4_17 銀時計
「この間も思いましたが、なんという精巧な彫刻でしょうか……。おそらく相当名のある版画家の手によるものなのでしょうね」
ファム・アル・フートは、両手で一万円札を持ってまじまじと福沢諭吉先生の顔を眺めた。
「この肖像画に描かれている方は、ひょっとしてこの国の国王ですか?」
「ある意味合ってる」
「高貴な身分なのに権威の象徴であるヒゲを生やさないとは……エレフンの文化は私には理解できません」
「引っかかるのそこかよ」
言いながらミハルは出かける支度を整えた。
通学鞄から銀時計を取り出すと、樹脂製のウォレットチェーンでベルトに結わえ付ける。
「買い物にも持っていくのですか?」
「うん。大事なものだからいつも持ってろって、おばあちゃんが」
「その割には壊れているようです」
ファム・アル・フートが大きな丸い銀時計を覗き込んだ。
彫金で飾られた蓋といい複雑な機構といい高級なものであることは間違いないようだ。
蓋を開くと中央の針と外国のものらしい文字が掘られた複数の金属製の円盤が配され、そして複雑な幾何学模様が描かれている。
が、中でムーブメントが動いている音や気配は一切ない。
うんともすんとも言わないで時を刻むこともなく、ただのアクセサリーと化している。
「修理に出してはいかがです?」
「いいよ、高くつくし。時間ならスマホで分かるし」
「それでは時計の意味がありません」
「シルバーアクセサリーみたいなもんだと思ってるから」
『Lucas』と彫られた裏側をひと撫でして、ミハルは銀時計をポケットに押し込んだ。
―――――――。
ミハルとファム・アル・フートが駅のロータリー前に着いた時、構内から黒髪の少女が小走りに走ってきた。
「ごめーん、待った!?」
大師堂マドカだった。
ハンチング帽を頭に乗せ、デニムのホットパンツというラフな格好である。
「いや、今来たところ」
こっちの方がよっぽどデートみたいな受け答えだな、と思いながらミハルは軽く片手を上げて挨拶した。
「ごきげんようマドカ」
「おぉー、ファムちゃん私服でもその恰好?キャラ立てすごいねえ」
小さく手を振って挨拶するマドカを無視して、ファム・アル・フートはやおら近付くと、むんずと両手を開いて抱きしめた。
「わっ!?」
「……おい、何してる」
「”アルド”では抱き合って無事を喜びあうのが女性同士の挨拶です」
「本当かおい」
「に、日本では目立っちゃうからやめようね……」
驚きに足を止める周囲の通行人に対して誤魔化すように笑いながら、マドカはファム・アル・フートの手を振りほどいた。
「もとから目立つからさ。できたら今日もっと自然な服買って着せたいんだけど」
「まっかせといて!予算は?一万?充分充分!」
コーディネイトを頼られる、というのは女子にとってある種の優越感を覚えるものらしい。
ウキウキした様子でマドカは自分の胸を叩いてみせた。
「やっぱりファムちゃんは足長いし、セレカジかモード系で揃える?それとも普段使いならフェミかお姉が良い?あ、大向こうで裏原系も面白いかも!」
「そ、それは何かの呪文ですか……?」
ファム・アル・フートにくっつくようにして、マドカがバス停留所へと連れだって歩いていく。
この様子なら買い物は彼女に任せて、自分は付き添いと荷物持ちをしているだけで済みそうだ。
軽い安心感を覚えながらミハルは二人の後ろについて歩いて行った。
――――――。
「…………」
突っ立ちながら、自分の甘い判断と予測をミハルは後悔した。
「ねえ、ミハルくんはどっちがいい?」
ランジェリー用のハンガーを何本も両手に抱えて、マドカが尋ねてきた。
ひっかけられた商品はどれも『女性下着』というより『拘束具』といった趣である。
肩紐とアンダーベルトは包帯か鉢巻のように太く、ホックは後ろに2つもついていた。
縫製も厚みも頑丈そうで、大きくて丸くて重い肉の塊を保持するための防具としての役割をしっかりと果たしてくれそうだ。
「私的にはパステルカラーのがおすすめなんだよね。でもさ、男の子って白下着の方が好きらしいじゃん?マッキーが熱弁してた」
「……」
「それともアダルトに黒行っとく!?ファムちゃん決めきれないみたいだから、ミハルくんが選んだげてよ!」
いったいこれは何の罰ゲームだろう、とミハルは泣きたくなった。
人気の郊外型モールに直通バスで着いた一行を引き連れてマドカが真っ先に向かったのは、婦人下着売り場だった。
渋るミハルに、
『女のお洒落はアンダーウェアから』
『直接肌に着けるものだけは良いものを選ばないと絶対後悔する』
『戦場で衣服を剥がされて躯を晒して最後に残るのは下着だけだ』
……などと良く分からない熱弁をふるったマドカは、弁舌にしきりにうなずいていたファム・アル・フートと一緒に品定めを始めた。
ミハルはとても足を踏み入れる気にはなれず……かといって無視してぶらぶらしたりすると後で怖かったので……しかたなく売り場の境界線から一歩離れたところでぽつんと立ち尽くしていた。
店員や他の客や通り過ぎる利用者たちの視線がうそ寒く首筋に突き刺さる気がして身を小さくしていたが、本当の試練はそれからだった。
ファム・アル・フートを追い立てるように試着室の押し込んだマドカは、『試さなくては損!』と言わんばかりにあれこれ商品を選んでは持ち込み、それだけではなく何かにつけてミハルのところまで持ってきては感想と判断を求めてくるのだ。
「……俺、良く分からないしさ。どれでもいいんじゃないかな」
「良くないよ!」
ものすごい形相で一喝されてしまった。
「フルカップでフルストレッチは絶対だよ!もちろんノンワイヤーで!うっかりすると食い込んで痛いんだよ!?」
「あの、大師堂さん?もうちょっと声抑えて……」
「将来垂れちゃっても良いの!?あのおっぱいを守れるのは私たちしかいないんだよ!?すごいんだから本当!ブラジャーじゃなくて私が手でずっと支えてたいくらい!」
「何の話……?」
「とにかく選んで!さあ!」
仕方なくミハルは、マドカが持っているランジェリーの中から一番地味でシンプルなデザインをした白いものを指さした。
「……それで」
「オッケー。試着してくるねー」
弾むような足取りでマドカは試着室に戻る。一度開いたカーテンが閉じて、もぞもぞと動き始めた。
一体あの中で、女騎士と同級生の少女とでどんな行為が行われているのか……。想像しそうになって、ミハルは慌てて妄想を打ち消した。
ポケットに両手をつっこんで、努めてなんでもない様子で周りの売り場を眺めているふりをする。
目の端で、試着室のカーテンの隙間から店員とマドカが何事か話し込んでいるのが見えた。
しばらくして。
何やら意気を失った様子で、マドカがとぼとぼミハルの方へ歩いてきた。
「ごめんミハルくん。あれダメだわ」
「は?」
「トップとアンダーの差が大き過ぎて、サイズ合わないって」
「はぁ?」
「なのでぴったりのから選ぶんだけど、色が種類ないのよ。だから白は我慢してね」
「はあ……」
つい『今までの時間は一体何だったのか』という言葉が喉まで出かかったが、疲労感と精神の消耗が衝突を回避する方へ意識を舵取りさせた。
「じゃーアンダーは決まりで……次は靴選ぼっか。その次はトップスとボトムスね!」
今日は自分の忍耐が試される日になりそうだ。
ミハルは額に脂汗が伝うのを感じていた。




