6_1 車輪の上
――――――。
……子供のころ、よく週末は車に乗って郊外まで遊びに連れていってもらえた。
ショッピングやレジャー施設よりも、公園や山といった場所の方が多かった気がする。
連れていってもらった先で草の上を走り回り、木にもたれてふざけては両親をはらはらとさせていた。
黄色い声を上げ、両親から声をかけられては飛び上がっていたが、心から楽しんでいたのとは少し違う気がする。
自分がはしゃいで目を引いていないと、親同士の間にある子供心に感じた微妙に張りつめた何かをせっかくの休日に思い起こさせる気がした。
そう考えると申し訳なくて、やりきれなかったのだ。
それでも家族で過ごせる時間は嬉しくて、出かけた先はたとえ名前も知らない何もない野原でも大切な場所になった。
いつかまた来たいと頑張って車の四角い窓に貼りついて道を覚えようとするのだが、いつも果たせず寝入ってしまうのだ。
車の後部席で揺られている間、何故だかとても気持ちよく深く眠れたから……。
持続的な振動が、心地よく微睡を彩ってくれたのはそこまでだった。
地面のくぼみか、それとも地面に落ちていた障害物に車輪を取られたのか、低く鈍い音に続いて大きな揺れが伝わってくる。
「……!」
体が大きく跳ね、拍子で後ろ頭をぶつけてしまう。
その衝撃と痛みがミハルを覚醒させた。
「ちょっと!気をつけてよ、大事なお客さんなんだよ」
隣で慌てた声が飛ぶ。
目を開くと、黒い修道服を着た女が立ち上がって、何やら前方に設けられた小さな窓に向かって注文をつけているのが見えた。
……修道服?
うすぼんやりとした目で周りの状況を見渡す。
暗くて大雑把な陰影くらいしか分からなかったが、小さな室内にいるようだった。中の差し渡しは大人が目いっぱい両手を伸ばすには少し窮屈なくらい。
布製の覆いがされた椅子に木製の調度。中央には狭いテーブルが据えられている。
どうやら扉があるらしい両側には分厚いカーテンが下ろされ、外の様子は伺い知れない。
(……どこだ、ここ?)
寝起きとはいえ、妙に回転のにぶい頭で記憶のページをめくる。
確か、ファム・アル・フートと外をうろついていて。
思わず出会った彼女のお客さんをうちに連れてくることになって、お茶を飲んでいたことは覚えている。
その後でものすごい睡魔が突然襲ってきて……。
「……」
それきり記憶に大きな断絶がある。
どう見てもここは家の中ではない。
一体何があった。
ファム・アル・フートはどこだ?またあいつが何かやったか?
「あー……おはよう。メンゴメンゴ。目、覚めちゃった?」
目をぱちくりさせたところで、振り返ったシスターがこちらの様子に気付いた。
「しばらく止めてくれる?そうそう、休憩。レセンには今夜中には入れば良いんでしょ?」
小窓に向かって小さく指示してから、設けられたカバーを閉じたシスターはさっと小部屋の天井に手を伸ばした。
なんだろうと思ってミハルが見上げると、ちょうど彼女の白い手がマッチを擦って取り付けられたランタンの隙間から火を灯すところだった。
ぱっと、油の染みついた灯心からあふれ出た黄色い光が中を満たす。
なめらかなビロードに覆われた椅子、手の込んだ彫金が設けられたテーブル、複雑な色模様の螺鈿細工の付いた天井と、様々な色の本流が寝起きの目に飛び込んできて痛くなるくらいだった。
暗がりの中では分からなかったが、想像よりずっと豪奢な内装の場所で寝入っていたらしい。
「あんまり明かり点けると良くないんだけどね……。この辺り野盗が出るらしいからさ」
ばつが悪そうに小さく笑いながら、シスターがテーブルをよけて隣に座ってくる。
「馬車って結構揺れるでしょ?不便だよねー。お尻痛くなってない、大丈夫?」
「……」
「アタシも苦手なんだ。遅いしお金かかるし通れる道は選ぶし、何よりこう……男らしくないしさ」
……馬車?
まだはっきりしない頭が辛うじてその単語の意味をつかみ取るが、しかし状況の理解にはつながらない。
ようやくしずしずと困惑が胸の内から這い上がってきた。
いったい何の話をしているのだろう。
ここは馬車の中なのか?
何故自分はそんなものに乗っているのだ?
というより今は何時だ?
もう見慣れた顔の女騎士の姿がないのはなぜだ?
とにかく何があったのかを聞きたくて仕方なかったが、ほとんど知らない相手……それも初めて見る聖職者の女性というものにどう接すれば良いのか分からず、ミハルは口あぐんだ。
「あの……」
「オデット」
「え?」
「アタシの名前。親しみを込めて『お姉ちゃん』でも良いゾ!」
少年の戸惑いを知ってか知らずか、底抜けに明るい声で得意げにそう言うとオデットと名乗った女はずいと身を乗り出してくる。
「……」
一体どんな顔をすればいいか分からず、ミハルは押し黙った。
「あれ?外しちゃった?」
「いや、その……」
よほど鉄壁のネタのつもりなのか心外そうにするオデットに対して口ごもりながら、ミハルは本当にこの人は修道女なのだろうかと思った。
少年にとってのシスター像は大昔にテレビの再放送で断片的に見た『天使にラブソングを』のイメージくらいしかないが、あの映画に出てくるいわゆる破天荒なシスターはクラブ歌手の変装だった。
目の前にいるのは元マフィアの愛人でもなければ、聖歌をブルースにアレンジする困ったちゃんでもなく、どうやら本当に本職らしい。
「……」
のはずなのだが、こうなんというか信徒を導くたおやかで敬虔な聖職者のイメージは微塵も感じられない。
(ファムといい、こっちの女の人ってこういうのばっかりなんだろうか?)
などと本人たちが聞いたら怒りだしそうなことまで考えてしまうミハルだった。
いわゆるテンプレートな職業に対するイメージというものは彼女らには通用しないようだ。もっとも、ミハルが抱く女騎士像や修道女像がどこまで実際のものに近いのかははなはだ怪しいのではあるが。
「……どこなんです?ここ?」
多少の勇気を使ってそう聞いてみた。
「今?”黒の塔”から50カルくらい進んだ、トラキアの東の国境らへん」
「え?」
「あー、こっちの地理は分かんないか。ここが聖都だとして、こう東に向かって海と山を越えた先にイリュリアがあるでしょ?その山の中……地図があったら良かったんだけど」
テーブルを何かの地形に見立てて、シスター・オデットは指さしながら何とか説明しようとしてくる。
初めて聞く単語にミハルはちんぷんかんぷんになった。
遊んだことのないロールプレイングゲームの攻略本をいきなり朗読されているような、前情報がまるで足りていないものを説明されるとき特有のついていけない戸惑いだった。
というより、何故自分がそんな説明をされているのか、そのこと自体に少年の理解が追い付いていない。
「……」
この頃になってようやく頭の中から睡魔の白いもやがおおよそ取り払われてきて、おぼろげながらシスターの言わんとすることが掴めてきた。
言っている地名や繰り返す言葉は理解が及ばなかったが、そういう単語を用いでもしなければ話すことさえできない状況に自分はいるようだ。
例えば、それまでの環境とは全く隔絶した、想像もしたことのないような場所にいるとか―――。
「……もしかして、日本じゃない?」
「ニホン?ああ、”エレフン”のことね。そうそう!」
ぱん、とシスターが両手を合わせて打ち鳴らす。まるで友人の慶事を耳にしたときのように、喜ばしくて仕方ないといった顔で。
「まずそのことから説明しなきゃね!おめでとう。坊やは歴史上”流亡の民”の中で初めて、法王庁に招かれてやってきたお客様です!」
パチパチパチ、と口で言いながらシスター・オデットは本当に拍手を始めた。
「――――――えっ?」
「ようこそ神々に祝福された土地……”アルド”へ。神造裁定者に選ばれた祝福者さま♪」




