4_10 腹話術
「ミハルの彼女さんがしっかりした娘さんで安心したよ。ちょっと年が離れてるのが気になったけど……」
「ご心配なく。『年上の女房は金のわらじを履いてでも探せ』ということわざがあるではないですか」
「だからどうしてそういうことだけは詳しいんだ……?」
笑い合う二人を見て、ミハルは呆れ顔で呟いた。
「おじいさまが度量のある方で良かった……。こんなに抵抗なく異邦出身の私を受け入れて下さり安心しました」
「そう?俺は逆に不安になってきた」
その時、呼び鈴がなった。
(こんな時に誰だろ……)
「む。来客ですか。私が応対しましょう」
「恐ろしいことを言うな。いいよ、俺が出るから座ってて」
ファム・アル・フートを手で制し、ミハルは慌てて居間を出て玄関へ向かった。
「やっほー。今日も来ちゃった」
「こんにちはー!」
「お邪魔します……」
「……」
マドカたち友人が居並んでいた。
「どうしたの、みんな」
「それが、マッキーがどうしても聞きたいことがあるって」
「ちょっといい方法を思いついてな……」
タクヤが眼鏡のフレームをぐっと指で押し上げた。
何を言いたいのかは良く分からなかったが、とりあえずミハルは客間に通すことにした。
「今度は友達が遊びに来てくれたのか?ミハルが知り合いを連れてくるとうちもにぎやかになるなあ」
祖父はますます上機嫌になると、歳暮に貰った洋菓子の詰め合わせなどを用意しだした。
「それじゃ、年寄りは引っ込んでるから。ごゆっくり」
「ありがとうございます」
「粗茶でございます」
「どこで覚えたのそんな言葉」
祖父と入れ替わりにファム・アル・フートが役目と自任したのかテーブルの上に人数分のお茶を出してくるのを、ミハルは呆れた目で見送った。
「で、何の用?」
「あの女騎士さん、流石にパスポートとビザくらいは持ってるよな?」
タクヤがソファセットの上で身を乗り出す。
ミハルは居間のテーブルに置かれていた手帳と数枚の旅券のことを思い出した。
「あるけど」
「どこから来たのか確認しようぜ」
「え?」
「だからさ。パスポートがあるなら出身国が分かるだろ。そこの領事館に問い合わせてみようって」
タクヤはスマートフォンを操作して、国内の領事館の連絡先を呼び出してみせた。
「今の世の中で騎士だの、結婚しに来ただの、どう考えてもおかしいだろ。言ってることがどこまで本当か確かめといた方が良いって」
「…………」
「おい、なんだその顔」
「俺の知ってる人間が久しぶりにまともなこと言ってて困惑してる……」
「なんだそれは」
不意に鼻白んだタクヤだが、気を取り直して続けた。
「確認してみて、それで間違いがなかったらミハルも安心だろ?」
「そんな気もするけど……」
「な!聞くだけ聞いてみようって」
ミハルは困った。
どうやらタクヤは、女騎士の出自や目的に不信感を持っているようだ。
どちらかというと彼の反応の方が一般的という気もするが、言われるままにして女騎士の嘘がバレては面倒なことになる。
これで偽造だったり身分が出鱈目なことが分かれば、入国管理局に通報しようと言い出されるかもしれない。
「?」
ふと、応接セットの横に立っていた女騎士と目が合った。
「私は構いませんよミハル。問い合わせでも確認でも、どうぞ望むままにさせて差し上げればよろしい」
「大丈夫かそんなこと言って」
「ええ。私に隠し立てをするようなやましいことなど何一つありはしません」
怪しさの塊の女騎士が断言した。
「キャー、ファムちゃん格好いい」
「な、本人の同意も得たことだし」
「うーん……」
ミハル自身、ファムが持ち込んだ公文書の出所の怪しさを訝しむ気持ちがあったので、ここはタクヤの言う通りにさせてみることにした。
「でもさ、個人情報なんか電話で聞いて教えてくれるの?」
「任せろ。考えてきた」
ジュンの当然の疑問を自信ありげにいなすと、パスポートを前にタクヤがスマートフォン上に表示された電話番号をプッシュし始める。
立て置き機能でスピーカーになった通話回線から、女性の声が聞こえてきた。
いかにもやり手と言った感じのスマートで冷静な響きだ。
『こちら、アルマーク公国領事館です。ご用件をどうぞ』
「私、土守市で自営業を営んでおります牧野と申します。貴国から来られた方の在留資格について確認したいことがあるのですが……」
すらすらとタクヤの口から事務的な説明が出てきて、ミハルは大人のように落ち着き払った様子に驚いた。
観光協会の関係者だと名乗ったタクヤは、まるでビジネスマンがプレゼンをするときのような立て板に水を流す口調で、嘘八百を並べ始める。
「……というわけで、報酬が発生する可能性があるわけです。それで、観光協会のイベントに参加して頂けるかを速やかに把握しなければならないわけで。滞在許可資格の確認をお願いします」
『……その方のお名前をお聞かせ願えますか?』
「お名前はファム・アル・フート=バイユートさん。パスポートの旅券番号はXX-〇〇〇〇〇〇〇です」
『少々お待ちください』
保留中の音楽が流れ始め、タクヤは小さくガッツポーズをした。
「すっげ。本当に問い合わせちゃった」
「マッキーは詐欺師になれるね」
「褒めてんのかそれは」
タクヤが小声で毒を吐いたところで、再度電話がつながった。
『大変お待たせいたしました』
「いえいえ!それで?いかがでしょうか?」
『ファム・アル・フート=バイユート女史は今月一日より、我が国の三等書記官の身分で日本政府により無期限の文化活動資格が認められています』
「……」
タクヤは絶句した。
ミハルは、ぽかんと口を開けた。
『必要であれば、証明書の写しを送付いたしますが?』
「い、い、いえ。結構です。ありがとうございました……」
動揺をこらえながら、タクヤが通話を切る。
「つまり、どういうことなの?」
「……どうやらパスポートとビザは本物らしい」
「マジかよ……!!」
「?なんでミハルくんが一番びっくりしてんの?」
そこでミハルは、ふっと横の女騎士がいつもつけているヘッドセットの金属の継ぎ目にわずかに灯る光に気付いた。
ミハルが違和感に気付いてすぐ、ホタルの光が明滅するようにふっと掻き消えてしまう。
女騎士本人も自分の装飾品の変化に気付いていないようだった。
(…………まさかこいつ)
そういえばつい忘れがちだが、異世界生まれのファム・アル・フートが普通に会話できるのは身にまとっている鎧のおかげだということを思い出した。
タイムラグなしで自動翻訳と音声の吹き替えが可能な人工知能。
ミハルが知る限り、そんなものを開発できる技術はこの世界のどこにも存在しない。
(もしかして、たとえば、携帯の通話回線に割り込むとかして……)
今タクヤと電話で会話していたのは本当に領事館の職員だろうか?
ミハルがうそ寒い気分になったとき、額の汗を指で拭いながらタクヤが呟いた。
「いや、でもさ。ありうるか?外国に来てから会った男子と結婚するだなんてさ……」
「お疑いならば、私がこの国に来た目的をお見せしましょう」
「え?」
ずいと進み出た女騎士が、いつの間に取り出したのか例の革の書類入れを手にしていた。
「私とミハルは、曾祖父同士が決めた婚約者です」
「は?」
「唐突な話で申し訳ありませんが、これが証拠です」
突然何を言い出すのか。唖然とする全員の前で、革袋の中から女騎士が二通の書類を取り出した。
……書類というより、書状といった方が適切だろう。どちらも相当古い紙で、すっかり変色していた。
片方は金縁が押された高級そうな洋紙で、ミハルにはアルファベットなのかも判別がつかない流麗な筆記体でつらつらと文章が続いていた。
もう一枚は、なんと和紙だった。墨跡がはっきりとした筆で漢字が書いてあるが、達筆過ぎて内容までは分からない。
「何て書いてある?」
「よ、読めん……」
「あ。これって『安川』って書いてない?」
マドカが指さしたのは和紙の末尾で、そこには確かに細い筆致の漢字でミハルと同じ苗字が記されていた。
「おじいちゃんなら読めるかも……」
一体目の前で何が起こっているのか分からず、困り果てたミハルは茶の間へと向かった。
「………親父の字だ」
「えっ」
書状を一目見た祖父は信じられないといった様子で、老眼鏡を持ち上げて目元を指でこすった。
「まさかそんな……いや、間違いない。確かに親父の字だ」
ミハルは慌てて首を巡らすと、茶の間の欄間に額装して掛かっている曾祖父の手になる書と比べて見た。
どちらも内容はさっぱりわからないが、強い濃淡や苛烈な筆運びはよく似ていた。
紙の変色の具合もちょうどそっくり……まるで見比べて調整したかのようだ。
「な、何て書いてあるんですか!?」
茶の間までぞろぞろついてきた一行の中でタクヤが色めきだった。
「えーと……『余の直系の男子と芭翁の子女を娶せることに同意し候。恐懼に耐えず……』」
「それ、どういう意味?」
「『男の子が生まれたらあなたの娘と結婚させる』って書いてある……きゅ、90年前の日付で」
「「「えーっ!」」」
ファム・アル・フート以外の、その場にいた全員が声をあげた。
「マジ!?本当なの!」
「俺だって信じられんが……しかし親父の字だ」
「なんでひいおじいちゃんの書いたものアイツが持ってんのさ!?」
「そういえば、若いころ海外を飛び回ってたとか聞いたような……いやすまん。俺も良く知らんのだ。兄さんに聞いてみたら分かるかもしれんが、今老人ホームだし……」
泡を食ったミハルと驚きに思わず顔を撫でる祖父の横で、マドカたちはもう一通の洋紙の方へ視線を集中させた。
「こっちは何って書いてあるんだろ」
「英語……じゃないな。発音記号があるってことは」
「あ。そうだ」
ジュンが何かを思いついた様子で、自分のスマフォで写メを撮りだした。
「どうすんだ」
「専門家に聞いてみる」
「専門家?」
「うちのねーちゃん、言語系の学部専攻してるからさ。すぐ分かるよ」
縮尺を変えて何枚か撮影した後、メッセージアプリでジュンは画像を送信した。
……数分後。
「お、きたきた」
ジュンが応答するや、はたからも通話の内容がまる聞こえの音量で女性が怒鳴り込んできた。
<<アンタこんな手紙、どっから見つけてきたの!>>
「俺の知り合いの人が持ってたんだけど」
<<これ高地ソルヴ語だよ!今じゃドイツの東の端っこしか話者がいないの!>>
「え?」
<<しかも印璽と公証人の署名までばっちり残ってんじゃん!研究室のやつが見つけたら大喜びだよ、こんな文字史料!>>
「ねーちゃん、それより中に何が書いてあるのか知りたいんだけど」
<<あ?中身?ああ、『娘が生まれたら相手の男の子と結婚させることに決まりました。とっても嬉ピー!』ってさ>>
「ピー?」
ジュンにはその古代言語の意味が分からなかったようで小首をかしげた。
<<もらえたら研究室に寄贈してもらって!っていうか盗んで来い!聞いてる?>>
「……どうも本物っぽいね」
通話を打ち切りながら、ジュンがぽつりと結論する。
「「「…………」」」
その場にいた全員が沈黙する。
おそるおそる、皆が茶の間の入り口近くに座ったファム・アル・フートへと視線を集中させた。
「もちろん、こんな古い約束などもう時効です。法的な根拠もありません」
それを待っていたかのようにファム・アル・フートが一同に向かって冷静な声で告げた。
「しかし、アルマーク公国の私の一族は日本から来られたミハルの曾祖父である宗順氏にひとかたならぬ恩義を賜ったとのこと」
明澄そのもの、といった声で女騎士は続けた。
「曾祖父も心から感謝していたからこそ、このような書面を取り交わしてまでしたのでしょう。子孫としてその思いに応えたいのです」
すらすらと淀みなく言い切る。
その様子は真剣そのもので、ミハルも知らずに聞いていたら信じてしまいそうなくらいだった。
ぽん、と肩に手を置かれる。
振り返ると、ジュンが珍しく深刻そうな目をしていた。
「良い子じゃないの」
「……」
ぐすり、と鼻をすする音がする。
目をやると、マドカが指で目の端をこすっていた。
「先祖の約束を果たすためにこんな遠い国まで……。それがファムちゃんの仁義なんだよ!」
「はぁ……」
熱っぽくマドカがまくし立ててくる。
「決めた!私、ファムちゃんの応援する!」
「え?」
言うが早いか、マドカはファム・アル・フートの傍にいざりより……ぎゅっとその手を握った。
「分からないことがあったら何でも聞いてね!ファムちゃんの本願成就の日まで、私がサポートしてあげる!」
「それは重畳。感謝いたします!」
「あと、ついでにさ、友達にならない?」
「え?」
「私もあなたのこともっと良く知りたいし、もっと一緒におしゃべりしたり遊びに行ったりしたい!」
「そ、それは……願ってもないことです!」
さっとヘッドセットに手を触れると、ついさっきとは打って変わって女騎士は頬を染めて手を握り返した。
「私は今までの人生、ずっと訓練と聖務ばかりで友人として詰まらない人間かもしれませんが……それでも良ければ」
「そんなことないよ!私、最初に見た時からファムちゃんのことすっごく綺麗で素敵だと思ってた!」
黄色い声で女子二人は盛り上がりだした。
それを見てミハルは逡巡した。
ファム・アル・フートの作り話は確かに色んなことを隠す口実としては適当かもしれないのだが……これを認めると、下手をするともう自分の人生はずっとこいつに引っ張りまわされることになるのではないか?
もう祖父を始めとして、この異世界からやってきた女騎士はミハルの周りの幾人かを味方に引き入れようとしているのだ。
手を貸すとは確かに言ったが結婚して人生の伴侶にするなどとは考えもつかなかったし、家にかくまったりするのとは全く次元の違うことのように思える。
「い、いや、ちょっとみんな、冷静になろうよ」
もうすっかり生気を失ったタクヤが、それでもまだ蛍光灯を受けて光る眼鏡の向こうで疑問を投げかける。
「そ、そんな百年も前の約束が今更出てきてさ。結婚することになるなんてさ。あまりにも唐突だし、出来過ぎてると思わないか?」
「「あぁ?」」
しげしげと書状を眺めていた祖父と、呆然と虚空を眺めるミハルよりも先に、マドカとジュンが反応した。
「疑うの!?」
「そういうわけじゃ……」
「タクヤが人を信じたことがないからそんなことが言えるんだよ!」
「え、だって、このままじゃミハルが……」
もとより二体一で分の悪い勝負である。
しかもこういうとき、えてして言っている内容よりその場の空気や感情の方が支配的になるものだ。あっという間にタクヤの方が旗色が悪くなった。
「人でなし!」「冷血人間!」「爬虫類!」「キザ男!」「似合ってねーんだよメガネ!」「お前のボディタッチの仕方きもい!」
……などと、会話というよりも一方的な袋叩きが始まりだした。
―――目の前で繰り広げられる喧騒を眺めながら、ファム・アル・フートはヘッドセットにそっと指を揺れた。
「ご苦労様でした。"ファイルーズ"」
<<当機の任務である。労いは不要>>
彼女にしか聞こえない音量で、忠実な鎧が返答する。
「……ところで、あなたは腹話術もできたんですね」
<<当機の機能の応用である>>
単純な理屈である。
ファム・アル・フートの口パクに合わせて、声色を変換したファイルーズが代わりにでっち上げた偽の過去を説明しただけのことだ。
書状もファイルーズにされるがまま、”アルド”から持ってきた白紙に彼女が代筆しただけである。
鎧を纏っただけで内容はもとより、筆圧や筆致まで他人の物を完璧に模倣できるとは流石神々の御業という他ない。
ファム・アル・フートは再び天上世界への畏敬の念を強くしたほどだ。
「しかしここまで上手くいくとは。見事です”ファイルーズ”」
<<感謝の極み>>
「もしかしたら"エレフン"に着いてからの交渉は全てあなたに任せていたら、もっと楽だったかもしれませんね!ふふふ!」
あっけらかんとした声で、ファム・アル・フートは自分で言ったことがさもおかしそうに小さく笑った。
<<…………>>
「どうしたんですか、”ファイルーズ”?私は今、珍しく冗談を言ったのですよ?」
<<………………>>
「”ファイルーズ”?返事をなさい、どうしたのですか」
<<………………当機はしばらく自己診断に入る>>
忠実なる鎧は、それからずっと岩のように口を閉ざしたままだった。




