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4_14 アンザイエティ


 ――――――。



 老夫婦の常連客が、好奇と戸惑いを浮かべながらウエイトレスを見上げた。


「ご注文はブレンドコーヒーのピーナツバター添えが二つでよろしいですか?」

「あー……違うけど、いいやそれで」

「かしこまりました。しばらくお待ちを」

 


 その従業員は明らかにボールペンに慣れていない手つきで、店内の誰も見たことも珍妙なない文字をメモ帳に苦労して書き出していた。

 


「それよりさぁ、キミ、ミハルちゃんの彼女なの?」

「いいえ、妻です」

「へー、スミに置けないもんだ」

「こんな異国のべっぴんさんがお嫁に来るなんてねえ」

「恐縮です。どうぞごひいきに」


 

 微妙にかみ合わない返答をしたウエイトレス、ファム・アル・フートはなぜか偉そうにその場に仁王立ちした。

 


(……あれで注文を取っているつもりなのか?)



 使い終わったフィルターを捨てながら、肝を冷やすような思いでキッチンのミハルはその様子をうかがっていた。

そんな彼の心境を知ってか知らずか、店主の祖父はといえば常連の老人たちを相手に駄弁ってばかりだ。


「ロクさんもこれで安心だねえ。お店にはミハルちゃんっていう跡継ぎがいてさ」

「いや、まだミハルは高校生だから…」

「それで、あんなきれいなお嫁さんが来てくれてねえ」

「いやいや、まだミハルは高校生だから」

「あとは可愛いひ孫ができるのを待つだけだねえ」

「いやいやいや!ミハルは、まだ!高校生だから!」



 口では常連たちの言うことを否定しつつも、その顔はデレデレと表情を崩しっぱなしだ。


 

(間違ってる……間違ってるよ)



 何故祖父も、常連客たちも、この異常事態を受け入れるどころかむしろ楽しんでいるように見えるのだろうか。ミハルには全く理解できない。

額に脂汗を流しながらカウンターに突っ伏すようにしてぶつぶつと唇を動かすミハルの前に、メモ帳を携えながらファム・アル・フートが近づいてきた。



「ミハル。ブレンド二つにクリームフロートヘーゼルナッツが一つです。速やかに用意を願います」

「……アンタも順応早過ぎじゃないか?」



 口角泡を飛ばす少年に、女騎士は小首をかしげてみせた。



「家業を手伝うのは妻として当然でしょう?『冬の焚き仕事は女房にやらせろ』というではないですか」

「だから!どうして!そんなしょうもないことばっかよく知ってんだよ!?」

「しょうもないとは何ですか、ことわざは古の知恵のエッセンスが凝縮されていて……」

「そういうことを言ってんじゃない!」

「ところで、このスマイルという注文は一体何のことでしょうか?メニューにはないようですが」

「……」



 ミハルが頭を抱えている間に、また入口のドアに取り付けられた鈴が鳴った。



「おーい、聞いたよロクさん。ミハルちゃんがお嫁さん貰ったんだって」

「…………」



 入店してきたニット帽を被った常連の老人が、いそいそと唯一開いたカウンター席に座って雑談の輪に加わりだした。



「ファムちゃんがいるだけで客が増えるなこりゃあ」

「お役に立てて光栄です」

「間違ってる!世の中間違ってるよ!絶対!」



 ……喫茶『ガンジア』で祖父が出迎えてきたのが小一時間前。

ミハルは制服の上からエプロンをひっかけるだけだが、ファム・アル・フートはわざわざ家まで部屋着に着替えに戻ってからやってきた。流石に鎧姿のまま給仕の仕事をするのは矜持に関わるようだ。

例の時代がかった部屋着の上から、どこから見つけてきたのか淡い色のエプロンをひっかけて忙しく店内を動き回っている。

喫茶店というより女子向けのケーキショップの方がふさわしそうな恰好だが、背の高い彼女がひらひらとフリルの付いた服の裾を翻している様は妙にミスマッチで不思議な存在感があった。



 (しかしよく働くやつだな……)



 いつの間にか見様見真似で注文取りに、お冷やおしぼり出しを覚えたらしい。

いわゆるバッシング……客が立った後の後片付けと掃除も、手つきが若干危なっかしいが精力的にこなしている。


 面と向かって褒めるつもりはなかったが、バイタリティという点に関しては認めざるを得ないだろう。

そもそも全く何の情報もない異世界に一人で飛び込むような奴だ。これくらい図太くなくてはとうに元いた場所に逃げ帰っていることだろう。

彼女の強かさが、果たしてミハル自身にとって良いことなのか悪いことなのかは分からないが……。



「ミハル」

「うぉっと」



 考え事をしながら洗い物をしていた時に、いきなりファム・アル・フートが顔を近づけてきたのでミハルはもう少しでソーサーを取り落としそうになった。



「何だよ」

「あれを」



 ファム・アル・フートが視線で示す方に目をやる。

 

見た覚えのない、サラリーマンらしい客が店の表側の良い席に陣取っていた。

珍しい一見客だ。外回りの営業の途中なのだろうか。スーツ姿で、薄い書類鞄を椅子の横に置いている。

経済情報でも見ているらしく、スマホの画面をしきりにタップしていた。店としては軽食喫茶の他にくつろげる場所と時間を提供しているのだからそのことに文句はない。



 問題なのは、スマホをいじるのとは逆の手につまんだ紙巻煙草から紫煙を立ち昇らせていることだ。

『ガンジア』は全席禁煙なのである。



「良いのですか?煙の臭いが迷惑では?」



 言いながらファム・アル・フートが微かに小鼻をひくつかせた。

彼女の嗅覚が鋭いのもあるのだろうが、相当きつい銘柄のものを吸っているようだ。

彼女の言う通り大問題である。その背後の席で談笑していた老婦人二人の客が、会話も途切れ途切れにしきりに顔の前あたりの空間を扇ぎ出した。時折カウンターをちらちらと見てくるのは、『なんとかしろ』とのサインに他ならない。

 


 その上厚かましくも、テーブルに設けられた取り分け用の小皿を灰皿代わりにしているのがミハルの勘に触った。

祖父の方を見ると、常連客たちに捕まって相手をさせられていた。まだ気づいていない様子だ。



 小さく頷いて、ミハルは決断した。



「注意してやめさせてくる」

「大丈夫ですか?」

「何が。ひとこと言うだけだよ」



 ファム・アル・フートが心配そうな顔をしたのが、ミハルの神経をますます逆なでした。

そんなに自分は頼りなげに見えるのか。いいだろう、びしっと言って威厳を示してやる。

腹の中でむくむくと気が大きくなるのを感じながら、ミハルは大股に窓際の席に歩み寄った。



 近づくと鼻孔にきつい煙の臭いが飛び込んできた。

サラリーマンの男はスマフォの画面の文字を追いかけるのに夢中で、店員が歩み寄ったことに気付きもしない。

……もしかして趣味はサーフィンか何かだろうか。日焼けした肌と幅広の肩を見てそう思った。

健康的な頑健さが清潔にアイロンの入ったスーツと不思議なくらい似合っている。

ミハルの撫で肩だと、どんなに丁寧に採寸してもみっともなく皺が寄ってしまうだろう。 



「………」

 

 瞬間、足が止まる。

もうもうと湧いていたはずの義憤の気持ちは、時間の経った綿菓子のようにみじめに縮こまり始めた。

額の髪の生え際から熱が発散していく。

思考がもつれた糸のように絡まり始める。

手のひらにじっとりと嫌な汗がにじむのが自分でも分かる。



 突っ立ったまま、ミハルは全身の筋肉がこちこちに固まるのを暗澹たる気持ちで感じていた。

一言、ただ一言。



『他のお客様のご迷惑になりますのでタバコはご遠慮ください』



 そう言えば良い。

なのに。

口の中は乾いて、舌の根は痺れて、心は鉛のように動かなくなってしまう。



「………っ!」



 スマフォの画面に差し込んだ人影に気付いたのか、男が顔を上げた。

目が合った。



 瞳孔が開いて、ぶるっと大きく体を震わせてしまう。


 

「あっ、あのっ」

「はい?」



 二の句が継げない。

ゴムボールを飲み込んだように喉が詰まって、空気がうまく通らない。

うまく喋ろう、ちゃんと言おうと思うほど焦燥感が神経を焼いていくようだった。



「たっ、タバコ……」 

「はあ?」


 不思議そうにしたサラリーマンは、逡巡した後、白い灰がうず高く積もった取り皿をテーブルの端に寄せた。

詰まれた取り皿から新しいものを取り出して、その上に咥えていた煙草を立てかける。

灰皿を取り換えに来たと思ったらしい。



「……っ!」



 情けなさと緊張で少年は耳まで真っ赤になった。

目の奥が熱くなり、長いまつ毛が濡れて下瞼に貼りつく。

怒られるでもなく、無視されるでもなく、何一つ伝えられないまま立ち尽くすしかないことが更に恥辱の火に油を注いだ。



「……おくつろぎのところを失礼」



 良く通る声が少年のすぐ隣から発せられ、店内に響き渡る。

特別大声でもないのに、喫茶店にいた人間が思わず手を止めて聞き入る性質を持った声だった。

訓練で人に何かを命じることに慣れた人間の声だ。

サラリーマンが驚いて視線を上げ、ミハルがおずおずとうつむいていた顔を上げると……。



「その煙は他のお客様の歓談の妨げになります」


 

 ファム・アル・フートが立っていた。



「どうかご遠慮願います」



 その声には力があった。

聞くものの背筋を思わず伸ばさせ、自分から従わせるような凛とした響き。

こういうのを貫禄というのだろうか、とミハルは思った。


 

「……」



 まだ少し何か言いたげだったが、サラリーマンはしずしずと火を点けたばかりの紙煙草をもみ消した。

 

 

「感謝を」

 


 短く言って、ファム・アル・フートはさっと灰皿の役割を強要された小皿を二つとも片付けてしまう。

男は舌打ちするでも睨みつけるでもなく、少し居心地が悪そうに肩をすくめた後で、平然とスマートフォンの画面に目を落としながらコーヒーを飲み始めた。



「……」

「行きましょう。ミハル」



 まだ動けないでいる少年を促して、女騎士は連れだってキッチンに戻った。



「……おい、ミハル。大丈夫か?」

 


 ミハルの顔を見て、祖父が心配そうに声をかけてくる。

 


「ごめん、3番行ってくる」



 震える声でそれだけ言って、少年は足早に店の勝手口から飛び出していった。

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