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4_15 勇気の出し方

 一瞬ミハルの脳裏に、そのまま駆けだして家まで逃げ帰ろうかという考えが浮かんだ。 

だが生来の生真面目さがそれを許さず、仕方なく小さくなって路地裏のコンクリートの段差に腰かけた。



「……」


 情けない。格好悪い。みっともない。

ネガティブな単語がミハルの頭の中を埋め尽くしてくる。

怒りと痛みで嫌な思考から意識を逸らそうと指先で頭皮をぐしぐしと掻いても、意識の方向は後ろくらい内面を向くばかりで一向に気はまぎれない。



 どうして普通にできないのだろう。

祖父や友人たちには大きなことを言ったり明朗に話せるのに、相手が大人の男であることを意識しただけでこれだ。

すぐに肌が火照り、足のつま先がしびれ、胃が不快な蠕動を始めてしまう。



 原因は分かっている。

自分は怖いのだ。

あの時と同じように、否定され、拒絶され、見放されることが恐ろしくてたまらない。



 だが、それを自覚したところでどうすれば良いのだろう。

過去は消えない。ずっと頭の中でシミのように影を落としている。

取り除くこともできないなら、対策を講じることもできないではないか。



 すっと、足元のミハル自身の影に違う人影が重なった。

見上げると、いつの間にか女騎士がいた。



 「………」



 無言のまま、ファム・アル・フートはミハルの隣に腰かけてきた。

立って逃げようかとしたが、隙間なく壁との間に押し込むように座られたせいで阻まれてしまう。



「……何だよ」

「質問があります」



 少年の方を見ることなく、女騎士はエプロンのポケットからいそいそとメモ帳を取り出した。



「3番というのはどういう意味なのですか?」

 


 ……そんなことを聞きにわざわざ店から出てきたのだろうか?

どこか毒気を抜かれたような気になりながらミハルは答えた。



「小休憩」

「何故はっきりそう言わないのです?」

「客の前で店の都合なんか話せないから、隠語でやりとりすんだよ。1番はトイレで2番は食事」

「なるほど。メモしておきましょう」



 本当に女騎士はメモ帳に象形文字めいた奇怪な形を書き残し始めた。

それを見てミハルが眉の根元を寄せる。



「……何か言いたいことあるんじゃないのか」


 

 我慢しきれずに自分から話を向けてしまう。 

ファム・アル・フートは落ち着かずにきょろきょろと辺りを見回した後で、顔を近づけて小声で尋ねてきた。 


「……ここで優しく抱きしめてあげたら、私のことを好きになってくれますか?」

「はぁ?」



 醜態に下手な慰めを向けられるものと身構えていたミハルは、肩透かしを食らって目を見開いた。



「吊り橋効果というやつです。強いストレス下にあると恋愛感情に結びつきやすいと聞きました」

「……前から思ってたけど、アンタ、そういう情報どこから仕入れてくるんだ?」

「いえ、なんでもありません。やめておきます。不誠実です」



 自己解決してしまった。何に納得したのか知れないが、うんうんと勝手に頷いたりする。



「やはり騎士たるもの、常に公正な手段と明朗な精神で聖なる使命を果たさなければなりません。弱さに付け入るようなやり口ははばかるべきです」

「偽造文書で人んちにおしかけるのが公正な手段と明朗な精神なのか……?」



 偉そうにふんぞり返るファム・アル・フートに、ミハルはじっとりとした視線を向けた。 

が、思い直してうつむく。

言動はともかく、女騎士の方が口だけの自分よりもよっぽど意欲に富み、積極的に行動しているのは確かだ。

先刻も、何もできなかった自分よりもてきぱきとトラブルを収めてみせた。

ミハルが持っているせめてもの優位はメニューや調理法を把握していることくらいで、それもファム・アル・フートが持つ行動力があればすぐに追いつき、ものにしてしまうことだろう。

偉そうなことを言っておいて、女騎士の方がよほど店の役に立っているではないか。

 


 内弁慶な空回りに失敗したせいで弱気になった心が、普段は絶対にしないであろう言葉を口にさせた。

 


「……どうしてそんなに頑張れるんだ?」

「え?」

「どうしたらアンタみたいに堂々とできる?物おじしないで物が言える?どうしたら」



 初めて聞く少年の震える声と打ちひしがれた姿に、ファム・アル・フートの目に驚きの色が浮かんだ。



「どうしたら一人でも生きていける?」

「……」



 ファム・アル・フートは、少し視線を泳がしながら慎重に言葉を探した。壊れやすい器を扱うように、可能な限り柔らかい接触を試みる。

 


「ミハルはもしかして、自分が嫌いなのですか?」

「……きらい」

「何故?」

「……気に入らないことばっかだ。背が低いのも、華奢なのも、声が高いのも、気が小さいのも、短気なのも……」

「陰毛が生えていないこともですか」

「そうだけど……そうなんだけど……真面目な話してるんだしそこは触れないで欲しいんだけど」

「あ、ああ失礼……」

「とにかく、みんなきらい」



 膝の間に顔を置くようにして、少年は訥々と絞り出した。

思わずファム・アル・フートはその小さな背中に手を伸ばしかけたが、ミハルの肩が微かに震えているのを見て咄嗟に止めた。

少年の最後の自尊心に傷をつけてしまう気がしたのだ。



「偉そうなこと言って、なにもできないところがいちばんきらい」


 

 ほとんど最後の方は嗚咽になっていた。

これ以上喋らせてはいけない、そう判断した女騎士は口を開いた。



「私があなたくらいの歳のころは……まだ見習いの従騎士でしたが、自分に足りないものが多過ぎて焦ってばかりでしたよ」

「……」

「礼法も覚えきれず、従事する雑務も手際が悪くて日暮れまでかかっていました。それからいつも人の目を気にしていました。指導を担当する先輩騎士が厳しかったこともありますが……」



 『先輩騎士』と口にするとき、ファム・アル・フートはわずかに表情をこわばらせ、無意識に体をぶるっと震わせた。



「ええ、そりゃもう。厳しい、という言葉では足りないです。やめなかったり体を壊さなかったり死んだりしなかったのが不思議なくらいです」

「えぇ……?」



 意識の奥底に封印していたトラウマがフラッシュバックしたのかもしれない。女騎士の表情がみるみると陰っていった。

 

が、すぐに気を取り直して少年に語り掛ける。

 


「……でも、大抵のことは時間が解決してくれました。失敗しないように頭に教本をまるごと詰め込もうとしては叱られてばかりでしたが、慣熟と経験こそが最良の教師だと気づくことができたのは神がもたらしてくれた恩寵でした」

「……」

「努力が労苦以上の実を結ぶのは特別な人間に与えられた最良の幸運かもしれませんが、進むべき方向さえ間違えなければ精霊は必ずなにがしかを人にもたらしてくれるものです。私たちはついそのことを忘れて立ち止まったり、つまずいて諦めてしまいます」



 肩の震えが小さくなったのを見て、ファム・アル・フートは少年が話を聞き始めているのを見てとった。

まだえずきで上下するその背中をゆっくりさすってやる。



「貴方はまだ15です。男子ならばこれからまだまだ大きくなるでしょう。体格も威厳も、自然と身につきますよ。焦ることはありません」

「……本当にそう思う?」 

「ええ。ヒゲが生えていないのも貴方くらいの年ならば珍しくはありません」

「……」

「貴方は髪も綺麗ですし、毛質も良いですから、整えれば見事な美髭になるはずです」

「…………」

「髪の量が多い男性はヒゲが少ないという人もいますが、ただの風評です。私の大叔父は腰まで豊かな髪を伸ばしていますが、近隣の諸邦に聞こえるほどそれは見事な頬ヒゲと口ヒゲを……」

 


 至近距離から目ざとく少年の髪をチェックしながら、何故か女騎士は熱っぽくヒゲについて語りだした。


 

「いや、ヒゲはどうでもいい」

「なんですって!?」



 咄嗟に血相を変えて、がばっと女騎士は少年の華奢な肩につかみかかってくる。



「困ります!私の故郷では、ヒゲがない男性は一人前とはみなされないんです!」

「だからどうした……」

「そんな相手と結婚したら、まるで私が少年趣味のようではないですか!ダメダメ!あごヒゲで良いから蓄えてください!」

「だからしねーって……」


 

 思わぬところで女騎士のペースに乗せられてしまい、うんざりした声で少年は返した。



「えーと……何の話をしてたんでしたっけ?」

「……強くなりたい」

「え?」

「強くなりたいんだ。些細なことや他人の言葉で傷つかないくらいになりたい。どうしたらなれる?」

「それは無理です」


 

 おずおずと切り出した少年に、あっさりと女騎士は言い放つ。



「なんで!?」

「人間は弱いものだからです」


 

 語気を荒げたミハルに、気負うでもなく女騎士は静かに続けた。



「どんな豪放に見える人間でも、無頼漢を気取っていても、人は関係性の生き物であることから離れられません」

「……」

「そういった人たちは良心から目を背けているか、傷つかないふりをしているだけです。それを胡麻化そうとして他人に攻撃的になる人間をたくさん見てきました。私はそんなものを強さだとは思いません」

「――――――っ」

「ミハル。貴方は勘違いしています。弱いから打ちのめされるのではありません。勇気が足りないから立ち上がれないのです」



 女騎士の赤瞳には静かな力が籠っていた。

自分の経験で裏打ちされたことを静かに語る人間の目に宿る、確信と理知の光。ミハルの反骨心は静かに打ち砕かれた。



「心と体はあっという間に分離されて、頭は回らず、体は動かせなくなります。私も経験がたくさんあります。そのたびに自分の弱さが情けなくなって泣きたくなったものです」

「……」

「そういう時は、ミハル!」



 ファム・アル・フートが身を乗り出すようにして顔を近づけてきた。

ミハルでもどきっとするほどの距離から、済んだ鮮血色の瞳が目に飛び込んでくる。

まるで世界の秘密を打ち明けるように弾んだ声で、乙女は少年に語った。



「一番弱くて、助けが欲しかった時の自分を思い出すんです」

「自分……?」

「ええ、自分です!辛くて怖くて、大人に助けてもらいたかった時のことを思い出して、その時の自分を助けに行くつもりで行動するんです」



 意味がつかめないでいるミハルに、ファム・アル・フートは粘り強く説明を続ける。



「例えば私が卑劣なゴロツキに絡まれて、脅されているところを想像してみてください。どうしますか?」

「……多分、止めに入るかな」

「そうでしょう!そうでしょうとも!」


 

 『ゴロツキの方にケガをさせかねないから』と続けるのは流石にはばかられて、ミハルは話を合わせた。



「誰しも道を渡れず困っている老婆を見たら、手を引くでしょう?迷子で泣いている幼児に気付けば、親を探してやるものでしょう?」

「まぁ……そうかも」

「そういう義侠の心を抱いた時、人間は比較的たやすく勇気を出せるものです。その対象を置き換えて、辛く弱かった自分を助けに来てくれる大人を想像してみてください」



 ミハルの顔に影が差した。

 彼の心の淀んだ部分に根差ししているのは、まさしくその『助けに来てくれる大人』がいなかったことに対する不満と恐怖だったからだ。



「私は八歳の時に母を亡くしました」

「……」

「この世に誰も味方がいなくなった気がしました。兄弟はいませんでしたし、父は厳しい人でしたから」


 

 目を見張った少年の前で、女騎士はこともなげに言う。



「その八歳の時の自分が助けて欲しかった大人になったつもりで、苦しくて辛い子供の頃の自分を助けるつもりで行動するんです。それが私の流儀の勇気の出し方です」



 溌溂と、微笑すら湛えた顔でファム・アル・フートは言い切った。



「今の自分のために頑張るよりも、誰かのために懸命になる方が力を発揮できるんです。その相手の気持ちが分かれば猶更でしょう?心の中で、一番気持ちが分かる昔の自分を助けに行くんです!」

「……それで本当にうまくやれるもん?」

「ええ、試してみて下さい。私はずっとそうしてきました」



 んふー、とファム・アル・フートは深く鼻息を吐いた。

その様子を見て、ミハルの心を何かがくすぐった。

悪意や後ろ暗さとは違う……ちょっとした好奇と興味。

伸ばした人差し指で目を拭って、少しいがらっぽい喉で努めて済ました声を出す。


「でも、ファムの言うことだからなー……」

「あっ、ひどい。疑うんですか?」

「だって、ファムって単純だし」

「それは否定しませんが……いえ、愚直は神に認められた美徳です。物事は難しく考えすぎてはいけません。ミハルにもいつか分かります」



 しどろもどろに視線を動かした女騎士は、あることに気付いて再び少年に詰め寄った。



「ところで」

「ん?」

「私の名前は、ファム・アル・フート=バイユートです」



 じとーっ、とした目で小さく抗議する。



「だからファムでしょ?」

「違います。そこで区切らないでください。”ファム・アル・フート”で一つの名前なんです!」



 むきになって女騎士は詰め寄るが、少年は全く聞く気がないようでどこふく風と受け流した。



「はいはい、ファム」

「『はい』は一回です!」

「はいはい。分かったよ。ファム」

「違います、もう!どうしてそう聞き分けがないんですか!」



 母親が子供を叱りつけるように、ファムがぴしゃりと音を立ててミハルの膝を叩いた。 

 


「いたっ!」



 その痛みに思わずミハルは腰を浮かし、きっと睨みつけて……。


言い争いが始まった。


 

「何するんだ!」

「あなたがあまりにも頑迷だからです!」

「どっちが頑固なんだよ!ファムの方がよっぽど好き放題やってるだろ!こっちのやり方に合わせもせずにさ!」

「節を曲げるのは騎士のすることではありません!」

「また始まった!騎士ってつければ何でも許されると思ってんだ!」

「思ってません!"エレフン"の風俗があまりにも軟弱なのです!」



 路地裏に少年と女騎士の、とりとめもない口論がいつ果てるともなく続いた。



「…………」


 

 裏口のドアの隙間からその様子を眺めていたミハルの祖父は満足気に頷くと、そっと音を立てずに店内に戻っていった。

  


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