4_2 女騎士のいる生活(中)
「手をつなぎましょうかミハル」
「やだよ。なんでだよ」
「そんなに早く歩くと転びますよ。それから私が車道側を歩きます。鞄を持ちましょうか?」」
「いいよ構わないで」
「こうして並んで歩いていると、まるで長年連れ添った夫婦のようですねえ」
「…………どこが?」
どうしても言い張って聞かないので、ミハルは女騎士に『移動中だけ』という条件で好きにさせることにした。
力づくで言うことを聞かせても―――少年の細腕では多分無理だろうが―――女騎士が自重するとは思えなかったからだ。
勝手に後ろからこっそり尾行されたり、校内に不法侵入されたりしたらそれこそ目も当てられない。
だったら多少譲歩してでも、自分の目の届くところに置いておいた方が良い……そう判断したのだが。
「ミハル、あれは何ですか!?」
「幼稚園の送迎バス」
「あの者たちは何をしているのですか?」
「通勤途中なんじゃないの?」
「同じような格好をしている方たちは全員あなたと同じ学校に通うのですか?」
「そうだよ!」
「そんな大学校だとは思いませんでした」
失敗だったかもしれない、とミハルは思った。
ただでさえ身長の高い異国の美人が鎧姿で通学路を歩いている、これだけで十分目立ちまくっているというのに。
女騎士はいちいち何かを見つけては、目を輝かせてミハルを質問攻めにしてくる。
その上物珍しげな視線を送ってくる生徒に対しては鋭い視線を返して威圧しまくるし、誰かが後ろから近づくたびに抜刀こそしないものの油断なく柄に手を伸ばして警戒する。
周りからの奇異と動揺の視線は、当然隣を歩いているミハルにも降り注いできた。
(誰だあの美人……)
(外人?うちの生徒じゃないよな…?)
(あの男子1年?どういう関係?)
などというひそひそ声が交わされているに違いない。
やっぱり無理矢理でもうちに閉じ込めておくべきだったかもしれない、とミハルがため息をついたところで。
「おっはよー、ミハル君。昨日はごちそ……うわぁ」
快活な声で駆け寄って来たショートカットの少女、大師堂マドカは女騎士を見るなり露骨に嫌そうな顔をした。
「お、おはよう……」
「おお、あなたは昨日の。おはようございます」
「ど、どうも……」
どう説明したものか気まずいミハルのことは素知らぬ様子で、女騎士は悪びれることもなく堂に入った挨拶をした。
それに対して引きつった愛想笑いを浮かべながら、こっそり近付いてきたマドカはミハルに耳打ちしてくる。
(結局昨日は聞けなかったけど、結局ミハルくんとどういう関係なのこの人!?)
「えーと……どこから説明していいやら……」
(なんで一緒に学校来てんの!?まさかストーカーとか!?先生に言った方が良くない、警察呼ぶ!?)
ある意味的確な、というより当然の指摘を受けて、ミハルは言葉に詰まった。
「その……」
「ミハル。ちょっと話が」
言葉を濁そうと口を開いたところで、肘を引っ張ってファム・アル・フートが何やら口を挟んできた。
「何?」
(この娘も同じ学校に通うのですか?)
「そうだけど」
(本当に愛人ではないのですね!?)
「くどいな」
(だって……気になるではないですか!)
ミハルはうんざりとした気分になって女騎士の方を見上げたが、意外なものがそこにはあった。
女騎士の表情には、疑念と、警戒と、それから妬みがあった。
(あんな均整の取れた……美しい体型の娘が、あんな破廉恥な恰好をして!)
大きく湾曲した装甲の胸の部分に無意識に手を当てながら、ファム・アル・フートは吐き捨てた。
「美しい?」
こっそりミハルは大師堂マドカの様子をうかがった。
少し心配そうにこちらを伺っている少女は、竹を割ったような性格とはっきりした物言いで学年の人気者の地位を占めてはいるが、外見はとびきりの美少女という訳でもない。
ジュンやタクヤの評でもかわいい部類には入っていたはずだが、良くいえばスレンダー悪くいえば変化に乏しい体型はミハルの目からはとても嫉妬を掻き立てる要素があるようには見えなかった。
多分そのあたりを歩いている百人に本音を聞いたら、大半はファム・アル・フートの方が美人だと答えるに違いなかった。
「そうなの?」
(そうですよ!)
そういえば大理石の裸婦像でも極端に胸や尻が張り出しような体型のものはまず見ないな、とミハルは思い出した。
多分通学路にいる何人かは羨望の視線を向けるであろうファム・アル・フートの起伏に恵まれた体型も、本人にとってはどうやらコンプレックスの対象らしい。
こういうところでも文化の違いは現れるものらしい。
意外な発見をしたミハルが思わず小さくうなずいたところで、いつの間にか学校近くに来ていた。
「?」
何やら剣呑な声が響き、足取りを重くした生徒たちが不満そうな空気を醸し出している。
正門前に人だかりができていて、その中心で体格の良い男子教諭が唾を飛ばすようにして生徒を怒鳴りつけていた。
「……ゲッ。郷田先生だ」
「うえ、またやってんのあのゴリラ」
影では『タケシ』『ジャイ公』などとあだ名で呼ばれる生徒からは嫌われている生活指導の教師である。
緩い校風が特徴のこの学校では例外的に口うるさいことで有名で、今日は抜き打ちで生徒の校則違反を取り締まっているらしい。
『スカートが短すぎる』『アクセサリーを外せ』などと叱り飛ばしていた。
女騎士を同伴していたら何を言われるか分かっていたものではない。ファム・アル・フートに帰るよう促そうと思ったが、ミハルの意図とは真反対に女騎士はずいずいと進み出ていた。
「ちょっと、どうすんだよ!」
「何って、貴方の指導教官でしょう。ご挨拶しなければ」
「せんで良い!」
慌ててつい大声を出したのがいけなかった。
ミハルのやや高い声が体育教師の耳にとびこんだらしく、張り出した眼窩の下のぎょろりとした目が少年を方を向いた。
「おい、お前……!一年の安川か、何してる!」
「ええっと、その……」
傍らの女騎士のことをどう言い訳したものか口どもったが、体育教師はどう見ても外国人の女騎士を見てぎょっと目を見開いただけで口をつぐんだ。
その意外な反応に、案外こういう手合いほど見慣れないものに対して保守的なのかもしれない、とミハルは思った。
が、すぐに教諭は気を取り直して、郷田は男子生徒の校則違反を目ざとく見つけだした。
「……安川ッ、何だあお前この髪は!」
「…………!」
どう言えば生徒を威圧できるかを工夫しつくされた声調の一喝で、体育教師は男子生徒の肝っ玉を縮み上がらせた。
「じ、地毛です……」
震える声で少年は返した。
その言葉に嘘はない。やや色素の薄い赤ちゃけた髪色は疑いなく祖母からの隔世遺伝なのだが、体育教師には生徒の真実は斟酌する事情とはならなかった。
「染め直してこいと前に言っただろうが!どういうつもりだ!ええ!?」
ごつごつした指が少年の頭に伸び、柔らかい髪を鷲掴んだ。そのまま頭を前後に揺さぶる。
「…………ッ」
「たるんどる!」
体育教師の行動は客観的に見ても指導を行き過ぎた暴力で、周囲の生徒たちも流石に唖然とした。
「先生!いくらなんでもやり過ぎです!」
「あぁ!?何か文句あるのか、貴様!」
耐えられず大師堂マドカが抗議の声を上げるが、耳まで真っ赤にした体育教師を掣肘するには至らなかった。自分の行動に自分で興奮しているようだ。
「失敬」
慇懃だが底冷えのする声が、その場の時間を止めた。
少年の髪を引っ張っていた骨太い手首に、銀色の手甲が伸びる。
「事情は知りません。この学校の規則は存じ上げません。ですが」
反射的に郷田教諭はファム・アル・フートの手を振りほどこうとしたが、びくともしなかった。
女騎士は底冷えのする声で語りながら、体育教師の腕に回った指に力を籠めた。
激痛に体育教師の握力が緩むが、まだ少年の髪の毛は指の間に絡まったままだ。
「公衆の面前でそれ以上、その子を侮辱するのは許しません。手を離しなさい」
「なっ、何を」
「手を離しなさいと言いました」
女騎士は更に力を籠め、手首をねじり上げた。
体格も身長も上回る体育教師の体軸が、理解できない痛みに現代アートのように均整を失い歪んでいく。
「…………っ!」
額に脂汗が浮かび、郷田教諭は耐えきれず指の力を緩めた。
ようやく少年が解放されたのを確認すると、女騎士は小枝を投げ捨てるかのようにぱっと手を離し、体育教師はよろけて辛うじて重心を保った。
「き、貴様っ!」
その行動は怒りか、それとも恐怖によるものだったのだろうか。
体育教師が生徒の名簿の挟まったクリップボートを反射的に振り上げた。
「――――――!」
その行為は女騎士の赤い瞳には自分への攻撃と映った。
振り下ろされた筆記用具を見事なダッキングで交わすと、カウンターでその顎に平手打ちを見舞う。
約束組手のように洗練された体捌きのあまりの速度と滑らかに、一瞬の攻防はそばにいたミハルにもおぼろげにしか見えなかった。
「……」
「センセ?」
周囲の生徒にとっての明白な変化は、体育教師の視点が宙をさまよい、ふらふらとたたらを踏んだところから表れた。
190近い長身の哀れな体育教師はガクンと膝から崩れ落ち、そのまま前のめりに倒れた。
ボクシングだったら即ゴングが鳴り響き、レフェリーが試合を止める見事なKOである。
「この地にも正義があることを思い知りましたか!」
「…………」
敗者を見下ろしながら女騎士は高らかに断言した。
「ミハル。勝ちましたよ!もう危険はありません、安心なさい!」
「何やってんだアンタは―――!」
ふん、とふんぞり返って鼻息を荒くした女騎士の頭に、少年は思わず漫才のツッコミに似た形のチョップを見舞っていた。
「…………!」
ついさっき屈強な体育教師を撃沈したばかりの女騎士が、痛そうに体を二つに折る。
「なっ、何をするんですか!?これがドメスティックバイオレンスというやつですか!?」
「いらねーことばっかりよく覚えてるな……。じゃなくて、何やってんの!まずいだろ、教師倒しちゃ!」
「公衆の面前で貴方を侮辱し、あまつさえ暴力を振るいました!見過ごせません!」
「いいの、この人は先生だから!」
「よくありません!」
ざわめく周囲の声など耳に入らない様子で、女騎士は助けたはずの少年の行動が理解できないといいたげに訴えた。
「何なに?」
「ジャイ公が倒れた」
「げっ、やばいじゃん」
「誰か先生呼んできなよ」
どよどよと動揺とざわめきが広がりつつある中心で、ぴくりとも動かない体育教師が地面に寝そべっている。
このままにはしておけない。ミハルは女騎士の背中を押して、その場を離れるよう促した。
「良いから帰れ!」
「どうしてですか!私は夫の名誉を守ったのですよ!?」
空気を呼んだミハルが慌ててファム・アル・フートを立ち去らせようとするが、抵抗する女騎士は体を丸め、眼の端には涙すら浮かべていた。
「帰れって!俺がどうにかして誤魔化すから!」
「ミハルはあんな侮辱を受けても平気なのですか!?」
「自分が何したか分かってんの!?」
「もちろん!烈女として称えられてもいいくらいだと思ってます!」」
「帰って!お願いだから―――!」
痴話喧嘩のようなやり取りと、事故現場のような喧騒の中で、死体のように沈黙を守り続ける体育教師の傍に立った大師堂マドカがぽつりとつぶやいた。
「……なんだ、良い子じゃん」




