6_5 お背中流します
「服はそこの棚の中に置いてね。はいお風呂道具」
脱衣場らしい所に案内してきたオデットが、何でできているのか分からない手桶のようなものと洋画に使う金属ヘラのようなものを手渡してくる。
「……?」
どうやって使うんだろうと首を捻っていると、オデットが声をかけてくる。ちょうど脱衣場の扉を半分開けて出ていこうとするところだった。
「ちゃんとお湯に浸かって体あっためるんだよ。じゃあまた後でね」
そう言って扉を閉めて出ていった。
「……」
ほっとしたようながっかりとしたような……、いや、やはり安堵感の方が優った。そのまま一緒に入るつもりなのではないかという期待、もとい危惧は杞憂に終わりそうだ。
数人が余裕を持って同時に着替えられそうな脱衣場で一人、おっかなびっくり服を全部脱ぐ。
「おっと」
ズボンを脱ぐ途中で、足に何か引っかかるものを感じた。
大事な銀時計と、ファム・アル・フートから借りた小刀をポケットに入れっぱなしだったことを思い出した。
「……」
そういえばファム・アル・フートは、自分がこっちの世界に連れてこられたことを知っているのだろうか?
どこか教条主義的なところがあるあの女騎士が、寝ている人間を拉致同然に連れ帰ることに同意するとは考えにくい気がした。
オデットの口ぶりだと彼女とはまた後で会うことになっているようだし、その時話すついでに返すことにしよう。
とりあえずこの場は貸し切りにしてもらえるようだし、誰も盗みはしないだろう。そう思ってそのまま脱いだ服と一緒にしておく。
「うわぁ……広っ……」
思わず声が漏れる。
浴室はちょっとした旅館の大浴場並みの広さがあった。
中央には何故か一段高く四角い大きな大理石が積まれており、その向こうに床を掘り下げる形で湯気が立ち込める浴槽がある。
天使だか聖人だか良く分からないが無言でこっちを凝視してくる人物大の石像が部屋の隅の四方を固めていて、その中を大理石の床をおっかなびっくり進んだ。
鏡も蛇口も見当たらない。どこで体を洗えばいいのだろう?
「これ何に使うんだろ……?」
手桶の方はまだ意味が分かるが、渡された金属ヘラは全く持って使い道が思いつかない。
体を洗う道具というよりその辺の床の湯アカやカビを掃除するのに使うと言われた方がまだしっくりくるような気さえする。
「スポンジとか垢すりとかないのかな……?」
何はともあれ風呂は風呂だ。
手桶を洗面器代わりにして、浴槽の側でお湯をすくって二、三度頭から被る。湯加減はちょうどいい。
浴槽の隅の流入口から猛烈に湯気が立っているところから見て、温泉ではなくボイラーか何かで温めたお湯を流し込んでいるらしい。
「何かイメージ違うな……」
ミハルが思いつく西洋の風呂といえば、赤ちゃん用のお風呂の超大型版といった趣の浅くて猫足のついたものに浅くお湯を張って手足を投げ出して浸かるイメージなのだが、なかなかどうしてこの浴場は日本の銭湯と比べても遜色がないではないか。
思い切ってお湯に飛び込む。
広過ぎてなんとなく落ち着かないので浴槽の端っこに、だが。
「ふぁぁぁ……」
熱いお湯に浸かる快感がすぐに全身を覆っていった。
汗も埃も疲労も、お湯に溶けて体から染み出していくようだった。思わず緩み切った声が出てしまう。
今ごろうちはどうなっているだろう。
おじいちゃんは心配しているだろうか。
警察に捜索願とか出されているのだろうか。
入学して以来無遅刻皆勤を貫いてきた学校はどうなるのだろう。
そんな不安もこの瞬間だけは忘れることができそうな気がした。
「あー……、気持ち良い。最高」
思う存分手足を伸ばして湯船の縁に頭を、湯船の中でクラゲの真似をしてみる。普段使っているユニットバスではできない風呂の入り方だった。
どこまでが自分の身体でどこまでがお湯なのか判然としないくらい神経が蕩けてしまったところで。
いきなり浴場の扉が開く音が聞こえてきた。
「お背中流しまーすっ!」
「うわぁぁぁ!?」
完全に油断しきっていたところで甲高い声をかけられ、思わずばしゃばしゃとお湯を跳ねてしまう。
「あははは、びっくりした?それとも嬉しい?」
「な、な、なっ……!?」
一糸まとわぬ修道女が、肩まで伸びた亜麻色の髪を揺らして笑いながらすたすたと浴槽に向かって歩いてくる。
何故か銀色のペンダントだけは首にひっかけているものの、その他は本当に何も身に付けていない。
まだ湯に入ったばかりだというのに、ミハルは茹で上がったように顔中真っ赤になった。
あまりのことに気が動転して、顔を背けることも手で覆い隠すことも忘れてしまう。
湯気の中でこっちに向かって歩いてくるのは、成熟した大人の女性の体だ。
まろやかな曲線で構成されているのは以前見たファム・アル・フートの裸身と同じだが、オデットの方が年長の分だけよりより熟れた果実を思わせるアールを描いている。
局部や恥部を手やタオルで隠そうともせず、むしろ誇示するかのように堂々としていてむしろ男らしいくらいだった。
鎖骨と少し離れてから急速に盛り上がっていく乳房も。
やや尖り気味の乳蓋と乳首も。
たっぷりとした量感を持ってせり出した腰回りも。
小気味良い角度の逆三角形に吊り上がったデリケートゾーンも。
(見ちゃった!見ちゃった!)
ばっちり見てしまった。
辛うじて意識と繋ぎ止められていた超自我が、自分が裸の女性を凝視しているという事実を最大音量で警告してくる。
なんだか理不尽な気がするが罪悪感と後悔でいっぱいでなりながら、ミハルは両手で顔を覆って叫んだ。
「な、何かつけてください!」
どうして咄嗟に『出ていってくれ』という言葉が出ないのかと自問自答しかけたところで、即席の暗闇の向こうから怪訝そうな声が返ってくる。
「何?ああ、最近聖都で流行ってる浴場用の服とかいうやつ?」
何か勘違いさせてしまったらしい。
無粋を咎めるチッチッという舌打ちが、思っているよりもずっと近い距離から返ってくる。
恐らくは手を伸ばせば浴槽の縁に立つ女体に触れられるはずだ。ミハルはますます全身をこちこちにした。
「良いかね坊や。神々の意思で作られたこの美しい世界の中で私が許せんものが二つある」
「……何の話!?」
「一つはピッツァをナイフで切ってからフォークで刺して食うやつ。もう一つが服を着て湯船につかるやつだ!」
「意味が分かりません!」
まぶたの裏側に浮かんでくる柔らかな女体の像を必死に打ち消しながら、哀れな少年は絶叫した。




