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1_4 聖務

 ひょっとして自分の聞き違いだろうか?


 何しろ神の御使い……いや、1200年に渡って人類を守護してきたのだ。神に等しいと言って良い存在から直々に命令が下ったのだ。


愚かで定見のなくしかも若輩の自分の耳が、緊張のあまり理解に齟齬をきたしても無理はなかろう。


まつ毛を震わせながら、ファム・アル・フートは微かな奇跡を期待したが、神造裁定者は相変わらず微笑を浮かべながら彼女に再び告げた。



<<『あなた方が"エレフン"と呼ぶ異世界に赴き、お婿さんを探して結婚してください』と言いました>>



 女騎士は、囚人が死刑宣告を受ける時のような表情で神からの使命を聞いた。



「せ、せ、説明を求めてもよろしいでしょうか……!?」



 ほとんど口どもりながら女騎士は声に出した。


騎士たるもの、いかなる事態に置いても威儀を正さねばならない。


訓練の過程でそう叩き込まれてきたはずなのだが、すっかり頭から抜け下ちている。


突然の事態に理解が追い付かず、神の遣いの前でしどろもどろになっている自らの醜態に気付いてさえいない。



 こてん、と童子が小首を傾げた。



<<結婚とは男女が配偶者となることであり、おおむね同居と財産の共有、血縁の統合が行われる社会関係の構築を指します>>

「いえ、そうではなく!」

<<ああ、お婿さんといってもあなたのお父上との養子縁組を求めているのではなく、単に夫になる男性の婉曲な表現です>>

「そっちでもありません!」



 女騎士はぶんぶんと腕を取って否定した。


そこでようやくはっとなって、信仰の象徴の前で大声を出す自らの無礼に気づき、慌てて平伏した。



「し、失礼しました!まさか、結婚しろという命が下されるとは想像だにしなかったもので……」

<<突然のことで申し訳ありませんが、貴女が最適任であるという結論が出ました>>

「何故、私が……?」

<<遺伝的要因、環境による素養、学習性の能力、カルマ値等を考慮した演算の結果です>>



 言っている意味がさっぱり分からず、女騎士は背中に冷たいものが流れるのを感じた。


静かに呼吸しながら、頭の中で考えをまとめるように努める。


……えらいことになってしまった、と正直言って思わざるをえない。


彼女も領地持ちの戦士階級の出身である。しかも一人娘だ。


自分のような女にとって結婚と出産は人生に絶対必要なイベントであり、家名を残すための重要な責務であると頭の中で理解はしている。


が、感情はそれほど物分かりが良くはならない。



(折角、聖堂騎士団に栄転して、単独で聖務を任されるまでになったのに……)



 こんな時に結婚などしてしまえば、当然前線での戦いからは遠ざけられることになるだろう。


そもそも夫が騎士としての仕事を認めてくれるか怪しい。女は家を守るべきという価値観は未だに世の中で圧倒的優勢を保っている。


神の剣として生きる夢がようやく叶い始めたというのに、神の御使いの命を果たしたせいで生き方を曲げざるをえないでは皮肉が過ぎるではないか。



 ……そもそもエレフンの人間と結婚なぞできるのだろうか?


彼の地の人間は神造裁定者や神々の恩恵に浴さず、生きる意味を考えもしない不信心者ばかりだと聞いている。


連れ添う相手としてはいかにもふさわしくない、鼻持ちならない相手のように思えてならない。



<<これはとても重要な使命です>>



 童子の声に、ファムアルフートは内省から急に引き戻された。



「……お、お相手はどのような方なのでしょうか?」

<<私にも分かりません>>



 神造裁定者でも分からないことがあるのか、とファム・アル・フートは驚きを隠せなかった。



<<お相手の方は『祝福』を受けられた方である、とだけ申し上げておきます。あとは貴女の同行者が導くでしょう>>

「同行者?」

<<任地にはお一人で赴いて頂きますが、必要な装備を支給します>>



 ヒュッ、と空気を切り裂く音がした。


女騎士が咄嗟に視線を向けた先で、空中から落ちてきた立方体が音を立てて地面に二、三度弾んで、転がって止まる。


見たこともない質感をした材質をしていた。


頑丈そうな拵えで、ベッドの傍の調度品くらいの大きさをしている。背負って持ち運べるようになっているよう幅広の吊り紐が揃いになってついていた。



<<必ずお役に立つはずです>>

「鎧箱……なのですか?」

<<そうお考えになって結構です。旅路の友に必要でしょう>>



 ―――ごくり。


武具を与えられると知って、ファム・アル・フートは思わず唾を飲み下していた。


神々によって造られた武器を持つことを許されるのは、今の世に流布する英雄譚の中でその武勇を謳われた者か。


或いは未来の英雄譚で謳われることを約束された者たちだけだ。


それが自分に与えられるという。


女騎士の内面で、人目にはつかないよう密かに秘めていた敏感な部分……名声欲や虚栄心に近いものがくすぐられて、ざわついた。



 「……ぎょ、御意」



 ……ややあって、結局女騎士は深く頭を下げて拝命した。


女騎士の微妙な変化を見て取ったのか、神造裁定者はにっこりと笑顔を作った。


<<あなたの旅が素晴らしいものであることをお祈りしております、騎士ファム・アル・フート様>>

「こ、光栄です……」

<<もう一つ。"エレフン"でのあなたの出会いが幸せなものであることを切に願います。私から申し上げることは以上です>>





―――――――――。

――――――。

―――。




 ぎこちなく神域を出たファム・アル・フートは、待ち構えていたラインホルト以下枢機卿たちに中で起こったことを正直に告げた。


疑われるかと内心ヒヤヒヤものだったが、『偏在する蜘蛛』の異名を取る教理聖省長官は静かに黙って聞いていた。



「……ご苦労。隊に戻って待機するように」



 ラインホルト枢機卿の顔からは一切の感情は掴めなかった。


辞去の挨拶もそこそこに、そそくさと女騎士は鎧箱を担いで逃げるようにその場を後にした。



「……はぁ」



 法王宮の正門を出てから、大きく深呼吸をひとつ。


重い足取りで、とぼとぼと女騎士は騎士団本部に戻ろうとした。


大隊に報告する義務が待っているが、いったい何と言えば良いのだろうか。



『神々の使命を帯びたので異世界に赴き結婚してくることになった』などと言って、あの大隊長は錯乱や熱病を疑わないでいてくれるだろうか。



 僚友たちに対してなんと言えばいい?


オデットは?


果たして彼女は自分をからかわずにいられるだろうか?


それとも本気になって心配してくるだろうか?


どちらにしてもいたたまれない思いをすることになりそうな気がする。



 頭の中で受け答えのパターンを10通りほど考えてみたが、気の利いた返答は思いつかなかった。


やむなく、事実を話すしかないと思い定める。


どだい神の御使いの言葉を、賢しい知恵で曲げて伝えるなど敬虔な信徒のすることではないのだ。


開き直りに似た思いでそう決めて、大隊宿舎の扉を開くと……。



『おめでとう!』

「へ?」



 パチパチパチパチ……!!



 万雷の拍手が女騎士を待ち構えていた。


 赤い目をぱちくりさせる乙女の前に、宿舎の広間に所狭しと集結した騎士と従士たちが居並んでいる。


歓喜の声や奇声がところどころから上がり、発砲ワインの栓がいくつも宙を舞った。中にはもう出来上がっているらしく、赤ら顔でジョッキやグラスを傾けている者までいた。


 

「おめでとうファム・アル・フート!」



 今日は何かの祭りだったかと一瞬悩んだ女騎士の目の前に、修道服を翻しながらオデットが飛び込んできた。


質問しようとしたところで、いきなり両腕を回してきたオデットに、着ている鎧が軋みそうなくらいの勢いで抱きしめられる。


「わわっ!?」

「神造裁定者から直々の聖務が下るなんて……!大変な名誉だな!友達として祝福させてくれ!」


力いっぱい抱擁してくる修道女に、まだ状況が理解できないでいるファム・アル・フートは引き離すことも抱きしめ返すこともできずされるがままになった。




「あの、オデット?聖務のこと知ってるのですか?」

「ああ、騎士団長殿が先刻皆に知らせてくださってな。こうして皆集まってくれたんだ」



 いつのまに、ファム・アル・フートとオデットを中心に人だかりができている。


皆口々に誉めそやし、はやし立て、激励の言葉を送ってきた。



「お前の努力と献身はいつか報われると信じていたんだ……!ようやく認められる時が来たな!」


 修道女の目元には涙まで浮かんでいた。



「あの、でも、まだ結婚できるって決まった訳ではないですし……」

「いいや、お前ならきっとできる!例え神の恩寵の及ばぬ異邦だろうと、立派に役目を果たせるはずだ!」

「その、もし。もしもの話ですよ?祝福者の方を見つけても気が合わなかったり気に入られなかったりする、かも……」

「ははは、何を言っているんだ。お前は」



 歯切れの悪い乙女から腕を離しながら、悪意の一切ない笑顔でオデットは言い切った。



「神造裁定者がお選びになった相手だぞ?これ以上ない良縁に決まっているだろう?いやあ、本当に良かった!」

「……」


 ファム・アル・フートが引きつった笑みを浮かべていると、岩石を削り出したような重厚な顔の偉丈夫が近づいてきた。


咄嗟に、女騎士は背筋を伸ばして立礼の姿勢を取る。


コッラード=トスカネッリ聖堂騎士団団長……事実上法王庁の軍事総指揮官まで足を運んでいるとは思わず、顔をこわばらせた。



「こりゃあトスカネッリの旦那!まさかお出ましとは思いませんでした♪」



そんな僚友の内心を知ってか知らずか、傍らの不良修道女は相変わらずのくだけた態度を隠そうともしない。



「相変わらずだな、シスター・オデット。

 ……おめでとう騎士ファム・アル・フート。楽にしたまえ。神造裁定者より直々に聖務を受けるとは騎士冥利につきるな」

「は、はい!光栄であります!」

「これから忙しくなるぞ。覚悟しておくように」

「……と、言いますと?」

「何せ数十年ぶりの神造裁定者より下された聖務だ。我が『聖堂騎士団の』団員に下された、な」



 もったいぶってトスカネッリ団長はゆっくりと背中を向けて見せた。



「第六大隊のみならず、我が団員全てにとってもこれはとても名誉なことだ」

「はっ」

「聖務達成のために、聖堂騎士団は団員の総力を上げてこれを支援する。もちろん法務聖省も協力を惜しまん。ラインホルト枢機卿猊下もそのおつもりだ」

「恐縮です」

「これは非常に重要な使命であり……信徒にとっての偉大な事業だ。

 それなりのセレモニーを開かねばならん。何事にも儀式というのはついて回る。分かるな?」

「はぁ……」



 持って回った言い回しをする団長の意図がつかめず、ファム・アル・フートは怪訝げに眉を傾けた。



「という訳で、出立の時まで貴公のスケジュールは今後全て騎士団本部が管理する。ピッコローミニには既に伝えた。

 手始めに法王聖下主催の大ミサ、聖都市長主催の壮行会、大司教様たちが列席しての拝命式が行われることが決まった。

 貴公が現在抱えている仕事は全て他の団員に回す。怠りなく式典に出席するための準備をするように」



 ファム・アル・フートはようやく得心がいった。


つまりは、自分の聖務を聖堂騎士団と所属する法務聖省の権勢のために大々的に宣伝するということらしい。


法王庁という巨大な組織では、内部での競争や牽制合戦は日常茶飯事だ。


枢機卿猊下も団長も、これを奇貨として自分たちの影響力を示そうというつもりなのだろう。



「しかし……一番大切なのは貴公の結婚だからな。なに、式のことについては心配しなくていい。

 貴公が"エレフン"に出立している間に準備は全てぬかりなく行っておく。」

「は、ありがとうございます……」

「手始めに、枢機卿猊下は貴公が結婚式で着るドレスを既に発注されたぞ。

 "平原の都"から早馬に乗ってデザイナーがサイズを測りにやってくる。

 完成まで腕利きの服飾職人が10人専属で就いて……一年もあれば完成するだろう」

「えっ」

「結婚式は"大処女聖堂"で法王聖下が直々に執り行って下さるそうだ。各国の元首も呼んで盛大な式になるな」

「ええっ?」

「まだ気が早い気もするが、最初に産まれる子供の洗礼式のために、貴公の名前を冠した新しい教会を建てることも決まったぞ。

 法務聖省から用地確保のための特別予算が出た。聖都東岸で50軒ほど住宅を立ち退き交渉することになるが、なに、かかる金のことは気にしなくてよい」

「うえぇぇぇ……!?」



 どんどん話が大きくなっていく。


ようやくファム・アル・フートは、事態が自分ひとりで責任を取れる範疇から大きく逸脱しつつあることに気付いた。



「そちらは任せてもらうとして……シスター・オデット」

「はいな」

「ファム・アル・フートの訓練の方は貴公が監督せよ。報告は逐次怠らぬよう。既に第8資料室に必要なものは揃えさせた」

「了解です、カプラの旦那」

「以上だ。予定表はあとで秘書官から届けさせる」



 事務的な口調で言い切ると、騎士団長はマントを翻して立ち去った。



 その後ろ姿を眺めながら、ファム・アル・フートは自分の額に汗が伝うのが分かって困惑した。


 神からの使命。騎士としての責務。


 自分が切望していたものが今目の前に確かにあるというのに、暗雲のような嫌な予感が胸から離れてくれないのは何故だろう。

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