4_9 怒れる少年
「……」
「それで」
並んで座らせた祖父と女騎士を前に、少年はゆっくりと棒状の新聞紙を動かした。
「誰が結婚の約束をしたって?」
「それは……その、好きな相手と結婚すると言質を取ったので」
「誰がアンタのこと好きになったって?」
ぺしぺし、と警棒でスラム街のチンピラを締め上げる警官のような高圧さで少年は女騎士の肩を新聞紙で叩いた。
「……そうなる予定というか、そうするつもりというか、拡大解釈と言葉のあやで」
「都合よく取り過ぎだバカ」
「騎士に向かってバカとは……!」
「あぁ?」
「はい、すみません……」
しゅんとうなだれた女騎士から視線を動かして、少年は祖父の方を見やった。
「おじいちゃんもなんで当たり前のように受け入れてんの?気をもんだ俺がバカみたいじゃん」
「この間店で見たし……」
「そんだけ?」
「いや、孫がモテると思うと嬉しくてつい……」
「そうやって自分の都合のいいことばっかり喜ぶ老人が持ち上げられて投資詐欺とか還付詐欺に遭うんだよ?分かってる?」
「ひどい言い様だな……」
「何か言った?」
「いいえ、すみません……」
監獄の看守のごとく、ぽんぽんと得物を自分の肩に乗せながらミハルがゆっくりときびすを返す。
「……それで、どういう経緯でそうなったのか説明して」
「まず俺が家に帰って玄関を開けると」
「うん」
「『騎士の家に盗みに入るとは不埒者め!』って奥から出てきたファムちゃんが剣抜いてきて」
思わずミハルは畳の縁で足を取られそうになった。
「嫌です、おじい様ったら。秘密にしておいてくださいとお願いしたのに」
「ははは、流石に家の前まで剣持って追いかけられたのはびっくりしたなあ」
「私としたことが、とんだ失礼な勘違いを……」
「このうっかりさんめ。いいのいいの済んだことだし」
「良いの!?本当に!?割とすごいことされてるけど!!」
のどかに談笑を始める二人を前に、老人を凶器を持って追いかけまわす完全武装の女騎士の姿を脳裏に思い描いてミハルは気分がくらくらとした。
「そのまま警察に通報しようとか考えなかった……?」
「どこが見た顔だなって思ったら、ファムちゃんが気付いてくれてそのまま家に上げてくれたんだよ」
「ミハル。私が理由もなく剣で人を斬り殺すような軽率な人間に見えますか?最初から適当に追い払うか捕えるつもりでした」
「いやちょっと待て。理由があってもダメだぞ斬り殺すのは」
聞き捨てならない発言に慌てて釘を刺した少年を無視して、祖父と女騎士は再び笑顔で話し始めた。
「夫の留守を守るのは妻の当然の役目です」
「ファムちゃんは将来良いお嫁さんになるなあ」
「もちろんです。お任せください」
「いやいやいや、おかしいだろ!?」
思わぬ形で水を差されたが、なおも少年は抗弁しようとする。
「おかしいって、何が?」
「だって、その……。い、いきなり外国人の女が家にいて、何も思わなかったのかよ!?」
「お前がうちに泊めてあげたんだろ?」
「そりゃまあ……そうなんだけど」
パニックになった祖父が慌てて大騒ぎして周囲を巻き込んで……という最悪の事態にならなかったことを喜ぶべきなのかもしれないが、この異常事態を平然と受け入れている祖父の胆力についていけるほどの余裕をミハルは持ちあわせていなかった。
「うちに帰ったら丁寧に挨拶してくれたもんな、ねえ、ファムちゃん?」
「ですよ。ねぇ?」
「その『ねぇ』はやめろ!」
どういう経緯か知らないが、祖父と女騎士の間で急速に距離を詰めつつあることがミハルの神経を逆なでした。
「それにファムちゃん、ミハルの彼女なんだろ?」
「はぁ?」
「照れるな照れるな。前にも言ったろ、孫がモテるのは嬉しいのだ」
「――――――っ!」
否定しようと体を前に傾けたミハルよりも一歩先んじて、ファム・アル・フートが口を挟んだ。
「お祖父様。そんな水臭い呼び方はよしてください」
「え?」
「義理とはいえ孫なのですからもっと気安い扱いをお願いします」
「はっはっはっ、おい。好かれてるなあミハル」
「いい加減にしろ!」
耐えきれずミハルは叫んだ。
「騒がしいやつだなお前は」
「どうしてこう神経質なのでしょう」
「あれかなあやっぱり体格がコンプレックスなのかな」
「陰毛がまだ生えていないというのも『一人前の男子ではない』という劣等感を掻き立てる要因ではないかと……」
「うっさい!いつの間にか仲良くなるな!タッグ組んで俺の方を悪者にするな!毛の話はするな!!」
流石に息が続かず、ミハルはぜいぜいと荒い深呼吸をした。
「だって……なんでヘラヘラ笑ってんの!?こいつをどうするかとか、もっと真剣に相談するべきじゃないか!」
「ああ、ファムちゃんのことなら心配するな。しばらくうちで泊まってもらうことにしたから」
「え?」
明日の天気予報を告げるような気楽な声で、祖父はとんでもないことを言い出した。
「え……だって、こいつがどこから来たのかとか知ってんの?」
「アルマーク公国……だっけ?東欧の」
祖父の疑問符に、隣のファム・アル・フートが小さく首肯する。
「そこの領事館の手違いで、交換留学先が受け入れてくれなくなったんだろ?」
「え?」
知らない情報がいきなり耳に飛び込んできて、ミハルは混乱した。
「大変だったよなあ。若い女の子が仕方なくテント暮らししてさあ」
「え。えぇ?」
「パスポートと外国滞在許可証は確認したし、コピーも取らせてもらったぞ」
「…………」
「あとは逗留受け入れの書類に俺がサインして投函すればいいんだろ?ちゃんと聞いたよ」
そう言って祖父は、ミハルが見たこともない文字が整然と並んだいかにもお役所仕事的な書類を取り出して見せた。
「……」
ようやく事態が飲み込めてきたミハルは、ほとんど噛みつくようにしてファム・アル・フートの耳に向かって囁いた。
(……お前、爺ちゃんに何って説明したんだ!?)
(私も良く分かりません)
(はぁ?)
("ファイルーズ"が代わりに喋ってくれました。あの紙の束も彼が用意したものです)
そうだった、忘れていた。
こいつ自身は世間知らずの常識外れで時代錯誤の女騎士でも、ミハルが知っている技術の水準をはるかに超えたオーバーテクノロジーな味方がいたのだ。
<<必要と思われるカバーストーリーを制作し、ご老公に説明した>>
(パスポートと書類はどうやった!?)
<<貴公はそれを知る権限を与えられていない>>
(………)
無機質な声は余計なことは一切喋らない、という硬い意思を感じさせる調子で沈黙した。
(公文書偽造は立派な犯罪だぞ)
「私にとっては聖務は全てに優先します」
例のまっすぐな視線で、小さくだが部屋中に響き渡る声でファム・アル・フートは断言した。
「聖務?」
「あ、えーと、その……なんていうか」
湯飲みを置いた祖父が興味を持ったのに、ミハルはどう説明したものかしどろもどろになる。
「先日も申し上げましたが、私はミハルと結婚します」
「ちょ、おい!」
余りに直截な言い方にミハルは泡を食ったが、祖父は大して驚いた様子もなく少し考えて言った。
「孫をよろしくお願いします」
「こちらこそ不束者ですがよろしくお願いします」
「だから間違ってるって!」
畳に手をついて頭を下げ合う二人を前に、もう泣きたい気持ちで胸がいっぱいになったミハルは、どうして良いか分からず自分の髪を掻きむしった。
「どうして!どうして爺ちゃんってそうな訳!?」
「おー、まだこういう話は恥ずかしい年か。ミハルは」
「そういう問題じゃない!いきなり出てきた女が結婚とかなんとか言い出してさ、何とも思わねーの!?」
「いや、でもさ、そこは男と女の関係じゃん。時間じゃないと思うんだよな俺は」
「何だよそのパワーワード!ずりーよ!」
「相手が外国人でも大丈夫大丈夫。俺も国際結婚だから」
「え?」
初めて聞く祖父の言葉に、ミハルは目を丸くした。
「最初はそりゃ戸惑うこともあったけどさ、大丈夫大丈夫。慣れるもんだ」
「えーーーっ!?」
話が思わぬ方向に転がり始めた。
「もしかして、おばあちゃんって外国人だったの!?」
「言ってなかったっけ?」
「全然聞いてない!」
自分がクォーターであるという衝撃の事実を、あっさりと祖父から漏らされたことにミハルは愕然とした。
「ミハル。混血を恥じることはありません。私も混血ですよ」
ぽかんと口を開けた少年の袖を、ファム・アル・フートが引っ張った。
「えっ、そうなの?」
「ええ。瞳は一族の特徴ですが、この髪と肌の色は母の母国であった北方系の遺伝です」
ファム・アル・フートの世界の人種分布がどんなものかミハルには想像もつかなかったが、どうやら複雑な家系であるようだ。
「だらしなく胸と尻が大きいのも母の血です」
「いや聞いてないけど」
「同じ地球の上に住んでるんだから、大して違いはないって。なあ?」
「全くおじい様のおっしゃる通りです」
「……」
彼女が来たのは同じ地球どころか同じ世界ですらないかもしれないのだが、ミハルはそのことを告げる勇気も気力もなかった。
「だいたいお前、さっきから大声で文句ばっかり。一人で異国に来た女の子にやさしくしようとは思わんのか」
「え?」
「留守中にちゃんとうちの中、全部掃除して片付けてくれたんぞ。お礼くらい言ったらどうだ?」
言われて初めて、ミハルは部屋の中を見渡した。
特別散らかっていたというわけではないが、そこは男所帯。
雑然と邪魔にならない程度に物が積まれていたりホコリが積もっていたりと混沌が忍び寄っていたところに、いつのまにか整頓と掃除が行われ秩序が行き届いた状態になっていた。
(家中を掃除してた……?)
「お褒め頂くほどのことではありません。身を周りの環境を律するのは騎士として当然です」
「聞いたかミハル。できた子じゃないか」
「夕食は私が腕を振るいますから、どうぞ楽しみになさっていてください」
「いやあ、ははは……。おい良かったなミハル!家庭的な子で!」
「…………」
ものすごい勢いで外堀が埋められている、という事実を認めざるをえなくなり、ミハルは表情筋を凍り付かせた。




