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1_6 花嫁修行(2)

「や……やめなさい、オデット!」



 長いまつ毛をかすかに震わせながら、ファム・アル・フートは決然と言い切った。



「一人の騎士として……いえ!善良な信徒として、そのような恥知らず真似はできません!」

「生憎だがね、ファム・アル・フート。『綺麗に生きたい』なんてモットーは、大人の世界じゃ通用しないのさ!」



 そう言ってオデットは、手にした"恐ろしいもの"を威圧するように揺らした。



「さあ……観念して、着ているものを全部脱いでもらおうか」

「断固拒否します!」

「アンタに選択権はないんだよ……だったら実力行使だ!」



 修道女は、言うが早いかドレスルームの壁に追い詰められた女騎士に向かって 飛びかかった。



「さっさとこのスケスケでエロエロな婦人下着(ランジェリー)に着替えろ!!」

「嫌、絶対嫌です!」


 オデットの手には、レースとステッチがふんだんにあしらわれた高級下着がハンガーごと握られていた。


 トップスもアンダーもぎりぎり局部を隠せる程度の範囲しか覆っていない上、編み上げのレースは場所に応じ細い糸が使われシースルーとなっているなかなか過激な一品である。



「その上からあのヒラヒラでギリギリのドレスを着るんだ!」

「嫌――――!なんですか、あの胸元と腰布は!ほとんど娼婦ではないですか!」


 ドレスルームの端から、もみ合いを始めた二人を半分呆れた目で見るスタイリストの手には、これまた"平原の都"が手掛けた 高価なドレスが用意されている。

首から胸元まで大きく開いた最近流行のデザインに加え、丈が床近くまであるくせにスカート部分には深い切り込みが入れられ太腿が大きく露出するようになっている。

ファム・アル・フートならずとも聖都の"良識ある"婦人から見れば思わず眉を潜めたくなる品だった。



「今日から人に見られるのもアンタの仕事になったんだよ!こんな野暮ったいコルセット、さっさと脱いでしまえ!」

「やめて―――!」



抵抗空しくファム・アル・フートはオデットに組み伏せられ、上半身をガチガチに固めるコルセットの留め金を次々と外されていった。



「くっ……!騎士たる者にこのような恥辱を……!」

「神様の命令は騎士の誇りより上位にあるの さ!ふふふ、次はおめかしの時間だぞぉ」

「け、化粧までするのですか!?騎士は虚飾を忌むものです!」

「バカ。顔にアザ作ったままで式典に出るつもり?」



 生まれたての小鹿のような足取りで、ピンヒールのパンプスでよたよたと歩くファム・アル・フートをオデットが化粧室へ連れていく。


三面の鏡台の前で、日焼けしたスキンヘッドで肩幅の広い男性が待ち構えていた。



「まぁ、なんてキメが細かくてノリが良さようなお肌なのかしら!んもぉ、これでケアさえ毎日してたら百点満点なのに!」


 "メイクアップアーティスト"を自称する男(ファム・アル・フートはそんな職業が存在することすら知らなかった)が、くねくねと腰を振りながら女騎士の顔をいじくる。

オデットになかば力づくで鏡台の前に座らされたまま、見た目とは裏腹に精妙な動きをする男の指で顔を揉まれ、こそばゆい化粧筆で輪郭をなぞられ、高価そうな化粧品を塗りたくられた。


「多少ハデになっても良いから、アザだけはしっかり隠しといてくんな」

「ウフフ、お任せなさい!」

「この子、口紅もアイシャドーも生まれて初めてだから、いっそ思いっきり派手な色使ってやって」

「あらまあ、ウブなのねえ……!」


 後ろ暗い含み笑いをもらしながら、ニューハーフっぽいスタイリストと不良修道女が自分の顔面を好き勝手に改造していく算段を立てていくのを、ファム・アル・フートは麻酔無しで手術を受ける患者の気分で聞いた。


「い、いっそ殺しなさい――――――!」

「化粧くらいで何雰囲気出してんの、バカ」


 背後で金色の髪に櫛を入れながら、オデットが呆れた声を出した。



 ……その後も何度かの悲鳴と抵抗しては鎮圧される音が室内から聞こえてきた後、ようやく女騎士は支度を整えて部屋から出てきた。



 「終わったか」


 相変わらず眠そうな目をした隊長のピッコローミニが、廊下の壁に背中を預けながら待っていた。


 ファム・アル・フートは、眼の下にどんよりとクマを作ってよろよろと進み出た。


 例の煽情的な緑色のドレスに加え、白い胸元には大粒の真珠がこれでもかとあしらわれたネックレスが輝いている。


これだけでも彼女の故郷の領民では数世帯が一年間食べるに困らない額をしていると聞いて、女騎士 は蒼白になった。


服に加えてその他の髪留めやイヤリング、スタッフの人件費やこのホテルの滞在費まで含めれば聖堂騎士団に届く請求書の額はどれほどになるのだろう。


清貧を尊ぶべき騎士にあるまじき背徳感が、先刻まで着ていたコルセットとは日にならない圧力をかけて女騎士の良心をぎりぎりと締め上げてくる。



「……なんで疲れ切ってるんだ?」

「まあ色々あったんすよ」


 乱れたケープこと自分の後れ毛を払いながら、オデットがやや乱雑に答える。



「汚された……お父様、申し訳ありません。私は汚れてしまいました……」

「ほら、背中曲げない。大股で歩かない。ちゃんと笑顔を振りまく」

「本当に大丈夫か、おい」


 連れ立つ修道女に引きずられるようにして、沈鬱な顔のままの女騎士は高級ホテルの廊下を歩いていった。





 法王庁が、神の御使いによって聖務が下されたことを世俗に公表したその日から、ファム・アル・フートの生活は一変した。


法務聖省と聖堂騎士団によって盛大な祝賀式典や記念行事が続々と組まれ、息つく間もないほど過密なスケジュールが組まれてしまった。



 まずその手始めとして、本部の宿舎にあった彼女の部屋は引き払われてしまった。


 『聖務の準備には狭すぎる』というのが理由で、ほとんど誘拐されるような勢いで荷物ごと連れ出された女騎士は、聖都で一番の高級ホテルの最上階を貸し切りであてがわれることになった。



 「こ、こんな高価な部屋!私には贅沢過ぎます!」

「良いじゃん。こんないい部屋タダで泊まれるんだから」


 踵まで沈みそうな長い毛の絨毯の上を右往左往するファム・アル・フートを尻目に、監督官兼教育係として同行してきたオデットは役得を満喫するように高価なソファにどっしりと腰を下ろすのだった。


 『全力を挙げて支援する』というトスカネッリ団長の言葉は嘘ではなかった。彼女の周囲には何人も補助のための人員が送り込まれることとなった。


 オデットと、護衛を務める聖堂騎士団団員たちとその交代要員たちまでは女騎士の想像の範疇だった。正式な騎士である団員たちが引きつれ、雑務やこまごました仕事を請け負ってくれる従者たちもまだ良いとしよう。


ファム・アル・フートを驚かせたのは、騎士団とは縁 もゆかりもなさそうな『専門家たち』まで乗り込んできたことだ。


例のスタイリストやメイクアップアーティストに加え、例の第8資料室から派遣されてきた学僧たち、ついで"花嫁修業"を施すための講師たちまで用意されていた。



「ガニ股で歩かない!頭を揺らさない!肩肘を張らない!そんな歩き方だとすぐ靴と踵を痛めるザンス!もしもし!軍隊の行軍とは違うザンスよ!?」


「こう優雅に柔らかく手首と指を伸ばして……。柔らかいしなりのある紐のように動かすのが気品のある扇子の使い方ザマス。そうじゃないザマス!ナイフを振り回しているのとは違うザマス!まあ、なんて手ごたえのある生徒さんザマショ!」


「はい、そこで回って!1、2、3…1、2、3……。ステップ ステップ……。違います、パートナーを振り回してはいけません!パートナーを持ち上げるのはもっといけません!!」



 淑女としての教育や、マナー講座・ダンスレッスンなどローティーンの頃以来の女騎士が青い顔で速成教練を受けている時間ももどかしそうに、聖堂騎士団のスタッフは次々と予定を入れていく。



 朝のミサで聖都中の教会に招待され、分刻みで慰問や表敬訪問の予定が組まれ、三食全てで高位聖職者や各国の大使に聖都の有力者と会食が組まれる。


そのたびにお偉い方から様々な祝辞が述べられた。



「このたびはおめでとう」


「一人で"エレフン"での任務は大変でしょうが、体を気を付けてください」


「花嫁衣裳が見られる日を心待ちにしています よ」


「貴女ほどの器量よしなら、異邦の祝福者も喜んで妻に迎えることでしょうな!」


「うう……貴女はできたら息子の嫁に……あわよくばワシの愛人にしようと前から狙っていたのに……」



 ……好き勝手を述べる父か祖父くらいの年齢の男たちに、騎士としての訓練と奉仕の生活しか知らない彼女に気の利いたやり取りができるはずもなく。


貼り付けたような笑顔で愛想を返さなければならなかった。


 ファム・アル・フートにとってはその場をやり過ごすための苦渋の策なのだが、世間には彼女の奥ゆかしさと受け取られたらしい。


ますます評判が上がる有様で、一躍聖都で時の人になってしまった。



 お仕着せの高価なドレスに急ごしらえのマナーをひっつかん で、法王庁の紋章入りの馬車に乗せられてあちこちのイベントに駆け回る羽目になった。


 彼女が想像する以上の勢いで噂は拡散し―――あるいは聖堂騎士団か、法王庁の手によって意図的に広められたのか―――ファム・アル・フートが聖務を受けたことはあっという間に聖都中に知れ渡ってしまっていた。



どこに行くにも民衆の歓呼に迎えられ、騎士団本部にまで一目見ようと聖都のみならず地方から見物人がやってくる有様である。


あまりの過密ぶりにに聖堂騎士団が警備を増員しなければならなくなったほどだ。



 顔面の筋肉にかなりの緊張を強いながら、女騎士が覇気なく手を振る間、その顔がかすかに紅潮しているのを女修道士は見落とさなかった。


歓呼する群衆の群 れに気付かれないように、オデットがそっと近づいて耳打ちする。


「どうした?風邪引いた?熱でもある?」


「……私がこのドレスの下に、娼婦みたいな下着を着ていることがこの人たちにバレたらどうしようと思って」


「……。変態か、アンタは」


「!?何故です!?」



 そんな調子で。


 騎乗で鍛えられた足をハイヒールに突っ込み、群衆をかき分けては一日中教会や公堂を引っ張り回され。


過重労働への不満を訴え始めた胃に、晩餐会の豪勢な料理を半ば無理矢理押し込み。


舞踏会でダンスの誘いを何人も丁重に辞去し続けてようやくホテルに戻っても、なおやることは残っている。






 ……大きなボウルの中で木製のフォークとスプーンが動 くたびに、器と触れて軽い音が反響する。


みるみる青臭いチシャとクレソンの葉が白いドレッシングの外套を纏っていくのを、ファム・アル・フートはうんざりした様子で眺めた。


その様子を監督官であるオデットが厳しく観察している。



「ほら、力を入れ過ぎない。ドレッシングかかりすぎ。まんべんなくかき混ぜる!」



……どうして自分は食事時でもないのに、サラダをかき混ぜているのだろう。徒労感が全身を満たしていく気がした。



「……こんなことに何の意味が?」



小皿に取り分ける途中、耐えきれずにファム・アル・フートはこぼした。



「分からんが異邦人どもはこうするらしい。これがうまくできる女ほど良い女だとされて結婚が近いそうだ」



資料に書いてあるのだから仕方あるまい、といった顔でオデットが羊皮紙の束を叩いて見せる。



「でも!大皿のサラダを取り分けるのと、結婚に一体何の関係があるんです!?」

「うるさい!ドレッシングがちゃんと混ざっていないぞ!やり直しだ!」



二人が甲高い声を立てる横で、学童たちがもしゃもしゃとサラダを咀嚼しながら書物を開き、資料に筆を加えていた。




 第8資料室からもたらされた解読情報をもとに、『特別対策委員会』はファム・アル・フートが"エレフン"で結婚相手を探すための特訓メニューを作成していた。


なんでもかの地では個人主義が非常に重要視され、結婚は恋愛婚が当たり前なのだという。


聖務達成のためにはそのつもりで男を魅了 しなければならないと結論付けた『特別対策委員会』は、さらに女を磨く訓練が必要と判断したのだ。



 社交界の基本を1から学び、例のマナー講師から立ち方、座り方、貴婦人らしい立ち振る舞いを詰め込まれ、ダンスの自主練習をこなした後。



「はい、次が66手の23番目。

 こっちのページの肌の黒いのが男で、こっちの赤いのが女な?それでこう腕を開いて、足を組んで、膝を開くんだ。んで後は男が好きに腰振るから合わせる」

「あ、合わせる?」

「そう。タイミング揃えて腰を打ち付けるんだよ」

「?……どうやるんです?」

「 ……ああもう、本の絵で説明するのって面倒くせーな!よし、実演だ。私が男役やるからベッドで横になれ!

 はあ?何恥ずかしがってんだよ ?体位の説明するだけだって……いや待て。やっぱり良い体してるなお前。何かそそられてきた。いっそ最後までやっちゃう?

 ……オーケー、分かった。冗談、冗談だから。ゆっくり剣をしまえ。な?」

 

 

 更にはオデットが持ち込んだ出所の怪しいアングラ本で"夜の生活"の知識まで学ぶ羽目になった。 



 その上で、異世界である"エレフン"の風俗も学ばなければならない。


用意された部屋に戻って、就寝前のわずかな時間でも寸暇を惜しみ、ファム・アル・フートは『特別対策委員会』が作成した資料になるべく目を通していた。


 正直言って、その内容は彼女の気を重くさせることの役にしか立たなかった。


コミュアプリやメールの返信の仕方といった解読不能とさ れた謎の呪文は除外されていたが、『彼氏をときめかせるボディータッチの仕方』だの、『男を落とすフェロモン化粧』だの、ほとんど魔女の儀式を学ばさせられている気分になるようなものばかりだった。


 それでも騎士たるもの、怠惰は忌むべき悪徳である。


新しく追加された『男に壁ドンさせる10の必殺のしぐさ』とやらを一通り反復練習した後、ファム・アル・フートはようやく寝巻に着替えた。


金細工が施された壁時計の針は、日付が変わってから大分進んでいる。翌朝は聖都市長が主催する朝食会の予定だ。


化粧と支度のために大分早起きするはずだから、少しでも眠って体力を回復させなければならない。


部屋履きを脱ぐのももどかしいくらい疲れた体を引きずって、一人 で眠るには広過ぎるベッドに倒れ込もうとする。


 騎士が眠るのには豪奢過ぎる高級ホテルのベッドだが、その寝心地は硬い騎士団宿舎の寝台とは比べ物にならない。


まだ後ろめたさを覚えなくもないのだが、ゆっくり体が沈んでいく心地よさをファム・アル・フートは全身の筋肉を緩めて心行くまで味わった。


部屋の扉から軽いノックが聞こえてきたのは、意識を手放して全身が眠りの世界に沈もうとするほんのとば口のあたりだった。



「ファム・アル・フート。起きてる?ちょっといい?」

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