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6_3 宴席

 オデットの言う通り馬車は本当に上下に揺れて悪路の状況を車内までいちいち伝えてくるので、腰骨と座席の間に挟まれた尻の肉が痛くなった。

普段何気なく乗っている自動車というのは本当によくできているのだな、とミハルは技術というものに対して敬意を払ってこなかったことを反省したくなった。

技術者たちに対しては何もできないが次に車に乗るときはせめてもうちょっと真摯な気持ちになろうと決めた。

……次の機会が果たして自分に訪れるのかは少年には判断のしようもなかったが。




「見えたよ、到着―ーー!今夜はあそこに泊まるよ」


 薄明かりの中、夜道を走ってたどりついたのは湖畔に立つ古城だった。

断崖と湖を背にして、高所から街道を見下ろしている。この地の領主の居城である、とオデットが隣で補足してきた。

洋風の城と言われるとどうしてもおとぎ話に出てくる、悪い魔女が占拠した尖った尖塔とそびえ立つ城壁を思い描いてしまうミハルだが、そこは大分趣が違った。

低くても頑丈そうに石を組み合わせて造られた堡塁と角度を変えて掘られた空堀で構成されていて、ちょっとした軍事要塞といった感じだ。

観光地にするには人気が出なさそうだが、代わりに大砲の2,3発を打ち込まれたとしてもびくともしそうにない安定感がある。




 お約束通り城門前に備え付けれた昇降式の跳ね橋が渡されていて、馬車と周りの騎士たちはそのまま城内の中庭まで入っていた。



「おつかれさまー!ささ、降りて降りて」



 オデットに言われるまま開かれた馬車のタラップを踏みしめると、いきなり歓声が浴びせられてきた。

見ると、なんと中庭は人で埋め尽くされている。城に詰めている人間全てが勢ぞろいして居並んでいるらしい。

衛兵らしい兵士が持っている松明の光に照らされて、驚きと恍惚に顔を輝かせている人の群れが目に飛び込んできた。

金属製の鎧を着ていたり、舞台くらいでしか見たことがない時代がかった衣装を男女問わず自然に着こなしていて、ますますミハルはここが自分の知っているそれとは違う世界なのだという思いを強くした。



「――――――っ」

「あはは、大丈夫大丈夫。下りてらっしゃい」


 

 尻ごみしていると、先に馬車から下りたオデットが手を引いてくれた。やはり客室の高さに苦労しながら石畳の上に降りる。



「―――、―――、――――っ!!」


 

 何やら獣の鳴き声のような異音が耳に飛び込んできて、思わずミハルはぎょっとした。

見ると人混みの中から黒い髭をてかてかと光らせた太った男が進み出てきて、にこにこと相好を崩している。指輪といい服といい周りの人よりも一段と豪奢なものを身に付けている。

丸い顔の真ん中にある分厚い唇からけたたましい声を発しているが、何を喋っているのかは皆目分からなかった。



「え、何?」

「この土地の領主サマ」

「領主?」

「歓迎してるって。挨拶してあげて」



 餌を食べ過ぎたカエルのような姿からは威厳も何も感じられないのだが、とりあえず嬉しそうに太い手で自分の胸を叩く様子からは悪意は感じられなかった。

仕方なく少年はおずおずと右手を差し出した。



「……?」



 カエル領主が目を丸くし、笑いが戸惑いで止まる。

それまで目を輝かせていた群衆の間で、ざわざわとした空気が広がりだした。

かといってミハルとしても差し出した手を引っ込めるのは失礼な気がして、そのまま宙にぶらりと突き出したままにするしかなかった。


 お互いの動きが止まり、嫌な空気が流れ始める。

見かねたオデットが隣に寄ると、そっと耳打ちしてくる。


「えっと……。何かな、それ」

「何って、握手」

「アクシュ?」

「え、挨拶でしょ?」

「ははぁ、なるほど」



 得心して頷いたオデットが、領主と群衆に向かって告げた。



「彼の国の挨拶だそうです!」



 それを聞いたカエル領主が、安堵に再び頬を緩めた。

おどけた様子で短い自分の右手を突き出してくると、満足そうに何度もうなずいてくる。

どうやら何か不幸な勘違いがあったようなのだが、敢えて無理に手を握るのも悪いような思いがミハルに手をひっこめさせた。



「―――、―――、―――ッ!」



 領主は背後に居並んだ人々に真面目くさった口調で―――何を言っているのかは分からないが少なくともそういう声色に聞こえた―――何事か告げると、群衆からどっと笑いが漏れた。

カエル領主はぴょこぴょこと歩くと、前列に並んだ兵士や女性に右腕を突き出す謎の動きを繰り返し始める。

その度に人々は大ウケして肩を震わせて笑った。



「……」



 いたたまれなさと、苛立ちというにはささやかだが不快感がミハルの中に湧き上がった。

例えばクラスの中で生徒の一人が冗談を言っているのに、自分だけが笑いの輪に入れない時のような疎外感に近いものだ。

あくせく人々を笑わせて回る領主はもしかして挨拶も知らないミハルに恥をかかせまいと懸命におどけているのかもしれないが、こっちの習慣に無知なのは自分の責任ではないと思わずにはいられない。



「次からは右手で自分の胸を軽く叩けば良いからね?」



 小さく苦笑いを浮かべながら、オデットがそっと肩に手を置いてきた。



「それが男の正式な挨拶なの」

「手を握ったりしないんですか?」

「うーん……少なくとも男同士が人前ではやらないかな?」

「女の挨拶は抱き合うのに?」

「なんで知ってんの?あ、ファム・アル・フートか。真似しちゃダメだよ色情魔だと思われちゃうから」



 異文化理解って難しいな、とミハルが内心でため息をついたところで、ファム・アル・フートもひょっとして同じ気持ちだったのだろうかとはっと気づいた。



「そんなことよりご飯ご飯♪」



とオデットが背中を押してくるせいで、女騎士のことを思い返そうとしたミハルの意識は急速に現実に引き戻される。

衛兵が真面目くさって槍なのか斧なのか良く分からない武器を捧げ持つ中、おっかなびっくりミハルは城内の居館へと入っていった。

 


 

 食事と聞いて一人で食べるものと想像していたミハルは、群衆の中から見なりの良い人たちが後をついてくるのを見てひょっとして宴会なのかと驚いた。

広い食堂では、大きなテーブルに赤い特大のクロスが敷かれ、すでに皿と椅子が人数分並んでいる。

侍従らしい男に勧められるまま、一番奥の席の真ん中から一つ外れた場所に座らされる。それがどういう意味なのかは隣に例のカエル領主がどっかりと腰を下ろすのを見てようやくわかった。ホストにもてなされる客席といったところのようだ。

 領主の関係者や地方の有力者と言ったところだろうか。20人ほどの年齢を問わない男女が案内されて部屋に通されてきた。



「まだ食べないでね。乾杯は領主が肉を切り分けてから」



 ドレッシングのかかったキャベツやアーティチョークのサラダを見てフォークに手を伸ばそうとしていると、ちゃっかりホスト席とは反対隣に座ったオデットが制止してくる。

見ると、侍従数人がかりで運ばれてくる大皿には羊らしい四つ足の生き物の丸焼きが香草や野菜の山と一緒に乗せられていた。

目の前のテーブルにどっかりと皿を置かれ、こんがりと焼き目のついた元は目玉のあったであろう場所が目に飛び込んできてミハルは思わず背もたれに背中を押し付けていた。



「―――、―――、――――」



 いつのまにか肉切り包丁を手にしたカエル領主が、何事か客に向かって告げた。

ジョーク混じりの挨拶らしい。客たちの間に笑顔が広がった。

見ると、隣のオデットまで小さくくっくっと笑いを漏らしていた。



「何て言ったんですか?」

「―――っ!……あのね、『美味い部分を切り分けるのはコックがするから安心してね』だって」

「……?」



 どういう意味か分からないでいるミハルの横で、カエル領主が包丁で丸焼きの首辺りに切れ目を入れた。

すぐに侍従たちが戻って来て、大皿を持ち上げて運んで行ってしまう。どうやら食べやすい大きさに切ってから再び持ってきてくれるようだ。



「はい。乾杯。飲む振りで良いからね」



 足早に陶製の容器を持って、侍従たちが駆け回ってグラスにワインを注いでいく。

ミハルの席のものにも並々と注がれた。ワインの良し悪しはミハルには分からないが、波紋を作る液体から漂ってくる香辛料のようなか花のような芳香は良い匂いのような気がした。



 カエル領主が何事か一同に告げ、乾杯の音頭を取っているようだ。一斉に立ち上がった客に釣られてミハルも腰を浮かす。

それを見て満足そうに頷いたカエル領主が、ワイングラスを掲げ持ったところで。



 ……ガッ、ガッ、ガッ――――――!



 石敷きの床を鉄靴で踏み荒らす無粋な音が宴会場を満たした。

一同が何事かと視線を走らせると、食堂の入り口から例の黒服の騎士たちが乗り込んでくるところだった。

鉄靴どころか、6人全員例のフルフェイスの鉄兜を着けた旅装のままだ。

顔をしかめる客たちの座席を肘で押しのけるようにして、有無を言わせずミハルの座った席の周りを囲んでどっかりと仁王立ちを始める。



「…………」



 一切表情がうかがえない仮面の下で冷たい目が自分を刺し貫いていることが分かって、ミハルは思わずつまんでいたグラスをテーブルに戻した。



「―――――――チッ」



オデットが苛立たし気に舌撃ちする。

せっかく用意した宴席を無粋な傲慢さで台無しにされたカエル領主は、立場を守るためなのか表立って不快さを露わにはしなかったものの、やや高い音で咳払いを一つした。



「……乾杯」



 興覚めそのもの、と言った声で呟いたオデットに合わせてミハルも慌ててグラスを持ち上げる。

カエル領主が少しだけ残念そうな目でグラスを打ち合わせてきた。乾杯などもちろん初めてなので腰砕けのまま受けてしまう。そのままカエル領主は大きな口で一息でワインを飲み下してしまった。

それを待っていたかのように、客たちが列をなしてミハルの席までやってきた。

流石に全員乾杯をしようとはしなかったが、何事か呟いたり視線を合わせてから会釈をしたりグラスを持ち上げたりしてくる。

大柄な騎士たちが背中側からじっと見ている前でどう応じれば良いのか分からず、ミハルはひたすら会釈を繰り返す羽目になった。



「はい、そこまで」



 一通りの挨拶が終わって、食事前からふらふらになってしまったミハルを見てオデットが一同に向かって告げた。



「祝福者サマはお疲れだから、もう部屋で休みます。残りの料理は運んできてね、よろしく!」



 言い切った修道女の声にカエル領主は驚いたようだが、ちらりと背中側の黒服たちを見て思うところがあったらしい。分厚い両手の平を向けてざわめきだした客たちをなだめにかかった。



「相手させて悪かったね。後は部屋でゆっくり食べよう」



 オデットは少年の手を引くと、立ち上がらせてその場を後にしようとした。



「……」

「あによ、アンタたちだってそっちの方が護衛しやすいでしょ」



 途中で見咎めた鉄仮面に吐き捨てると、慌てるミハルを連れて食堂を退出する。




「あいつら、第四大隊から勝手に来た連中でね。アタシの一存じゃ動かせないんだ」



 居館の客室らしい空間に向かう途中で、オデットはささくれだった気分のまま吐き捨てた。



「アタシはピッコローミニのおっさんに迎えを寄こしてくれるようちゃんと言ってあったのに。トスカネッリの旦那は何考えてんだか……!」



 ぶつぶつと呟いていたオデットだが、ミハルが乱暴に引かれる手の痛みに軽く眉をしかめたところではっと振り返って来た。



「……ごめんね、坊やには関係なかったね」



 取り繕うように笑いかけてくる。



「何も心配しなくていいんだよ。ご飯でも寝る場所でも女でも、坊やには不自由な思いは絶対にさせないから」

「……」

「さあ、部屋でさっきのお肉食べよう!」


そう言うとミハルの肩を抱くようにして、オデットは客室へといざなって行った。

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