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4_11 スーパーマーケットと紙幣に関する一考察

「ここが”エレフン”の市場ですか」

「……暴れんなよ。もの壊すなよ。他のお客さんと喧嘩すんなよ」

「騎士に向かって猛獣のような言い方はやめて頂きたいのですが」



 夕方遅くになって、友人たちを送り出すついでにミハルはスーパーマーケットへファム・アル・フートを連れてきた。

正直不安を感じないわけではなかったが、流石に冷蔵庫の中身も底をついたし、ファム・アル・フートが材料を買い揃えたいと言い出したためだ。

 


「売り子がほとんどいませんね。ここでは会話を楽しんだり値段の交渉をしたりという文化はないのですか?」

「そりゃセルフサービスの業務用スーパーだし」

「なんという人間軽視……。儲けさえ入ればいいという酷薄さが透けて見えるようです。そういう非人間態度は売り手も客もいつか傷つけることでしょう」

「アンタの社会批判って一部だけはグサリとくるところがあるから始末が悪いな」



 樹脂製の買い物かごを手に取りながらミハルは呆れた。



「それで何から買う?」

「芋です」



 断言した女騎士を野菜コーナーへと連れていく。

その一角を占めるじゃがいものの売り場を見て、女騎士はぽつりと言った。



「種類が少ないですね」

「そうなの?」


 

 じゃがいもの品種といえば男爵イモとメークインくらいしか知らないミハルは、その二種が山と積まれ聞きなれない珍しい品種がビニール袋に入れられて小分けにされている売り場は、十分充実したように見えた。



「まあ仕方ありません。この時点で泥が落としてあるのはなかなか関心ですね。小ずるい商人は泥をつけて重量をごまかす輩までいますから」



 早速ファム・アル・フートはじゃがいもを一つ手に取り、



「……」



すぐに売り場に戻した。


 次の一つを手に取り、非常に真剣なまなざしで形や重さを調べ、検分していく。

両手で吟味し、眼鏡にかなったものだけをようやく一つかごに入れた。

一向に買い物が進みそうにないので、ミハルは業を煮やして言った。



「……なあ、ここにある全部の芋を調べるつもりか?」

「芋は大事ですよ!芋は!」



どうやら譲れないこだわりがあるらしい。



「どれもそう変わらないだろ」

「確かに品質は良いようですが、その中でも最上のものを選び出すのが台所を預かる者の矜持というものです。……ところで、この芋の棚ですがどれも形も大きさも不自然に揃っているのはどういうわけです?」

「そりゃ、不揃いだったり形が悪いのは出荷する前に選別してよけちゃうからだよ」

「……バカですか”エレフン”人は?」

「こっちはそういう文化なの」



 愕然として目を見開いたファム・アル・フートは置いて、ミハルは適当に芋をいくつか手に取って買い物かごに放り込んだ。



「そんな雑な選び方!」

「いいの。これで」

「ミハルが何を考えているのか、私にはいまいち分かりかねます」

「俺はじゃがいもを買うだけで1時間もかける女の心理が分からん……」



 その後肉や野菜を買い揃えていく。

ファム・アル・フートは初体験らしいパックに入れられた豚肉というものに興味津々だったが、ミハルの危惧とは裏腹に『手も汚れず衛生的ですね』と意外なくらい素直な称賛をした。



「パンは本当にこれで良いのですか?」

「うちは食パンがあれば十分」

「では、会計をしましょう」

「うん」

「ちょっと!ミハル!」



 ミハルが財布を取りだしたところで、ファム・アル・フートは慌てて手で制してきた。

一瞬ぎょっとなったが、何か恥ずかしいものを隠すかのように周りの人目を気にし出した女騎士を見て、ミハルは不可解な面持ちで尋ねた。



「何すんのさ」

「お金は私が払います!夫を同伴させるだけでなく、大勢の前で支払いまでさせたとあっては私は笑いものになります!」

「そうなの?良いよ別に。こっちじゃ普通だよ」

「良くありません!正しい行いというのは、周りの人間の行動に左右されたりはしないものです!」



 ぶるぶるとかぶりを振るファム・アル・フートを前に、ミハルは別に無理強いすることもないかとお金を渡してやることにした。



「じゃあレジの人にこれ渡しておつり受け取って」

「?なんですかこれは。ミハル、おもちゃではなくちゃんとした硬貨をください」

「……え?」



 千円札を指でつまみ、女騎士はうさんくさそうな目で言ってのけた。

ミハルはそこでようやく、ファム・アル・フートがこの世界にやってきてからどんな生活をしていたかを思い出した。

硬貨を拾い集め、ゴミ箱から売れ残りを漁る生活ではそれを自分で使うどころか、目にする機会もほとんどなかったのではないか?



「……もしかしてアンタ、紙幣見たことがない?」

「シヘイ?」

「それ。紙でできたお金」

「紙でできたお金!?」


 

 あまりの衝撃に、ファム・アル・フートがオウム返しする。



「そ、そんな……額はいくらです!?」

「千円」

「千円!?これが!?お風呂五回分!?」

「物価を銭湯で換算するのはやめろ」



 わなわなと両目を見開き、震える指で紙幣を保持したファム・アル・フートはまじまじとその表面を凝視した。

刷られた人物や装飾のひとつひとつに目を奪われ、驚きに肝をつぶしている様子だった。



「良く見ると、恐ろしいくらいに精巧な印刷です……」

「あんまり大騒ぎするなよ。恥ずかしいから……」

「す、透かしまで入っています!ここまでやる意味がどこに!?」



 驚きを通り越して、呆然としてファム・アル・フートは総括した。



「き、気持ち悪い……」

「はぁ?」

「気持ち悪いです!」


 わいせつ物を取り扱うかのように、少しでも自分の体から離そうと指先で摘まみ、ぷるぷると頬を震わせて断言してくる。

それは例えば初めて配管やケーブルが入り組んだ複雑な機械の中身を目にした人間が、生物の内臓のような生理的な嫌悪感を覚えるのに近かったかもしれない。



「変態!変態です!この原板を彫り、刷った職人たちは変態の集団に違いありません!!」

「うん……その話は後にしようか」



 店中の視線が突き刺さる中、ミハルは女騎士の背中を押して可能な限りの速さでレジを通ろうとした。



 ――――――。



 幸いにも、夕食や風呂はつつがなく済んだ。


(今日も一日、あいつに振り回されっぱなしだった……)


髪を乾かしたミハルはうんざりとした気分でもう部屋に戻って休もうかと思ったが、その前に祖父のところへ行っておくことにした。



 なんだかんだ言って、自分の知り合いを家に置いてくれることになったのは祖父の度量のおかげだ。

一言言っておくのが筋という気がした。



「おう、ミハル。どうした?」



 祖父の部屋を尋ねると、本でも読んでいたのか老眼鏡を鼻の上にひっかけていた。



「うん、おじいちゃん今日はありがとう」

「ありがとう?何が」

「その……あいつ置いてくれて」

「なんだ、ファムちゃんのことか。いいよ、気にするな。訳アリでもお前が知りあって助けてやりたいと思ったなら、これも何かの縁だ」



 祖父は分厚い手のひらを下ろすと、くしゃくしゃとミハルの頭を撫でてきた。

少し乱暴で髪が引っかかり、あまり心地よいとは言えなかったが、なんとなく褒められているようでミハルはされるがままにした。



「でも、初対面の相手をそんな簡単に信用しておじいちゃんは良かったの?」

「ああ、そのことは心配してない」

「なんでさ?」

「考えてみろ。あの子に詐欺や美人局なんて器用な真似ができると思うか?」



 恐ろしいくらいの説得力に、ミハルはこくこくとうなずかざるをえなかった。



「絶対無理だ」

「だろう」

「うん」

「それにな、じいちゃんもちょっと嬉しいんだ。お前が自分のプライベート犠牲にしてまで人を助けようとするなんてな」


 

 相好を崩した祖父に、ミハルはちょっと気恥ずかしい気分になってきた。



「後悔するなよ」

「えっ」



 耳には優しく聞こえる祖父の言葉の奥の方ににわかに真剣味が宿り、ミハルはわずかに戸惑った。



「人の縁を大事にしてりゃ、大抵のことが起きてもどうにでもならい。でもなあ、気付かないとそれが台無しになるときって本当にあっという間なんだ。ミハル」

「……」

「人が離れていくとき兆しは必ずある。あるいは目の前でどうにもならなくなっていく時だってある。でも一番大事なときに何かできないとすぐ取り返しがつかなくなるんだ。じいちゃんはそうやって大事な友達を何人もなくしてきた」



 ミハルは祖父の両目のうち、ほとんど動かない右目の方に思わず視線をやった。

祖父の瞳はとび色だがそちらだけがわずかに色が濃く、瞳孔も収縮しないことに気付いたのはいつのころだっただろう。

義眼であれば毎日取り外して洗浄が必要だからそうではないのだろうが、祖父がときどき右手の手探りでものを探すような手つきをすることをミハルは知っていた。

それがどういう意味なのか、ミハルはずっと聞けなかった。

口にするのは祖父の古傷に手をつっこむような真似に等しい気がして怖かったせいだ。



「人間はちゃんと、自分がなりたいものを知ってる。よく雑音にまぎれて聞こえなくなったりどこにあるのか分からなくなったりするがな」

「なりたいもの?」

「そうだ。だから直観でそうしなけりゃならないと思った時は、迷うな。人目なんか気にするな。それが人の縁を大切にするっていうことだ」



 多分祖父は何か大事なことを自分に伝えようとしている。

それは分かるのだが、言葉があまりにも感覚に寄り過ぎていて、ミハルの中で具体的な像を結ぶことはできなかった。



「……良く分かんない」

「ははは、だろうな!人の言葉聞いただけで分かることなんかほんの少しだけだ。でも多分いつか分かる」

「いつかって、いつ?」

「そうだな……シモの毛が生えそろったころにはちょっとは分かるんじゃないか?」

「やめてよそういうの」



 ミハルは祖父の分厚い手を押しのけると、乱れた自分の髪の毛を撫でた。

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