5_6 学校探検
「まずいって!関係者以外立ち入り禁止!」
「私は関係者です。生徒の身内なのですから」
そう言いながら、女騎士は下駄箱を無視して土足のまま昇降口を上がっていく。
慌ててミハルはスニーカーを脱ぐと、靴下でその背中を追いかけていった。
「先生に見つかって、それ通ると思う?」
「”エレフン”の人間がどう思おうと関係ありません。私は貴方の教育と成長に責任があるのですから」
「押しかけ女房というよりモンスターペアレントみたいなことを言い出した……!」
愕然とする少年をよそに、女騎士は手近な教室のドアを開くと中へ踏み込んだ。
「ああ、もう……」
「ほう。ここが教室ですか」
机が居並ぶ様子が珍しいのか、きょろきょろと中を見渡す。
「一人に一つ机があるとは贅沢ですね」
「アンタのところじゃ違うの?」
「大学でも長机が基本のはずです。私は学校というものに通ったことがないので座ったことはないですが」
妙に弾んだ足取りで整列した机の一つに近づくと、椅子を引いて女騎士はおもむろに腰かけた。
明らかに慣れていない様子で、天板に両肘をついて悪戯っぽく小さく笑って見せる。
「どうです?生徒に見えますか?」
「全然」
怪しいコスプレ写真集か何かの撮影にしか見えない、とは言わない分別がミハルの中にも存在した。
「毎日こんな風に学校に通って勉強するのですか」
「うん」
「楽しいでしょうね!」
女騎士が両手両足を伸ばして、弾けたように破顔した。
「楽しい?」
「だって毎日知らないことを教えてもらえるんですよ?私は決まりきったルールの中で生きてきた人間ですから、そういうのすごくうらやましいんです」
ミハルはそういえば、ファム・アル・フートが騎士団の中でどういう生活を送って来たのかほとんど知らないことに気付いた。
なんとなくそうやって他人の生活に興味を持つのは恥ずかしい、という思いが少年の胸のうちにはあった。
が、屈託なく笑う女騎士にはそういうこだわりはないらしい。何やら面白そうに机の中に置き勉されていた教科書を開いていたりする。
(こいつがもし学校に通ってたら……)
その様子を思い浮かべようとしてみる。
制服に体を押し込んだファム・アル・フートが学校の中で生活している。
他の女子より頭一つ以上高い金髪で、胸と尻をぱっつんぱっつんに制服の中に押し込んでいる。
そのなりでスマートフォンを眺めながら女子グループの会話に入ったり、教科書を開いて授業に聞き入ったり、放課後はカラオケに行ったり……。
「あ、ダメだわ。無理」
「え?」
「ごめん。そういうお店にしか見えない」
「お店って……何か失礼なことを想像しているのですか?」
残された教科書を勝手に開いていたファム・アル・フートが不満そうに眉を潜めた。
「それよりミハル。これは何の書か教えてください」
「数学だけど」
「ほう。計算ですか。どんな内容なのです?」
目を輝かせてファム・アル・フートは教科書に並んだ数字を指で追った。
「これは確か……掛け算の記号でしたね!私は九九を全部言えますよ!」
「二次関数だけど?」
「へ?」
「だからXの多項式で、この数字で表される放物線のグラフがここの値だけX軸とY軸を動くの。因数分解すればその範囲で最小値と最大値が取れる。分かる?」
教科書にかかれたグラフと公式を指さしながら解説してやった。
ファム・アル・フートの額に汗が浮かぶ。
落ち着かなく平行移動する両目はどうにか理解しようと数字と公式が並んだ紙の上を泳いでいたが、たっぷり10秒ほどかかって乾いた唇を開いた。
「……ミハルってもしかしてものすごく賢かったんです?」
「何を勉強してるだと思ってたんだ」
―――――。
「早くしろよ早く」
「もう。紳士的ではありませんよ」
唇を尖らせながら女騎士はいそいそと女子トイレに入っていった。
ファム・アル・フートが用を足したいと言い出したのでトイレまで案内したのだが、なんとなくその前で待っているのは落ち着かなくて、ミハルは気もそぞろにふらふらと歩いて移動した。
「おう、安川!」
野太い声が背中に浴びせられ、思わず全身を震わせてしまう。
「どうした、日曜日なのに」
「ご、郷田先生……」
こわごわと振り向く。
女子トイレの前を通って、渡り廊下から生活指導の郷田教諭がずしずしと歩いてきていた。
ミハルは自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。
「珍しいな。確かお前部活動入ってないだろう」
「ええと、その……」
なんとか女騎士と遭遇しないようにしなくては……。それよりも、用もないのに私服のまま学校にいる言い訳をしなくては。
「うっかり机に忘れ物しちゃって……参考書なんです。明日の予習に必要だから」
「なんだそうか」
郷田教諭が小さく頷いた。
その時、ちょうど用を済ませたのかファム・アル・フートがぴょこんと女子トイレから顔を覗かせた。
左右に首を振って少年を探し始めた。ミハルは郷田教諭にそうと知られぬよう、全身のジェスチャーでで隠れるように促した。
「どうした?」
「いえ、その、なんか肩がこっちゃって……」
「運動不足じゃないか?お前はもう少し体を鍛えた方が良いな」
ファム・アル・フートがこちらに気付いた。
(隠れろ!隠れろって!)
ミハルが心中で念を送る。
通じたのか、郷田教諭の背後で口をつぐんだファム・アル・フートが慌てて首を振って首肯した。
(助かった……)
そう安堵したのもつかの間。
女騎士が厳しい顔で剣に手を伸ばした。
どうやら少年の態度を救援要請と誤解して取ったらしい。
まずい。臨戦態勢に入ろうとしている。
「ダメ―――っ!」
「何がダメなんだ?」
「いえ、その、家の手伝いで……。運動部には入れないんです」
「ん?そうなのか」
何故かにこにことしながら、郷田教諭はそれ以上追及せずミハルの髪に手を伸ばした。
「お前、髪ちょっと長いぞ。いっそばっさり切ったらどうだ?」
「そ、そうですか……?」
「校則では前髪は眉毛までだからな。まあ、先生も無理強いはしないが……」
髪をつまむ郷田教諭の行為を少年に対する迫害と受け取ったらしい。
女騎士の眉が吊り上がると、長剣の鞘を無音のまま引き抜いた。
リノリウムの床に、どういう歩方なのか鉄靴のまま全く音を立てずにじわじわと距離を詰めてくる。
酸素を求める金魚のようにミハルはぱくぱくと口を開閉させた。大声を出したら、その瞬間女騎士が反応して流血の大惨事が起きそうな気がした。
「安川」
「はいぃ!?」
「すまん!」
飛び上がらんばかりに驚いて背筋を伸ばした少年に、郷田教諭は背中を曲げて頭を下げた。
「へ?」
「この間はやり過ぎた。俺が悪かった」
……数日前の校門前のやり取りのことだろうか。
ほとんど忘れかけていたが、そういえば髪を引っ張られて暴力まがいの指導をされた覚えがある。
その後で女騎士が本当に暴力沙汰を起こしたので印象には残っていなかったが……。
「許してくれ。個人的な事情でイライラしていたんだ」
「な、なんとも思ってません」
「そうか。そう言ってもらえると気が楽になる」
他に言葉が見つけられず、ミハルはそうとりなすしかなかった。
もう少しで跳躍して郷田教諭の背後から斬りつけようとしていたファム・アル・フートが、毒気を抜かれたように剣を引いた。
まだ頭を下げたままの郷田教諭の背中越しに、ミハルは必死の形相で女子トイレを指さしてジェスチャーで隠れるように命じた。
「じゃあな。安川。忘れ物には気を付けろよ」
「は、はぁ」
「あと学校に来るときは私服じゃダメだぞ。次からは制服で来なさい」
渋々と言った様子で女騎士が女子トイレのドアの向こう側に身を隠すのと、郷田教諭が振り返ったのはほとんど同時だった。
渡り廊下の向こうに四角い背中が消えるのを見送りながら、悪いものでも食べたのだろうか?とミハルはそう疑わざるをえなかった。
「……あんなに機嫌の良い郷田先生初めて見た」
「ミハル。心を許してはいけません。何かの策略かも」
「策略?」
いつの間にか女子トイレから戻ってきたファム・アル・フートが、油断なく周囲を見渡しながら警戒を促してくる。
「相手を油断させておいて手痛い一撃を食らわせるのは戦場では初歩の初歩です。東方の最前線で帝国がよく使った手に、美人に物売りをさせるというのがあります」
「なに?物売り?」
「ええ。街中で機嫌よく兵士に話しかけて油断させて、品物を見せるふりをして導火線に火をつけて手投げ弾を投げ込むのです。若い兵士が何人も犠牲になったとか」
「……」
その破壊工作と学校の教諭とがどう結びつくのか分からず、ミハルは押し黙った。
「ああやって機嫌よく話かけておいて、懐の刀で一撃を食らわせるというのは十分考えられます。注意してください」
「ねーよ」
「ではなぜ先日とは打って変わってあのような馴れ馴れしい態度を取るんです?」
確かにその点だけは女騎士の言うことに同意せざるを得ない。
「さぁ、人生で一番良いことでもあったんじゃね?」
「良いこと?」
「彼女ができたとか」
「彼女?恋人のことですか。まさか」
「だよなあ」
「あんなヒゲも生やしていない弱い男になびく女など考えられません」
「まだ言うか」
ぶつぶつ言っている女騎士の手を引くと、ミハルは少しでも教師に見つかるリスクを減らすべく教育棟から連れ出すことにした。




