4_7 登校風景
いつも通りの目覚めだった。
温かい布団の中で頭と体がだんだんと覚醒に近づき、意識が形成されていくイメージ。
その曖昧な状態が心地よくつい陶然となって、枕の上で甘い呻き声を漏らしてしまう。
もうすぐ身支度で忙しい朝が控えているのは知っているのに、叶うならばいつまでもこのままでいたいと思えてしまうくらい幸せな時間。
だが至福は長くは続かない。
勤勉でやっかいな安全装置が自分の仕事を果たし始めたからだ。
<<……ジリリ>>
<<ジリリリ>>
<<ジリリリリ……!>>
焦らすように少しずつ音量とオクターブを上げて、目覚まし時計が現在時刻の午前7時を知らせてくる。
そういう機能のものを選んで買ったのが悪いのだが、じわじわと綿で首を絞めるようなやり口に微かな苛立ちを覚える。
幸せな空気が霧散して、甘やかな微睡みは急速に覚めていった。
ジリリリリ!!
(ああ。分かった分かった。起きることにするよ)
待ちきれなくなったのか最大音量でがなりたてる目覚ましに急かされるように、マットレスに腕を突く。
一息に手が伸びるところでうかつに解除して二度寝しないように、時計は枕元から離れた位置に置くことにしている。
まだ寝床にいたいと駄々をこねる体をしかりつけながら、身体を起こそうとした時。
ドドドド…………!
部屋の外から、廊下を走って何かが近づいてくる音が聞こえた。
(―――――――――っっっ!?)
一気に目が覚めた。
心地よい朝寝の中で忘れかけていた。
いや、敢えて思い出さないようにしていた。
先送りにして無意識に避けていた現実の問題が、扉の向こうまで近づいている。
―――ヤツが来る!
バンッッッ!!
蝶番を壊すつもりかと思えるほどの勢いでドアが全開にされた。
「無事ですか、ミハル!?この音は一体!?」
「うわあっ!?」
女が部屋の中に飛び込んできた。
まだ朝早いというのに手間のかかる方法で長い金髪を結い上げ、その上に銀色に光るヘッドセットを乗せている。
それだけならば無害なのだが、その手は金属製の手甲で覆われ、丸い胸甲が胴体を堅固に守っている。
さらに悪いことに片手には平和な朝には不似合いな酷く物騒なもの……太い鞘に収まった長剣が握られていた。
一言で片付けるなら、女騎士だった。
そんなものはファンタジー世界の住人で、現実には歴史上の人物だろうと騎士階級に叙任された人はいても本物の鎧を纏って戦った女性騎士はいない。
ミハル自身そう思っていた。つい一昨日までは。
どういう因果なのか、平和な一般家庭である自宅の、しかも私室に完全武装のまま血相を変えて飛び込んできている。
「敵はどこです!?……むっ!?」
部屋を見渡した女剣士の目元が、机のサイドテーブルのある一点に止まり、危機感に引き締まる。
まずい。目覚まし時計に気付かれた。
「この――――――っ!」
水が流れるように滑らかな動作で剣が引き抜かれる。
コスプレ用の模造品ではない。演武用のものでもない。
本物の研ぎ澄まされた刃が、朝の穏やかで新鮮な日光を浴びて煌めいた。
その輝きを見せつけるように大上段に振りかぶった……もとい、天井にぶつけないように慌てて切っ先を下げた女騎士を、ミハルは慌てて止めに入った。
「駄目だ、壊すな!」
「――――――っ、そうですか、分かりました!」
一瞬驚いたようだが、それでも物分かりが良い反応を示し、女剣士は剣の柄に込めた力を緩めた。
長すぎる剣を、器用な動きですっと鞘に収める。
(……危ないところだった)
ミハルは胸をなでおろした。
あと一歩で、数年来の付き合いの目覚まし時計をぶった切られるところだ。
しかし、時計アラームが作動したくらいでこんな大騒ぎをされては、これからが思いやられるというものだ。
「……あのな。それは目覚まし時計で」
頭を掻きながら説明しようとしたところで、女の背中がつかつかと机に近寄るのが見えた。
まだひっきりなしにアラーム音を叫び続ける目覚まし時計を、金属製の手甲ごしにむんずと握りしめた。
……嫌な予感が少年の背中を走る。
「―――これは爆弾ですね!?」
「っ違げーよ!!」
振り返って見当違いなことを確認してくる女剣士の、緊迫感に溢れた顔を見て直感する。
何をするつもりかすぐに分かってしまった。
「待て―――!」
「ふっ!」
制止の声も空しく、机に一番近い窓ガラスが勢い良く開かれた。
昨日鍵を閉め忘れていた自分の迂闊さを呪いながら、少年の視界の中で女騎士が力強く目覚まし時計を振りかぶった。
「てやあああっっっ!」
「きゃああああ!?」
渾身の力を込めて……躍動感溢れるフォームで、窓からそれをオーバースローで投擲した。
「バカ―――ッ!?」
「伏せなさい!」
罵声を無視して、女騎士がミハルへ飛びかかってくる。
質量と勢いに逆らえず、ベッドの上で押し倒された。
剣をカーペットに向けて放り出すと、上になって両手で少年の頭を抱くようにして密着してくる。
「ムゴッ!?」
「ミハル!息を止めて!口を開いて!」
量感たっぷりのバストを硬く冷たく分厚い金属で覆う胸甲を顔に押し付けられて絶句するミハルをよそに、女騎士は硬く目を閉じながら叫ぶ。
爆風と衝撃と破片から下にいる寝巻姿の学生を守るためにに、その姿勢のままぎゅっと全身を固く硬直させてくる。
「―――――――――。」
「……」
「―――――――――っ!」
「…………」
「―――――――――?」
「………………」
……もちろん爆発なぞ起こるはずもない。
外から聞こえてくるのは通学に向かう小学生たちの黄色い笑いと、庭のスズメのさえずりと、哀れにも部屋から投げ飛ばされた目覚まし時計の音だけだ。
何秒経ったろうか。
だんだんとミハルを抱きしめる力が抜けてくる。
両手の拘束をほどくと、ようやく体を離してくれた。
ベッドの上でぐったりと脱力したままの少年の様子には気付かない様子で、ふうと安堵の息が少し薄い唇から漏れた。
まだ緊張感が残った面持ちで額の汗をぬぐいながら、女は言い切った。
「…………どうやら不発だったですね」
「だから爆弾じゃねえよ!?」
―――――――――。
ミハルは急いで玄関に降りると、サンダルをつま先にひっかけて律儀にもまだアラームを続ける目覚まし時計を拾いに行った。
哀れな起床装置は放り投げられる途中で裏庭の柿の木の枝にぶつかって、庭先に落下したらしい。生垣の葉の上に乗っかっていた。
その数メートル先の道路を、ランドセルに黄色いカバーをかけて小学校低学年児童が元気に集団登校していた。
(……本当に爆弾だったとしてもダメダメじゃねえか)
部屋に戻り、無残なへこみ傷と擦り傷ができてしまった時計をテーブルの上に置く。
ベッドに腰を落とす。少なくとも見かけはしおらしげにしている女騎士を向かいの机に備え付けの椅子に座らせた。
「ごめんなさい。次からは気を付けます」
「そうしろ」
「遠投する前にちゃんと障害物のない方を確認します」
「やめろバカ」
「騎士に向かってバカとはなんですか、バカとは!」
抗議の声と共に、女騎士が不満そうに眉を歪めた。
傍らに抱いた長剣から恫喝めいたがちゃりとした金属音が鳴る。
うんざりした目でミハルは見返した。
口では弱気を助け強気をくじくなどと威勢のいいことを言っているが、出会ってからやることなすことこうして空回りばかりである。
こうして目の前にしていても、『自分が女騎士だと思い込んでいる気の毒な人』と言われた方が納得しやすいくらいだ。
「あのさ、ファムさん?」
「"ファム・アル・フート"です」
「だからファムでしょ?」
「それでひとつの名前なのです!”ファム・アル・フート”!」
長いし呼び辛い名前をまた繰り返してくる。
「アンタって本当に騎士なわけ?」
「騎士の言葉を疑うのですか?」
(言うことだけはいっちょ前だな……)
(面倒くさいしファムでいいや)
とぼんやり思っている少年の前で、女騎士は騎士の偉大さとその責務の重要さについて力説を始めた。
興味もないし聞く義理もないので聞き流していると、少年は何か意識の奥底にさざなみのように波紋が立っているのに気付いた。
首筋が落ち着かない。何か大事なことを忘れている気がする。
キズモノになった目覚まし時計の盤面に焦点があった。
時計は長針で8時、短針で25を指し示していた。
…………8時25分!?
「あ―――っ!?」
「どうしましたか?」
「もうこんな時間!学校!」
慌てて寝巻の上を脱ぐ。すぐに着替えて出なければ、HRの開始に間に合わない。
遅刻なんてしたら担任の力石教諭に何を言われるか……想像するだけでも恐ろしい。
「学校というのは教育機関のことですね?」
「そうだよ!遅刻したら大変だ!」
「そこまでは何分ほどかかるのですか?」
「えーと急いで走って……15分くらい?45分からHRだから、もう出ないと間に合わない!」
慌ててシャツに袖を通す少年に、女騎士はアイロンでしっかり折り目のついたズボンを手渡してきた。
「急がなくても大丈夫ですよ」
「え?」
「ゆっくりとはいきませんが朝食を取って髪を整える時間はまだあります。ほら、威儀を整えて」
何を言われているのか分からずに手が止まる。無視して女騎士はするすると学校指定のタイを襟に通してきた。
「はい、できました」
そのままネクタイを結ばれてしまう。
(……手甲つけたままで器用なやつだな)
―――――――――。
足元の方で低く重い音が響く。
再びの浮遊感と加圧を、ミハルは歯を食いしばってこらえた。
それが徐々に和らぐのを確認して、舌をかまないように精一杯気を付けながら口を開く。
「……本当に、他の人からは見えないんだよな!」
<<イオン化粒子による光学迷彩を実施中。目視される可能性は低いと判断>>
「神の奇跡を疑うとは!」
「アンタは神ってつけば何でも納得しそうだな!」
ミハルは大声で喚いた。
そうしないと、髪を乱暴にかき乱していく気流に負けて自分の声も聴き取れなくなりそうだった。
「ねえ、ミハル」
「何!?」
「もう少し落ち着いて喋れませんか?せっかく密着度の高い姿勢でいるというのに」
「この状況で落ち着けるか!」
びゅうびゅうと風を切る音が耳元でする。
四月とはいえまだ太陽に熱せられていない朝の空気は、容赦なく頬を撫でるたびに体温を奪っていく。
かつて経験したことのないシチュエーションに心臓は跳ねあがるばかりだというのに、元凶である女騎士は涼しい顔で宣ってきた。
「刻限に遅れそうになったり、空を飛んだくらいでいちいち騒がないでください。」
「落ち着けるか―――!」
また降下が始まる。
重力によって引き寄せられ、胃がでんぐり返りそうになる気分を堪えながら、涙目でミハルは気分の悪さに耐えた。
視線を下げると、色とりどりの小さな四角がモザイク状に並んでいるのが見えた。
民家の屋根だ。アクセントに庭木の緑が挟まって、アスファルトの道路に区切られている。
視点が見慣れないせいかあそこが普段暮らしている街だという実感がいまいち湧かないが、自分がひどく不安定な場所……本来人が自力ではたどり着けない空間にいるのだということはくらくらする頭でも想像できた。
一体どういう原理なのか、地上から数十……目算なので不確かだが、もしかしたら数百メートルかもしれない……の位置に、女騎士に抱えられて少年はいる。
「あと、もうちょっと他に運び方ないかな……!?」
「これが一番安全ですから」
女騎士は背中と膝の裏に手を回し抱え上げるような形で……いわゆる『お姫様抱っこ』の恰好でミハルを運んでいる。
―――数分前。
庭でこの姿勢を取るよう命じられたときに精一杯難色を示したのだが、女騎士にあっさり却下された。
いわく、おんぶや横抱きだとすぐに取り落としてしまうらしい。
本当かどうかは怪しいが、遅刻がかかっている状況ではそれ以上抵抗もできずされるがままにその両腕に持ち上げられた。
もしかしたら本当は、お世辞にも体格に恵まれているとは言えないとはいえ15歳の男子高校生を軽々と抱え上げる腕力の方に驚くべきかもしれない。
『で、どうするの。あと10分もないんだけど』
<<戦術機動用のパワーアシスト機能を使用する>>
女騎士の鎧から、無機質な声が聞こえてきた。
彼女いわく鎧の精霊……本当かどうかはミハルは疑わしく思っている……”ファイルーズ”の発する平板な声だ。
『はあ?』
『とにかく言う通りにしてください』
<<騎士ファム・アル・フート。膝の屈伸を伴う跳躍姿勢を要請する>>
言われるがままにすると、四肢が後方に引っ張られていくような感覚とともに目の前の景色が急速に下方へ通り過ぎていった。
『――――――!?』
全身に感じる体に感じた浮遊感と持ち上げられていく視点に驚きを隠せず、思わず胸の前で抱えた学校指定の鞄を握りしめてしまった。
鳥顔負けの速度で急上昇した女騎士は電信柱の側柱を足場にすると、続いて隣家のコンクリートの屋根を強く踏みしめ、空中へと跳躍した。
『大丈夫なの!?ねえこれ大丈夫なのか!?』
<<現在本機の出力の0.8%程度を使用中。安全圏内である>>
『あーそう!すごいね!?』
やけっぱちになって少年は叫んだ。
『怖いならしがみついても良いですよ』
口の中に飛び込んでくる空気に怯えて、少年はぶるぶると首を振って拒絶を示した。
いわれるがままにするのは男のプライドに関わる気がした。
『ミハルはもう少し度量と自制心を養う必要がありますね』
『これってそういう問題かなあ!?ファムさん!?』
ついさっき目覚まし時計が鳴っただけで剣を振り回して大騒ぎした女が何を言ってやがる、と少年は思った。
――――――至る現在。
登校ルートのすぐそばで、重力を弄ぶかのような上昇と下降を繰り返す女騎士とそれに抱えられた少年は学校へと近づきつつあった。
「あはは!慣れると楽しいですねミハル!」
「楽しくねーよ!人にぶつかるなよ!建物か置いてあるもの踏んで壊すなよ!」
<<足場の反響測定及び慣性制御は問題なく作動中である>>
涙目の少年に比べて、女騎士はむしろ楽しそうな様子で衛星放送受信用のアンテナに足をかけ……人二人と鎧一つ分の重量を受けてびくともしないそれに全身の力を込めて再び跳躍した。
「この土地にだって、空飛ぶものは良くあるでしょう?あの銀色をしたものとか、うるさい回転する羽のものとか」
「あのな、ファムさん?普通の人は空飛ばないから!」
「”アルド”の騎士の偉大さをようやく理解してもらえましたか!」
「褒めてねーよ!なんだそのドヤ顔!?」
良くは分からないが、彼女が元いた世界でも空が飛べる人間というのは特殊な部類に入るらしい。
ミハルはそのことにちょっと安心した。
言い争っている間に、白い校舎が見えた。
母校である守土高校だ。
慌てて腕時計を確認する。8時40分ちょうど。これならまだ間に合う。
「あそこ!学校!」
「正門前で下ろせば良いのですね?」
「良いわけあるか!人目につかないところ……どっかその辺の……もういい!屋上で下ろせ!」
「はいはい」
女騎士が姿勢を変えて、着陸するために両足を踏ん張った。
急速に視界の中でタイル張りの屋上が広がってくるのを見ながら、ミハルは帰路は一体どうしようか考えていた。
前回から改行の仕方をこっそり変えてみました。
読みやすくなってるといいな……




