残り439秒が必要である>>



 峠を超えたと力を緩めた女騎士に、無慈悲な宣告がなされた。




 ――――――――――――。




 夜闇の中、庭の敷石の上で発狂と覚醒を繰り返したと思った。

寸刻みで体を金槌で砕かれていくような苦痛に耐えられず、意識を手放しては続く痛みの見えない手によって無理矢理脳髄の中に引き戻されるよう。

もはや喘鳴を上げることもかなわず、女騎士は溶けた砂糖菓子のように前庭の上にぐったりとくずおれていた。



 鋭敏化され過ぎた聴覚が、何かぴちゃぴちゃと液体が庭土に流れていく音を聞き取った。

それが何の種類の体液なのかは知れなかった。

あるいは生のブラッドソーセージのように、自分はもう皮革でかろうじて形を保っているだけの血袋になったのかもしれないとぼんやりと思う。



<<……騎士ファム・アル・フート。返答されたし>>




 悪夢の時間が始まってから、変形と振動を繰り返していた鎧がぴたりと動きを止めた。

忠勇たる鎧の無機質な声が、まるで他人の耳を通しているかのように聞こえてくる。

本当に自分の身体に鎧は纏われているのだろうか?

どこか数百メードは遠方にあると言われても納得してしまいそうだ。



<<騎士ファム・アル・フート。応答を願う>>



 鎧の精霊の声に切羽詰まるものが混じったように聞こえた。

返答を求められているということは、自分はまだ死んではいないらしい。



<<騎士ファム・アル・フート!>>

「……誰が止めろと言いました?」



 唯一動く口と目で、女騎士は鎧に続きを命じた。


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