6_12 剣の矜持
「―――どうすれば良いんですか、どうすれば良いんですか!?」
ガチャガチャと鎧を鳴らしながら、女騎士は初めて檻に入れられたクマのように玄関をぐるぐるとうろつき回った。
焦燥がせわしなく眼球を動かし、行き場を見失った意気が不快な汗となって額の汗腺から抜け出ていく。
「こ、こ、こういう時は焦らず騒がず来た道を帰れば……!」
自分で言いながらその方策の先行きの暗さに気付いた。
この世界に来た時は、気が付いたら訳の分からない個室と噴水の部屋に移動していた。
その場で騒いでも"黒の塔"に戻ったりはしなかったから、おそらくは待っていたら勝手に戻れたり押せば動くような単純な仕組みではあるまい。
「オデットに聞いておけば良かった……!」
後悔してももう遅い。
ストレスに苛まされるまま、わしわしと頭を掻きむしる。
と、その時、髪を束ねている金属製のヘッドセットに指が触れた。
「"ファイルーズ"!」
拍子で思い出した。自分には忠勇たる味方がついているのだ。
先刻はどんなに呼びかけても無視されたが、もう他にすがるものがない。
祈りを込めて自分が付けたその名を繰り返す。
「"ファイルーズ"!聞いてますか!?"ファイルーズ"!返事をしてください!」
<<――――――何か?>>
とてつもなく長く感じた数瞬を置いて抑揚のない声が返ってくる。
小躍りしたくなる気持ちを抑えて、ファム・アル・フートは尋ねた。
「"アルド"に帰還する方法を教えてください!合言葉!?場所!?それとも何かのおまじない!?」
<<……帰還の目的を問う>>
いつもは打てば響くようにすぐさま返事が返ってくるのに、今日は妙に反応が遅い気がする。
相棒の変調に少し不安を覚えながら、ファム・アル・フートは言った。
「き、決まってます!ミハルを連れ帰るのです!あの子はまだこの世界にいるべきです!」
<<…………>>
沈黙。
常に明晰で冷静だった鎧の精霊が、まるで思索でも挟んで自分の世界に閉じこもろうとしているかのようだった。
<<――――――同意しかねる>>
「え?」
<<祝福者の引致は貴公が受けた聖務の目的と合致するものと考えられる。その妨害は貴公の服務規定に抵触している>>
愕然とする。
神々から賜った鎧の精霊……その判断は常に正しいものと信じていた。
それが今、無辜の少年を薬で眠らせて連れ去るようなやり口を是とするとは!
「あ、あんなやり方は正義ではありません!神々と法王聖下の権威は、行うことに間違いがないから人々から疑わず認められるのです!」
<<シスターオデットの行為は貴公への妨害とは認められない。正当な理由のない他の法王庁職員の職務への介入に当機は協力できない>>
「私の聖務はミハルを守ることです!」
<<使用された薬物から判断して、彼女に祝福者に危害を加える意図はないものと思われる>>
オデットが薬を盛ることを知っていて自分には何も言わなかったというのか。
忠勇たる鎧の静かな背信に、ファム・アル・フートは息を呑んだ。
「どういうつもりですか!」
<<騎士ファム・アル・フート。再考を求める>>
「何を考え直せと!?」
<<祝福者を聖都に連れ帰ることで貴公の聖務は完了する。合理的な方法と言える。当機の任務は貴公の聖務達成の補助である>>
オデットと同じことを言うのか。
何も知らない子供を無理矢理に異国に連れ出し、奉り上げて故郷に帰さないことが神の御業だとでも言うのか。
かっと反骨の気がファム・アル・フートの胸の中熱く湧き上がり、頭頂から熱く放散された。
「納得できません!」
<<警告する。貴公が正常な判断能力を喪失している場合、当機は貴公の行動を拘束する必要がある>>
「……分かりました、もう貴方には頼みません!自分の力で押し通します!」
言い捨てて、なりふり構わず玄関を出る。
方策も計画もあったものではないが、とにかく体を動かしていないと湧き上がる感情で血液が茹りそうだった。
<<騎士ファム・アル・フートに警告する。再考を求める>>
「私の腹は決まっています!後はただ猟犬のように走ることしか知りません!」
<<……了解した>>
ファム・アル・フートは敷石を踏み割らんばかりの勢いで正門から飛び出そうとした。
が、二歩目を踏み込もうとした時、糸が切れた人形のように不自然にその動きが止まる。
「――――――っ!?」
そのまま足を下ろしたところで、全身の関節が鉛に置き換えられたように猛烈な抵抗がかかってきた。
「"ファイルーズ"!?」
<<冷静な判断を要求する。騎士ファム・アル・フート>>
自分の全身が外側から締め上げられている。他ならぬ忠勇たる鎧の手によって。
鎧すら自分の意を受け入れてはくれない怒りと、身一つ思いのままにならぬ境遇に思わず視界がぼやけた。
「――――――ぐあぁぁ!」
這いつくばってでも前に進もうとするが、鎧がかけてくる抵抗は更に増した。
万力で据え付けられたように、肘も膝も完全に固められてしまう。
それでも。
「ッッッ!!」
辛うじて動く指先でアプローチに敷き詰められた石を掴み、前に進もうとする。
前庭を抜けて。門扉を過ぎて。その前の道に出る。
そして少年の後を追いかけるのだ。
あの頼りなく、線が細く、それでもあの月の夜自分をこの場所に繋ぎ留めた少年の手を今度は自分が握りに行くのだ。
<<騎士ファム・アル・フート。鎮静を求める。貴公の筋肉繊維への負荷は危険な水準に達しつつある>>
「黙っていなさい!」
<<これ以上の貴公の自傷行為は看過できない。鎮静剤を使用する>>
「体が動かなければ歯で殺します!眠らされれば夢の中で殺します!それが私たち"剣の僕"の流儀です!」
理屈も何もあったものではない。
信念と呼べるほどの理性もない。
狂信に近い感情の発露が、ファム・アル・フートの五体に止まることを許さない。
「…………!!」
鎧の中で固まったままの関節が軋み始める。
伸ばした腱は悲鳴を上げっぱなしだ。
伸筋が溶けるのではないかと思えるほどの熱を帯び始めた。肉離れが近いのかもしれない。
それが一体どうした!?
<<…………>>
ふっ、と拘束が緩んだ。
「あっ!」
貯め込まれていた自分自信の力で弾き出されて、顔から前のめりに石畳に倒れ込む。
「――――――ッ!?」
瞬時に顎が割れるか、歯が折れるのを覚悟する。
が、そうはならなかった。
ひとりでに動いた右肘が間に割って入り、上半身を支えた。
ファム・アル・フートの反応ではない。外から加わった力が勝手に右腕を動かし顔を守ったのだ。
「……"ファイルーズ"?助けてくれたのですか?」
女騎士の疑問には答えず、鎧は声を発した。
<<……貴公の行動理由を再度入力されたい>>
相変わらず鎧の精霊が発する声色は平板で抑揚というものが欠けていた。
しかし、そこにわずかでも……ひょっとしたら呆れか哀れみかもしれないが……情動のようなものを感じたのはファム・アル・フートの錯覚だろうか?
「……私のすることは、神々の意思です」
無視して即座に駆けだすのは自分の身を慮った鎧に対して忍びないと思い、ファム・アル・フートは訥々と喋りだした。
「私は今でも神の剣です。剣は斬る相手を選びなどしません。ただ神々とその御使いである神造裁定者の意に従うのみです」
<<再考を要求する。神造裁定者の命は祝福者を発見し確保することである>>
「違います!!」
これだけは譲れない。
法王庁も、オデットも、そして"ファイルーズ"も知らない神意を自分は受けている。
「確かに神造裁定者は仰いました!最後に!聞き間違えるはずもありません!」
<<…………>>
「私の『"エレフン"での出会いが幸せなものであることを切に願う』と!」
確かにそう言われた。
あの日、"白の塔"の中枢で賜った言葉は一語一句はっきりと覚えている。
「ここに来るまでその意味をずっと考えてきました!愚かな私ですが、今日その意味がようやく分かりました!」
<<……入力を続けられたし>>
「この地で最初に出会ったのミハルです!それから色んな出会いをくれたあの子には、自分の意思で選んだ生き方で泣いたり笑ったり怒ったりしていて欲しいのです!私は!!」
そのためなら何でもする。
自分の望みと神々の望みとが一つとなったのだ。
信仰を誇りとする者にとってこれ以上の喜びがあるのだろうか。
生きる目的のためならば、己は何だってしてみせる――――――。
「……籠の鳥みたいな生き方をさせられる人と、どうして幸せな出会いができたと言えますか?」
<<――――――>>
「そんな人と結婚しても、私は幸せにはなれない」
感情の激発と共に口から出ていった言葉たちは、もう鎧に対して説いているのか自分に言い聞かせているのかも曖昧になって来ていた。
それでも構わない、と思う。
これまで口から出てきた言葉は全て真実だ。
少なくとも騎士ファム・アル・フートという一人の人間にとっての真実だ。
何故なら、微塵たりとも自分は言っていることを疑ってはいないからだ。
が、返って来た言葉は冷徹なものだった。
<<……貴公の主張は理性的とは言い難い>>
「"ファイルーズ!"」
<<論理にも瑕疵が認められる。あまりにも感情と自我による主体的な価値観に依拠し過ぎていて、とても説得としては受け入れられない>>
相変わらずの無機質で平板な声に、女騎士は反論しようと深く息を吸い込んだ。
<<―――しかし、貴公が未だ聖務の途中と判断したならば、祝福者の保護は貴公と当機の責務である>>
返って来た言葉に、女騎士は目を見張った。
「"ファイルーズ"?」
<<……有意な情報の入力と認める>>
「"ファイルーズ"」
<<貴公の判断を基に情報を精査する。―――現在の状況を祝福者への不当拘束とその身心の自由への著しい危機と再定義する>>
「"ファイルーズ"!」
よろよろとファム・アル・フートは立ち上がった。
忠勇たる鎧の義心に応えるのに、這いつくばったままではあまりにも無作法だった。
「……ありがとうございます!」
<<当機の職責は貴公の支援である。謝礼は不要>>
……返答が普段よりもやや早口に聞こえたのは、ひょっとして照れ隠しだろうか?
きょとんとする女騎士を無視して、変わらぬ調子に戻った精霊の声はファム・アル・フートが今まで聞いたことのない概念を言霊にし始めた。
<<現状を第三種非常事態と判断。当機の機能を一部開放する>>
変化はすぐ起きた。




