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4_12 喫煙という習慣


 ――――――朝。


「……!」


 ばっと跳ね起きたミハルは、大きな傷のできた目覚まし時計をすばやくOFFにした。

設定した時間よりも早く目が覚めてしまった。昨日のようなことが二日続けて起きてはたまったものではない。



「なんとかしないとなあ……」



 ぼやきながらベッドから起き上がると、洗面所へ向かった。



「おはよう」


 歯磨きと洗顔を終えて食堂へ入ると、祖父がもう新聞紙を広げていた。


「おはよう。今日はお店開ける?」

「そのつもり」


 テーブルに掛けた時、ファム・アル・フートが大きなボウルを運んできた。


「おはようございます、ミハル。待ちに待っていたこの瞬間が来ました!」

「……?」


 

 今朝の朝食は焼いたソーセージと例の芋粥。そして山と盛られたサラダというメニューだった。



「このじゃがいもの粥美味しい」

「順応早いなおじいちゃん」

「醤油かけたら合いそうな気がする」

「アレンジまで!?」



 冷蔵庫から調味料を取り出して自分好みの味付けを始めた祖父にミハルが驚いている間に、ファム・アル・フートがそそくさと大きなフォークとスプーンを構えてミハルの隣の席に座り込んできた。



「さ、サラダを取り分けましょうかミハル?」

「え?」

「私は得意ですよ!?たくさん練習しました!」

「別にいいよ自分で取るから」

「!?」

「……?」


 呆然自失となったファム・アル・フートに怪訝な視線を送りながら、ミハルは小皿の上に盛った野菜にドレッシングを振りかけ始めた。




 ――――――。



「行ってきます」

「いってらっしゃい」



 玄関の靴脱ぎ石で学校指定の革靴を履き終わると、ミハルは教科書を詰め込んだ鞄を手に取った。



「それではおじい様。留守の間よろしくお願いします」

「おー、行ってらっしゃい」



 がちゃがちゃと鉄靴を鳴らして、女騎士は腰の剣帯に愛剣をくくりつけた。




「……」

「さ、参りましょうかミハル」



 思いっきり不服そうな視線を送ろうとどこ吹く風で、ファム・アル・フートは揚々と玄関の引き戸を開けて少年を手招きする。



「まだついてくんのかよ」

「貴方の警護は私の聖務だと申し上げたはずです」

「だからいらないって」

「まあ。『妻の言うに向こう山も動く』ということわざを知らないのですか?」

「知らねえよそんなマイナーなことわざ……」



 うんざりした気分になりながら、それでもミハルは抵抗しようとする。



「また郷田先生に鉢合わせしたらどうするんだよ」

「ご安心ください。この剣ある限り、何度対峙しようと軟弱な”エレフン”の男ごときに遅れを取ることはありえません」

「アンタがケガをさせる方を心配してんだ」



 これ以上無理強いしても余計頑強に抵抗するであろうことはもうミハルにも分かりかけてきたので、なんとか自分の目の届くところで大人しくさせる方へ考えを切り替えることにした。



「また先生殴ったりするなよ」

「了解です。ボクシングよりレスリングの方が優雅だと古の哲人も言葉に残していることですしね」

「フィニッシュを指示してるのとは違うぞ!?」



 ぶつくさ言いながら、それでもミハルは通学路を歩きだした。



 ……やはりというか、分かり切っていたことなのだが、ファム・アル・フートは人目についた。


通学や通勤に行き交う人はみんなこっちを見ているのではないか。ミハルがそう疑わずにはいられないくらい、振り向かれたり注視されたり、とにかく恥ずかしい。


 せめて少しでも早く終わらせようと、足早に歩道を歩いてく。


その時、背後で規則正しく続いていた鉄靴の足音が途切れた。



「うん?」



 やおら立ち止まったファム・アル・フートにミハルは振り返った。

 

 

「どうした?」

「ミハル。あれはいったい何をしているのですか?」

 


 ファム・アル・フートの視線の先……今時珍しいタバコ屋の前の喫煙スペースで、スーツ姿のサラリーマンが数人談笑しながら紫煙を吐き出していた。

通勤前の一服の途中らしい。



「何って……タバコ吸ってんでしょ」

「タバコ?タバコとは何です?」



 どうやら彼女が元いた世界では、喫煙という習慣は存在しないらしい。

軽く驚きながら、ミハルはどう説明したものか少し迷った。



「えーと……乾燥させた植物の葉っぱに火をつけてさ。その煙を吸い込むんだよ」



 ファム・アル・フートが考え込むように表情を曇らせた。



「その行為に何の意味が?」

「意味って……美味しいんじゃない?」

「煙がですか?」



 とても信じられない、といった顔だ。

ミハルは言葉に詰まった。

いわゆる『良い子』の部類に入る彼にはもちろん喫煙の経験なぞありはしない。

世間一般の常識は説明できても、実体験を交えてディティールに真実味を加えることは到底無理な話だった。



「まさか……麻薬の一種ですか?」

「ん?」  

「確か、吸引して快楽を得る違法の薬用植物があると耳にしたことがあります。それとも何かの宗教儀式?酩酊状態と憑依状態を混同して崇拝する邪教の類ですか?」

「どうしてそう物騒な方向に発想が進むかなあ……」


 未開の地の野蛮な風習を目の当たりにした緊張が、女騎士の顔の筋肉に凛々しく影を落とした。


「だとするなら……こんな昼間から大の大人が刹那的な快楽を貪るとは見過ごせません……!なんとふしだらな……!」

「おい。馬鹿。やめろ」



 女騎士が腰の大剣の柄に手を伸ばそうとするのを、少年は押しとどめた。



「えーと……なんていうか、ファッションなんだよ!」

「ファッション?」

「そう。味とか香りとかは俺にも良く分からないけど……吸ってる人はちょっと格好いいかな」



 仕方なく、ミハルは正直に胸の内を少しだけ打ち明けることにした。

正直タバコの煙もヤニ臭さも大嫌いだったが、映画や漫画の中で紫煙をくゆらせる役者やキャラクターのアダルティな魅力には密かな憧れを持ってはいたのだ。


 

「多分、あの人たちも最初は恰好付けで吸い始めたんだよ。ワルぶりたいというか、大人っぽく見せたいというか……。慣れないと美味しくは感じないって聞いたし……。」

 


 口にしながらも我ながら子供っぽい感想だなと思い、どんどん語気が弱まっていった。

しどろもどろな説明だが、ファム・アル・フートも何か思うことがあったらしい。黙ってしばしタバコ屋と少年の方に視線を何度か往復させる。



「あれは格好いいのですか?」

「ああいうサラリーマンのおじさんはともかく……渋い強面の人とか、綺麗な女の人が吸うのは、格好いいって思う」

「ミハルは格好いい女は好きですか?」

「へ?うん、まあ」


 意外な食いつき方を見せたファム・アル・フートの勢いに流されて、ミハルは頷いた。


「では試してみましょう」

「……なに?」

「思い出しました。私の郷里にもこういう言葉があります。『馬には乗ってみよ、人には添うてみよ』と」


 何事も試してみろということだろうか?

ミハルが言葉の意味を考えている間に、ファム・アル・フートはずかずかと喫煙所まで近づいていく。

軽く驚いたサラリーマンたちを前に、ファム・アル・フートは両手を広げて深呼吸し、流れている紫煙を思い切り吸い込み――――――。



「……ゲホッ!ゲフォッ!!エフッ―――!グェェ……!」



 盛大に咳き込んだ。

余程肺の奥まで煙を入れたらしく、背中を丸めてむせている。

アスファルトの地面に向けて何度も唾を吐いて、少しでもえずきを軽減しようと必死だ。


 

 突然のことにサラリーマンたちはたじろいだ。驚きのあまりタバコの灰を履いている革靴に落としてしまい、慌てて払う者までいた。



(……言わんこっちゃない!)



 ミハルは慌てて駆け寄ると、すみませんすみませんと頭を下げながら女騎士をその場から引っ張っていった。



「何考えてんだよ!」

「……ちっとも美味しくありません」

「だろうな!」

「あの者たちは味覚と嗅覚がおかしくなっているのでは?」

「本人たちの前で言うなよ、それ」

 


 口元を抑えて涙目になった女騎士に、ミハルはハンカチを貸してやった。



「今の私を見て格好いいと思いますか、ミハル……?」

「全然」

「……うえっぷ」


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