5_13 どん底
しばしの慟哭と憔悴の後。
ファム・アル・フートは、ふらふらと安川家を後にした。
その場に留まり続けることに言い様のない恐ろしさを感じた。
もし外出しているらしいミハルの祖父と鉢合わせでもしたらと思うと、とても恐懼に耐えられそうになかった。
千鳥足で邸外に出ても、もうオデットとミハルの姿はどこにもない。
高くなった太陽から柔らかく明るい春の日差しが照りつけ、自分の影を小さく敷石の上に刻み付けている。
「……”ファイルーズ”」
弱弱しく忠勇たる鎧に呼びかける。
「”ファイルーズ”?私は、どこに行けば……」
沈黙しか帰っては来ない。
いつまで待っても、返事はもたらされなかった。
「……」
途方に暮れる。
オデットの言う通り”アルド”に帰れば良いのだろうか。
それとも、このまま”エレフン”に留まって何か方策を巡らすべきなのか。
でも、何を?どうすれば良い?
自分はどうするのが一番正しいのだ?
韜晦はいつまでも要領を得ず。思考は漠として形を成さない。
薄弱な己の意思を呪いながら、女騎士はあてどなく表をうろついていった。
――――――。
気が付けば、駅裏の路地に来ていた。
全く何も知らないところへ行くのは恐ろしかった。
辛うじて凧の糸を指先で握っているように、微かに残ったこの世界とのよすがが完全に途切れてしまいそうな気がした。
かといって、誰か自分を知る者の前に出るのはもっと怖くて仕方なかった。
ミハルが連れていかれるのに任せた自分の後ろ暗さをそれだけで責め立てられるような思いがした。
結果として、どちらも選ぶことはできず、女騎士は中途半端な選択をした。
全く見知らぬ場所とは言えぬ路地裏の、誰もいない時間帯を選んで一人で孤独に慰められるという消極そのものの心理で自分を甘やかしたのだ。
こんなところで愚図愚図としていても何もならない。
そんなことは分かっている。
分かっていても、心が身体を動かす気力を奮い立たせてはくれない。
体は気分を高揚させる生気を発してはくれない。
ばらばらの心身を抱えて、ファム・アル・フートはざらざらした日陰のアスファルトに腰を下ろす。
じめじめした寂しい場所は嫌いなはずだったが、今の自分にはお似合いな気がした。
結局、自分にはこの世界ではこんなところで悶々としているのが関の山かもしれなかった。
ずっと何かに駆り立てられるように自分の居場所を探し求めて来た気がしたが、力量と度量に見合うのはこの程度かもしれない。
(私の居場所は、今までずっと誰かに与えてもらったものばかりだ……)
いつも誰かに守ってもらうばかりだった。
故郷では父の名に。
聖都ではアルカイドとオデットに甘えて頼ってばかりだった。
初めての自力のみで与えられた聖務でもろくに成果を残せず、偶然と哀れみで拾い上げてくれたミハルがたまたま祝福者だっただけ。
何一つ自分でなしていない自分の、どこが騎士なのか。何が神の剣だ。
今こうして、どうしたら良いか分からず震えている小娘が本当の自分なのだ。それを隠して荘厳な言葉で飾り立て、剣と鎧に頼って自分を強く見せつけようとしてきたのではないか。
(……でも)
心の奥底で、全てがそうではないとちっぽけな自意識が叫んでいる。
この一週間。ほんのままごとのような共同生活だが、ミハルとの間には何かを残せたのではないか。
マドカが言ってくれたように自分が彼の心の中で寄り添えたのかは、乏しい経験では確信が持てない。
だが、ミハルの隣ではほんの少しだけ自分が守る側の方に立てた気がした。
気が小さくて短気で口が悪くてでも繊細な少年には怒られてばかりだったが、ほんのひとかけらでも自分の居場所を認めてくれていたと思いたい。
だから彼は自分の手を握り、赦してくれたのではないか。
「……もう遅いですよ」
だが、その機会はもう永遠に失われてしまった。
彼を守ると口先だけで叫びながら、その人生から選択肢を根こそぎ奪い取ることに加担してしまった。
よりによって、自分が引き入れた親友の手によって。片棒を担いだのも同じだ。
「……」
手に入りかけた大切な何かを失ったしまった。
そのことを再認識すると、目頭が熱くなってきた。
もう少しで焼きついて耐えきれなくなりそうな神経を慰めるための涙が頬を伝う。
泣くことは壊れそうな心の防御反応だと思い知る。
自己憐憫の涙は甘く、苦かった。
膝を抱えたまま、迷子の女児のように女騎士は泣きじゃくった。




