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4_21 初めての経験


 ミハルが起き出したとき、カーテンを開きっぱなしの窓の向こうはもう真っ暗だった。



「……」



 枕に顔を乗せたまま伸びをする。

喉の渇きと尿意を覚えながら、目ヤニのついた両目を擦った。



 帰って来てからのことを思い出した。

 買い物から戻ってすぐ部屋の鍵を閉めた後、ふて寝のつもりでベッドで枕を被ったのだ。

が、ドアの向こうから女騎士がひっきりなしにノックを繰り返すのでとても眠れはしなかった。



「ミハル―!出てきてください!」



 もちろん素直に従う気持ちにはなれずに、いらいらとマットの上で寝返りを繰り返すうち、小一時間ほど経ってようやくドアの前から人の気配が消えた。

そうするとなんだか今度は急に自分が子供じみたことをしているという気になってきて、今からでも出ていこうかとも思ったが、やはり素直に認められずベッドの上で目を閉じていた。



 そうしているうちにいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

目覚まし時計の蛍光塗料は夜の11時を指していた。帰って来た時は確か4時前だったから、休日の半分近くを寝て潰してしまったことになる。



「全部あいつが悪い……」



 悪態をつきながら起き上がるとトイレに向かった。




――――――。



 ミハルは用を足してから台所へ向かった。

家の中は静まり返っていた。祖父も女騎士も床についたらしい。



「ラーメンでも作ろうか……」



 確か戸棚に買い置きの即席麺があったな、と食堂の扉を開く。

手探りでスイッチを見つけて照明を点けたところで。



「うおっ!?」

 


 予想だにしなかった光景に、思わず声を上げてしまった。

テーブルにファム・アル・フートが座っていた。

人形のように背中を伸ばして椅子にもたれ、腕を組んだままぴくりとも動かない。



「……寝てる?」


 

 完全に油断していたところに人影を見つけてすくみ上ってしまったが、おそるおそる近づいてみると静かに寝息を立てている音が聞こえてきた。



「器用な寝方するやつだな……」



 呆れて目を細めたとき、テーブルの上に並んだ鍋と料理に気付いた。

蓋や覆いがされていて中身までは分からないがどうやら夕食らしい。



「……俺を待ってたのか」



 だったら明かりを消さなくてもと思うのだが、もしかしたら『光熱費がもったいない』とかいう理由かもしれない。



「……」



 なんだか起こすのがしのびない気がして、ミハルは音を立てないように気を付けながらテーブルの椅子を引いた。

ちらっ、と静かに寝息を立てている女騎士に目をやる。

下を向いているせいでまつ毛の長さが強調され、血管が透けて見えそうなくらい色白の肌に細く影を落としている。

知らず知らずのうちに、ミハルはその眺めに身を乗り出していた。



(黙ってたら美人なのに……)



 そう思ってしまった直後、ぱっとその両目が見開かれる。



「うわっ!?」



 慌てて身を引いたミハルだが、いきなり目覚めたファム・アル・フートの方もミハルを目にして驚いたようだ。



「み、ミハル!起きたのですか!?」

「う?うん……」

「す、すみません!寝てしまいました!」



 あたふたとお互い腰を浮かしかけて、奇妙な緊張した空気が流れる。



「……食事はどうしますか?」

「いら……」



 ぐぅぅぅ……。


 反射的に拒否しようとした瞬間、我慢しきれなくなった胃袋が食堂のどこにいても聞こえそうなくらいの音量で不満の呻き声を上げた。



「……食べる」

「は、はい」



 そう言ってファム・アル・フートは鍋を持ち上げると、温めるべくキッチンへと運んでいった。



「……」

「……」



 嫌な沈黙が流れた。

ミハルは喉を潤すべく湯飲みの中でぬるくなったお茶をちびちびとすすり、ファム・アル・フートはといえばじっと粥を温め直すガスの火を見つめ続けている。

何か声をかけようとは思うのだが、何と言えば良いのか出てこないでミハルは押し黙ってしまっていた。



『弟呼ばわりなんて嫌だ』



 ……などと言おうものなら、自分が女騎士を異性として意識していると思われそうで抵抗があった。

かといってこの沈黙は耐えがたい。

針のむしろに座らされたような気分に耐えきれず、あたりさわりのない……例えば買い物の中身の話でもしようとしたところで。



「……ごめんなさい」



 ぽつり、と台所に立つファム・アル・フートの声が漏れた。



「え?」

「ごめんなさい、ミハル。私は、知らずに貴方に甘えていたようです……」



 鍋を火からおろすと、ファム・アル・フートはしずしずとテーブルまで運んできた。



「な、何が?」

「良く分かりません」

「はぁ?」

「でも、きっと、私が悪いのです。おそらく。貴方に、その、不愉快な思いをさせてしまいました」



 鍋敷きに下ろした鍋から、うなだれたまま中身の粥をよそい始める。

こんなに腰の低い悄然とした女騎士をミハルは初めて見た。



「……」

「だから、私が悪いのです。置いて頂いているのに、遠慮しなければならない立場なのに、年上で経験もあるのは私の方なのに、その、迷惑を……」

(謝るの下手だなあ、こいつ……)




 謝罪する時は一思いに大きく謝意を示してそれで手打ちにするのが賢い大人のやり方なのに、女騎士のそれはまるで手探りで傷口の深さを確かめているかのようにしどろもどろでとりとめのないものだった。

何故かそのことが少年の勘に触った。



「いいよ、もう」

「え?」


 

 粥を受け取りながら、少年は吐き捨てた。

その語気にファム・アル・フートは柳眉を歪める。



「迷惑なんて最初からだし」

「……」

「アンタが来たせいで、俺の私生活も人間関係もとっくにめちゃくちゃだよ」

「…………」

「だからもう、次からはいちいち謝らなくて良い」

「―――――――――え?」



 はっとファム・アル・フートが目を見開く。

まともにその顔が見られずに、ミハルは匙を手に取ると粥を食べ始めた。



「……次?」

「そう。どうせアンタ、これからももめごととか勘違いとか起こしまくるに決まってんだから、いちいち謝罪されても面倒くさい」

「はぁ」

「反省はしろよ」



 そう言い捨てて照れ隠しに粥をかきこむ拍子に、女騎士の顔が目に入った。



「――――――」



 女騎士は笑っていた。



 目元は驚きにくしゃくしゃになりながら、それでも口元と頬は開き始めた花弁のようにほころんでいる。

瞼の際に貼りついた睫毛と合わせて、泣き始めたのか笑い出したのかどちらともつかない表情で、女騎士自身がどうしたら良いのか分からない様子だった。



「……なんでそんな変な顔するんだ?」

「どうしたんでしょう?あれ、おかしいですね」

「おい。俺は怒ってんだぞ」

「そうです。変です。私、怒られてるのに嬉しいんです」



 笑っていたのか、と少年は逆に軽く驚いた。



「あれ、本当になんでだろう?おかしいですよね?」

「……そりゃおかしいだろう」

「ですよね!ふふふっ……あれ、なんでだろう?」



 ついに小鳥のような笑い声まで漏れてきた。

心底おかしいのか、肩を小さく震わせて、眉をきゅっと絞りながら笑みをこぼしている。



「笑うなよ」

「はい、ごめんなさい」

「だから謝んなって」

「ごめんなさい!ごめんなさい!!」

「だーかーらー……!」

「ふふふ、いつかの仕返しです」

「…………」

「騎士としては恥ずべき行為かもしれませんが……意外とこれはなかなか気分が良いですね!」




 今度こそ女騎士は花が咲いたような笑みを浮かべた。



 ――――――どくん。


 ミハルの胸郭の中で刻まれた心臓の音が、打楽器を叩いたときのように全身に鳴り響いた。



「――――――っ!」


 なんだろう、この気持ちは。

明らかに平静とは違う。寛いでもいない。心臓は釘を刺されたように締め付けられた感覚さえする。

なのに決して不快ではない。むしろ、指先まで血が通って体中がぽかぽかと多幸感に満たされた気さえする。



 不思議と今の顔を見られるのが恥ずかしくなってて、食事にがっつくふりをしてボウルを傾けた。



「……おかわり要ります?」

「うん」



 やや乱暴に、ミハルは空になったボウルを差し出した。

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