4_8 もう少しだけ
―――――放課後。
「……ところでなんでミハルくん、今朝教室に靴持って入って来たの?」
「それも上履きも履かずに、靴下でさ」
「いつも余裕持ってくるのにHRギリギリだったしな」
「えーと……」
うまくやり過ごしたつもりが、今朝教室に入った時の不自然過ぎる姿はばっちりとクラスメートのアンテナに引っかかってしまったらしい。
腑に落ちない顔をした友人たちにあっという間に机を囲まれて、ミハルは答えに窮した。
まさか女騎士にお姫様抱っこされて屋上に着陸してきたとは言えない。
「その、寝坊して……。慌てて下駄箱通り過ぎて教室来ちゃって……」
「あー、それ俺もよくやる!あるある!」
「ねーよ」
賛同を示したジュンにタクヤが冷たい視線を送るが、マドカはさらに首をかしげた。
「……でもミハルくん、今朝って階段降りてきたよね?アタシ廊下でチラっと見たもん」
「――――――っ!」
そうなのだ。
3階建ての主校舎のうち、ミハルたち1年生のクラスはどの教室も1階に配置されている。
ミハル自身顔から火を噴くような思いで、脱いだ靴を片手に上級生たちのクラスに面した廊下を走り自分の教室まで欠け下りてきたのだが、遅刻しそうな1年生の姿としてはあまりに不自然なのだった。
「えっと、その……あんまり慌ててさ」
「慌てて?」
「うっかり自分のクラスどこにあるのか忘れちゃった……」
泣きたくなるような思いで、ミハルは考えつく限り一番矛盾のない弁解をひねり出した。
呆れた顔をするマドカ。
まだ不審そうなタクヤ。
ジュンはといえば悪意のない顔でこくこくとうなずいている。(まさかとは思うがこいつは良くやるのかそんなこと)とミハルが戦慄しかけたところで。
『しょうがないなあミハル(くん)は』
と計ったように同じタイミングでどっと笑い声が起きた。
突然生暖かい優しい空気に包まれ、ミハルは困惑した。
(なんだこの空気……!?)
タクヤが、ぽんと肩に手を置いてくる。
「まあミハルくんだって、いろいろあるよね疲れる理由が」
マドカが芝居がかった様子でハンカチで目元を拭う。
「そうそう。突然の生活環境の変化、とかね……?」
「……」
「うちに金髪の美人のお姉さんがいるんだもん」
「一つ屋根の下で何も起きないはずがなく……」
「―――もうミハルさんって呼ばなくちゃダメかな?」
「アタシたちが知らないところで、大人の階段を上っていったのね……」
「そういうのやめろ!分かってて言ってるだろ!」
わざとらしく目を細めるジュンとマドカの二人に、あっというまに余裕を失ったミハルは頬を染めて喚いた。
その中で一人、まだ眉間に皺を寄せたタクヤが抑えた口調で喋ってくる。
「本当に大丈夫か?困ったことがあったら言えよ」
「う、うん。あいつも今のところ犯罪になるようなことはしてないから……」
密入国の疑いと遺棄物の盗難をしていた可能性からはわざと目を逸らしてミハルは答えた。
「でもさ、うちの人とかよく許したよな?」
「え?」
「だっておじいさんと二人暮らしだろ?犬かなんかじゃあるまいし、普通いきなり外国人家にあげて住まわせないだろ」
「……」
ミハルは昨日ずっと連絡がない祖父の粗忽さと、連絡がないことをいいことにすっかり意識から抜け落ちていた自分の迂闊さを思い出して、急速に顔から血の気が引いていくのを感じた。
慌ててスマートフォンを取り出すと、無料のメッセージアプリを確認する。
祖父の会話のログに今日の午後の日付で未読の新着メッセージが一件入っていた。
授業中ということで着信を無音にしていたのが災いして今まで気づかなかったのだ。
『昨日何も言わずに外泊して悪かったな。昼メシ食ってから帰るわ』
絶望的な文章がスマフォの画面に表示されていた。
祖父が何も知らずに帰った家には、やはり事情を知らない女騎士がいるはずで……。
「あ――――――っ!」
クラス中の視線が突き刺さるのも構わず、ミハルは声を上げずにはいられなかった。
――――――。
息を切らしながら、ミハルは全力で自宅へと急いだ。
あまり自信のない体力がすぐに底を尽くのを感じながら、途中の信号や歩道橋をもどかしく思いつつまっすぐに家へと向かう。
どうか祖父が何かの気まぐれでまだ帰っていませんように、と願いながら自宅の玄関を開いた。
「た、ただいま……」
「おう。おかえり」
「……!」
おそるおそるかけた挨拶に合わせて祖父がぬっと今から顔を出してきて、ミハルは心臓が止まりそうになった。
「どうした、そんなところで固まって」
「い、い、いや別に……」
「すごい汗だぞ?」
「は、は、走って来たから……」
「え、なんで……?」
靴ひもをほどくのにも難儀しながら、早鐘のようにばくつく鼓動に急かされるようにしてミハルはそそくさと鞄を持って居間へと入った。
「どうした、そんなに慌てて」
「うん……何でもない」
祖父は老眼鏡をかけて新聞を開いているところだった。
手持ちぶさたに鞄をそのあたりに置いたところで。
「ミハル」
「……なに?」
「お前何か隠してないか?」
飛び上がりそうになった。
鋭い。流石身内だ。
「いや、別に……」
「ふーん……」
こういう時は無理に否定したり押し黙ったりするよりも、矛先を逸らすことだ、とミハルは直感した。
「おじいちゃんこそ、何か俺に隠してない?」
「何が?」
「眼鏡のフレームが変わってる」
「……」
金ぶちのどう見ても高価なやつだった。どうやら『臨時収入』があったらしい。
「麻雀でいくら儲けたの?」
「お前は知らなくていい」
「おい」
「税理士の先生に相談するから大丈夫」
本当に大丈夫だろうか、とうそ寒い気分が背中を撫でてくる。
「……」
「……」
お互い秘密を背中に隠し持っている者同士の、ぎすぎすした沈黙が流れた。
このままではらちが開かない。ミハルは探りを入れてみることにした。
「おじいちゃん。何かさあ、うちに帰ってきて変なことなかった?」
「……変なこと?」
「家の中に誰かいなかった?」
「……誰かって、誰が?」
「…………勝手にうちの風呂に入ってる女がいたとか、喋る鎧が置いてあったとか、バカでかい剣がその辺に転がってたとか……」
「何それ!?お前、何か隠してんの!?じいちゃん急に不安になってきたんだけど!」
泡を食った祖父を見て、ミハルは自分がとてもうしろめたいことをしている気分になってきた。
祖父は家族の中で一番自分によくしてくれているのに、このままではあまりにも申し訳ない。
実家が嫌になって泣きはらしていたころ、この家から通学できるよう取り計らってくれたのも祖父ではないか。下手に隠し立てするよりも、思い切って打ち明けた方が良い結果が生まれそうな気がしてきた。
「……」
立ち上がると祖父の正面に座り直し、正座の形に足を組む。
「おい、どうした。改まって」
「おじいちゃん。お願いがあります」
自分はバカなことをしようとしている。そう自覚しながら、何か心の奥底で譲れないものがミハルを突き動かしていた。
「何。どうしたんだ」
「その、ちょっとうちで預かってやりたいやつがいて……」
「なんだ、友達か?家出でもしたのか?」
「ううん。知り合ったばっかのやつ。ほとんど何も知らないような……」
口にしながら、ミハルは本当にファム・アル・フートのことを何も知らないでいる自分に気付いた。
友達でも何でもない、ただの他人だ。
一方的に要求され、押しかけられ、都合を押し付けられているだけの迷惑な招かれざる客。理性はもうとっくにそう結論している。
なのに……。
「でも、その、ほっとけないやつで……」
「それで?」
「なんとか、その、ちょっとだけでも助けてやりたいんだ」
つっかえつっかえ喋っていると、自分の話を辛抱強く聞いてくれている祖父に感謝するとともに再び申し訳ないという感情が湧き出てくる。
「……つまり、どうしたんだ?」
「変な話だけど、ホームステイでも居候でもいいから、落ち着く先が見つかるまでしばらく住まわせて……」
少しだけ。ほんの少しだけでいい。
もう少しあいつのために何かしてやりたい。
その気持ちに押されるまま、精一杯の勇気を奮って少年が懇請の言葉を口にしようとした時。
奥側の居間のふすまが音もなく開いた。
「お待たせしました、おじい様。お茶が入りました」
「…………」
お盆を持ったファム・アル・フートが立っていた。
絶句するミハルの前でいそいそと座卓の傍にひざまずくと、急須のお茶を湯飲みに注ぎ始める。
「おー、ありがとうファムちゃん」
いきなり相好を崩した祖父が、そそくさと新聞を畳んだ。
「いやぁ、良い匂いだ」
「まだ覚えたてて上手く煎れられたか分かりませんが……」
「うん、うまい!べっぴんさんに入れてもらったお茶は格別だなあ」
「まあ、お祖父様ったらお上手ですこと」
うふふ、あはは、と言葉を失ったままのミハルの前で気持ち悪く笑い合う。
「いやー、ミハルは女の子に興味がないのかと心配してたけど、まさか俺の留守中にこんな美人さんを連れ込むなんてなあ。しかも外人さん!」
「恐縮です」
「その上、結婚の約束までしただなんて……子供は大人が見てないところでいつの間にか育つもんだ!」
「おっしゃる通りです。寛大にも私を受け入れてくださって、誠にありがたく思っております」
「いやいやファムちゃん。礼を言うのは俺の方だ。孫をよろしくお願いします!」
「お任せください!」
「ファムちゃんみたいな美人さんがお母さんなら、赤ちゃんはきっと珠のようにかわいい子だろうなあ……」
「まあ、おじい様ったら気が早過ぎます!……子供は来年か、その年の温かい時期に合わせてですよね?ねえミハル?」
黙り込んだミハルの前で、祖父と女騎士は声を立てて笑い合った。
「えーと、すまんすまんミハル。話の途中で。それで、誰をどうしたいんだって?」
「おぉ、すみません気付かずに。ミハルの分のお茶も今用意しますからね」
「……」
少年はそっと祖父が読んでた新聞紙を手に取ると、手の甲に血管を隆起させながらくるくると固く巻いて一本の棒状にした。
ふつふつと震える膝で立ち上がる。
即席の新聞紙刀を一閃し、何もない空間を薙いだ。
――――――パンッ!!
振るわれた新聞紙に遅れて、その先端の速度に切り裂かれた空気が破裂する音が響き渡る。
目を丸くした祖父と女騎士を睥睨して、少年は告げた。
「―――――――ちょっとアンタたち、そこに座れ」
「「……はい!」」
低く押し殺した声は、思わず瞬時に二人が真顔に戻るほどの迫力だった。




