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6_11 食事

 

 とにかく腹に何か詰め込まなければならない。

戦場では飲まず食わず眠らずで行軍し続けることなど日常だが、できる用意を怠り体に不要な無理を自ら強いるのは勇者ではなくただの愚か者だ。

……荒事になるかはオデットの支度と法王庁がどこまで本気かによるが、とにかくいざという時に体が動かないでは何にもならない。



 「おじいさまは……お留守ですね!」



 安川家に辿り着いて、明かりが消えて暗いままの様子に安堵の息をつく。

ミハルの祖父にうまく事情を説明することと、これからすることの了解を得ることの手間が省けた。

開けっ放しだった引き戸を開けて、靴を脱ぐのももどかしく邸内に駆け込む。

この世界の照明である蛍光灯というものは便利なようでいて、スイッチとやらを探し当ててうまく押すのは手甲をつけたままでは一度でなかなか難しいのは不便なところだった。


 廊下でちらりと居間の様子を横目に見るが、とりあえず空き巣に荒らされた様子はないようだ。

ひょっとしたら貴重品が盗まれていることが後で分かるかもしれないが……その時は弁済するしかあるまいと開き直る。


 目指す先は台所だ。

冷蔵庫という名の保冷箱の中には、仕込んでおいた肉と買い置きの野菜がそろっている。棚の中にはパンが、コンロの上の鍋の中にはじっくりと出汁を水出し中の特製スープがある。


 小さく頷く。これだけあれば祝宴だって開いてみせる。



「申し訳ありませんミハル。食材は全て使い切ります!」



 大急ぎで野菜の泥を落とすと、適当に切り開けて大鍋にぶち込んだ。そのままスープごと火をかける。栄養を無駄なく取るには焼いたり揚げたりするようも汁のまま摂取するのが一番効率が良い。


 塩漬けの豚肉を保冷庫から出して常温に戻す。次いでやはり大雑把に塩を振ると油を落としたフライパンにかけた。焼き加減を確かめる暇などない。とにかく火を通す。


 その間にパンを切り分け、保冷庫の中からバターを取り出した。エレフンのものは正直硬くて味気なくて好みではないがこの際贅沢など言っていられない。



 できあがったものから順番にテーブルに運んで、すぐに夕食の支度が整った。すっ飛ばした昼食の分も合わせてとにかく量を取らねばならない。



 「お許しください神造裁定者よ……。私は今日だけ大食の戒めを破ります……。以上省略!」



 超簡略化した速効性の懺悔と祈りをまとめて済ませ、まだ湯気を上げる豚の塩漬け肉にかぶりついた。漬け汁に置いてから時間が経っていないせいで味がこなれておらず刺々しい塩味で、火も通し過ぎていたがこの際味は二の次である。


 薄切りした食パンというものを片っ端から咀嚼して胃に収める。

飲み込みながら『どうしてこんなふにゃふにゃして食べた気にならないものを"エレフン"の人間は喜んで買い揃えるのだろうか?』と疑問に思った。

故郷の黒パンの酸味と滋味が入り混じった硬い食べ応えのある食感が懐かしい。機会があるかは分からないが、今度パン焼き窯を使う機会があればたくさん焼いて友人たちにも振る舞ってやろうと決めた。


 最後に特製のスープに取り掛かった。手間と時間をかけただけにこれを一人で片づけてしまうのは惜しい気がしたが、有事だけにやむを得ない。


 残った肉を使った栄養たっぷりのスープを、音を立てて啜り飲み込んだ。キャベツやネギに芋といった野菜もたっぷりと入っている、自分の手製ながら実に精力と発育に良さそうな味がした。


「美味しい……」


ふう、と軽く額に浮かんだ汗を拭う。母譲りの味、特製蛇スープの出来栄えに達成感と充実感が入り混じった幸福が体中を満たしていた。

 それだけに……。



「何故ミハルはこの味を嫌がるのですか!」



 思い返すだけでも腹が立ってきた。

こんなに美味しくて栄養のあるものを強いられていやいや食べるなど偏食にもほどがある。かような悪癖は真っ先に直さなければ。あんなだから体も小さく未成熟なのだ、きっと。



「帰ったら毎食作ってやりましょう」 



 実にいい考えに思えた。蛇を毎日自分で捕まえるのは大変だが、スーパーマーケットという名の市場は品物であふれていたから探せば蛇肉くらいすぐ見つかることだろう。



 ――――――。



 腹ごしらえが済んだところで準備に取り掛かった。


 革製の水筒に蛇口から水を注ぎこんで満杯にする。

本当はツヴァイヘンダーも研ぎ直しておきたいところだが、回転式の研ぎ機が無ければ本格的な研磨は無理だった。やむを得ず手持ちの砥石で刃先を磨きオリーブオイルを塗り込むだけにとどめる。拭き上げは羊毛だ。


 装具の紐とベルトに痛みがないか、再度確認する。

神の手になる"ファイルーズ"の手入れは方法が分からなかったが、とりあえず装着した状態で緩んだ場所や外れそうな箇所がないかを手探りで確かめる。もちろん万全だった。



 一刻も早くミハルを連れ戻しに向かいたかったが、改めてもう一度自分の身体と装備を確認する。急いてはことを仕損じるだけだ。


 それにオデットが急いで聖都に帰投する理由もなければ、自分がミハルを奪還する可能性を考えているとは思えなかった。

第一ミハルが馬に乗れるとは考えられないし、移動は当然馬車だろう。"黒の塔"から聖都に向かうには陸路を取るにしても海路を取るにしても山岳地帯の中でも大きな街道を選んで迂回する必要がある。自分ひとりならば馬さえ調達できれば半日や一日の遅れは取り戻せるはずだ。

 

 

 呼吸を整える。

目を閉じたのは覚悟を決めるためではなく、短い瞑想で感覚を鋭敏にするためだ。

腹はもう据わっている。

自分は新しく見つけたこの居場所と少年を守るととうに誓っているのだ。迷いなど残っているはずもない。



「――――――行きましょう!」



 誰ともなく宣言し、鉄靴で玄関の引き戸へと踏み出した。

その瞬間、一番大切なことを確かめるのを忘れていたことに気付く。



「……"アルド"にはどうやって帰れば良いんですか?」



 暗い日本家屋の中で、女騎士のつぶやきに応えるものは誰もいなかった。

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