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5_1 嵐の始まり


 郷田教諭は非常に不機嫌だった。


ただでさえ仕事が溜まりがちなのに、部活の活動で休日出勤までしていたところを唐突に学校の理事の一人に呼び出され、『食事を馳走する』という程でちくちく嫌味を聞かされたのである。



 彼が去年まで勤務していた県立高校を引き抜かれ、私立の土守高校へと転任したのはその理事の肝いりだった。

「伝統校にしては風紀が乱れている。厳しい態度で生徒に接することのできる教諭が必要だ」というのが彼の主張だった。



 もともとは海軍の兵学校だったのが、戦後の教育改革と統廃合で廃校になるところを、地域教育に必要という主張が容れられ私立の高等学校として改変されたのが土守高校の由来である。

県内でもそれなりの進学校で通っているし、歴史も伝統もある。

こういう原理主義的で頑固なOBも混じるのは無理からぬことであった。



 郷田が赴任することになって、男子制服が襟の大きなセーラー服というのも驚いたが、その改造率の高さには更に目を見張った。

『恥ずかしいから』という理由で三角襟を勝手に外す者。

ネクタイを学校指定のものとはまるで別のものに付け替える者。

冬季以外は義務つけられている膝丈のズボンを、冬用のスラックスに履き替えたりよく似た色の私服を履いてくるもの。

はっきり言ってまともに制服を着用している男子生徒を探す方が大変なくらいだ。


 

 しかも男子生徒の行状を、大抵の教諭は見過ごしているのである。

彼らは口をそろえて『今の子にセーラー服に半ズボンは恥ずかしいでしょう』というが、ルールはルールだ。

制服が嫌なら正規の手続きを踏み、陳情するなり行動すれば良い。その努力をせずに勝手に改造するとは自由を通り越した自分勝手ではないか。


 郷田がそう主張しても、教諭たちの耳には届かず、生徒たちに至っては何をかいわんやである。

逆に『ジャイ公はショタコンだから男子の生足を見たがっている』などというジョークが飛び交う始末であった。

進学校なだけにこういう悪辣なユーモアには手を焼かされる。



 郷田は受け持ちの体育の授業でも、部活でもなるべく厳格に振る舞うことにしたが、生徒たちは意外なくらい素直だった。

最初は案外簡単な仕事かもしれないと思ったが、だんだん生徒たちのやり口というものがだんだんと見えてきた。

口では従いながらも、見えないところで手を抜いたり適当に休んだりしているのが薄々と分かってくる。

面従腹背が郷田のような教諭と付き合うのに一番面倒が少ない方法だと知っているのである。



 なんとも腹に据えかねる話だが、表立って失点がないから叱り飛ばす訳にもいかない。

実にやりにくい相手だった。

最低限、クスリに手を出したりいわゆる半グレとつるんだりような、リスクの高い選択肢を取らない程度の判断はできる生徒の集まりなのである。

取返しの付かないバカをって破滅するくらいなら、適当にローリスクで享楽的な手段で妥協する。

よく言えば賢い、悪く言えば可愛げのない集団。それが郷田から見た土守高校の生徒の印象だった。



 これまでそれなりに自分のやり方を通して成果を上げてきたつもりだし、プライドもある。

自分の職責で成果を上げられないのは批判されても仕方がない。

だが、自分ひとりだけ周囲とは違う熱意で空回りしているようで、居心地が悪い思いをするのがなんともやりきれないのだ。 

結局焦りと苛立ちは生徒に向かい、指導がエスカレートしてしまっているのは自分でも分かっている問題点だった。



 こないだなどは結局、どうも煮え切らない態度しか取れない目立つ外見の生徒に強く当たってしまった。

実行した時には一罰百戒、一年生でも甘やかさず厳しい態度を取れば他の生徒も気をひきしめるだろうという理屈をつけていたが、今思い返せば感情のはけ口を求めていただけの気もする。

少なくとも風紀指導の教職員として一線を越えた行為だったとは今では思っている。

今からでも彼に頭を下げるのが男としての筋だと分かってはいるのだが、立場からそれもできない。



 グラスの中のカクテルを煽る。

苦かった。

食事も喉を通らずぺこぺこ平身低頭して、ささくれた気分直しのつもりで入った新しく見つけた飲み屋だが、こんな気分で飲む酒が美味いはずがない。

古風な店構えに騙されたが、客は若い連中が主だった。そういう客層の店なのだ。

土曜の夜ということもあってか、グループでもなさそうなのに客同士でつるんではテレビを見ながらバカ笑いを繰り返していた。

彼らの中に混ざる気も起きず、疎外感を感じてこの一杯で出ようとグラスを置いたところで。



「お兄さん。一杯おごってくんない?」



 甘い声が横合いからかかってきた。

驚いて振り返った郷田は、その恰好を見て更に目を見張った。



 声の主は、修道服を着たシスターだった。

ベールの隙間から亜麻色の髪をこぼし、蠱惑的な笑みを浮かべて郷田の横の席に勝手に座ってくる。



「人探しに来たんだけどさぁ……空振りしちゃったのよ。もうこの街ってば人多過ぎ!」

「……」



 首にかけた、濃紺の修道服には似つかわしくない幾何学的な線の入ったシルバーアクセサリーを撫でながら、シスターは大げさに眉を潜めて愚痴を始めた。



「たぶんすごい目立つ娘だからさー。すぐ見つかると思ったんだけどねぇ。やっぱり世の中そんな甘くなかったわ。もうお仕事大変!辞めたい!」

「ああ……」



 初対面の相手に馴れ馴れしい態度だったが、郷田は不思議と不快感は抱かなかった。

底抜けに明るい声の調子のせいかもしれないし、初めて見るシスターが酒場にいるというミスマッチに肝を砕かれたせいかもしれない。付き合ってやる気になった。



「外国の人?」

「うーん……まあそんなとこ。遠いところからこう、はるばるとね」

「へえ……」



 指先でバーテンに先刻飲み干した酒と同じものを二つ追加注文しながら、郷田は生徒には絶対に見せない微笑みをした。



「もしかして、親戚か何かに会いに来たとか?」

「まあ妹みたいなもんかもしれないけど……。同僚というか、友達というか」

「同僚?この街に教会なんかあったかな」

「ああ、違う違う。その子はね、ちょっと私とは違う恰好してんの」



 グラスをぶつけて小さく乾杯しながら、シスターは少しだけ真剣なまなざしをした。



「お兄さん知らない?金色の長い髪の、いっつも鎧着たおかしな娘なんだけど」


 


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