3_14 朝帰り
翌朝。
ベッドに入った後もなかなか寝付くことができず、生乾きのタオルのように疲労感が体に残ったままでミハルは起き出した。
(昨日一晩、大人しくしてくれてたならいいけど)
と思いながらも、内心『目が覚めたら全部が夢でした』という結果を期待しながら客間の扉を開く。
「……」
中はもぬけの殻だった。
几帳面に敷き布団と掛け布団が、角を揃えて部屋の中央に畳まれている。
鎧も、荷物も、女騎士も、煙のように掻き消えていた。
まるで誰もその部屋には泊まっていなかったかのように、髪の毛一本痕跡は残っていない。
ミハルは誰の気配もしない部屋を見て、奇妙な感情が胸から湧き出してくるのに気付いた。
安心したような、拍子抜けしたような、何かの機会を失ったような。
それが何なのか自分でも説明できず、少しだけ苛立たしい気持ちが呟きになって唇から漏れ出た。
「せめて挨拶くらいしてからどっか行けよな……」
寝起きで乱れた髪をくしゃくしゃと指でかき分けながら、ミハルは居間兼食堂に入っていった。
昨晩テーブルの上に広げた鞄の中身も古地図も綺麗になくなっていた。
代わりに食事の用意がしてあった。
近づくと良い匂いが鼻孔をくすぐって来た。見たことのない料理だった。
粥らしいものがたっぷり金属製のボウルに入っている。
色と匂いから察するとジャガイモを使ったらしい。刻んだ香草の緑が目に鮮やかだ。
もう一品は卵料理だった。スクランブルエッグに似ていたが、ほとんど蜂の巣状態に卵がこんもりと膨らんだまま皿の上に乗っかっている。一体どうやって作るのかは想像もつかない。
「一宿の恩義ってわけか」
ミハルは椅子に座ると、几帳面にナプキン代わりのキッチンペーパーの上に並べられているスプーンとフォークを手に取った。
冷蔵庫の中を使ったのなら悪いものは入ってないだろうと、手を付けることにする。
卵は冷めていたが、卵黄と卵白は見事に泡立ち口の中でとろけた。塩が強めに振られているのが良いアクセントになっている。
粥の方は薄口だったが、悪くない味だった。ぶつぶつした食感が少し気になったが、滋味といっていい。
朝は食が細くなるミハルでも平らげられるくらい胃腸に優しい料理だった。
「ただいまー」
もしゃもしゃと口を動かしていると、玄関から祖父の声が聞こえてきた。電話で告げた通り始発のバスで帰って来たらしい。
慌ててボウルの中の粥の残りをかき込んだ。
「おう。起きてたのか。ミハル」
「お、おかえり……」
「どうしたんだ、客間の布団」
しまった、と思った。物思いに気を削がれて片付けそびれた上にうっかり戸を開きっぱなしでいたのだ。
どう答えたものか、少年の脳は音を立てて瞬時に回転を始めた。
何せこの祖父は豪放磊落のようでいて、細かいことによく気が付く。話に矛盾があったり不整合な点があったら即つつかれてしまうだろう。
思い切ってミハルは、判断を全部祖父に丸投げする道を選んだ。
「……昨日、女が寝てた」
「へー」
別段驚いたわけでもなさそうに、祖父は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し始めた。
「どんな子?」
「金髪で……変なやつで……。あと胸がでかい美人」
「ふーん」
祖父がグラスに注いだミネラルウォーターを飲み干す。
信じたのか、それとも敢えて追及の手を緩めたのか、とにかくそれ以上何も言わなかった。
「じいちゃんも何か食べる?
「いや、良いわ。寝る。店は夕方から開けよう」
喫茶『マリガン』の営業時間はかなりいい加減だ。
祖父が趣味でやっているようなもので、常連客も祖父の知人、友人が多いから通るやり方である。
「ところでさあ」
「何?」
「今度車買おうか?もう家族サービスはいらんから趣味のやつだな。最近のスポーツカーっていくらくらいするんだ?」
……そういえば、昨晩は雀荘で大きな勝負がどうとか言っていた。
「いくら稼いだの?」
「たくさん」
それ以上聞くのが恐ろしくなって、ミハルは学校に行く支度をすることにした。
――――――。
学校はいつも通りだった。
違うことといえば、昨日寝つきが悪かったせいでミハルは何度も居眠りをしかけてしまったことくらいだ。
押し寄せてくる睡魔と戦い、落ちてくる瞼に抵抗するので精一杯で、とても授業を聞く余裕はなかった。
おかげで古典の授業では『たるんどる!』と教師から丸めた教科書の一撃をもらってしまった。
教室中からどっと笑い声が上がって、恥ずかしさと情けない思いで一杯になって平謝りする。
その後罰として立ったまま授業を受けさせらながら、(どうして自分はこんな目に遭わなければならないのか)という昨日から通じての疑問が頭から離れなかった。
―――放課後。
今更ながらようやく目が覚めたような思いで、ミハルが教科書を片付けていると。
「ねえ、ミハルくん!」
祖父江マドカが、例のごとく身を乗り出すようにしてきた。
「何?」
「今日さあ、ミハルくんのお店行っても良い?私まだ行ったことないしさ!」
屈託のない笑顔で尋ねてくる。
「えっ」
ミハルは意外な申し出に軽く慌てた。
今日はバイトのシフトの日ではなかったが、昨日あまりにもいろいろなことがあり過ぎたせいで帰ってゆっくりしたいと思っていたのだ。
「あれ、マドカちゃんも行ったことなかったっけ」
「ミハルの店行くの?俺もついてこうかな」
マドカの甲高い声を聞きつけて、近くで週刊漫画誌を開いていたジュンとタクヤまで食いついてきた。
「……」
ミハルの脳裏で、先日の醜態が蘇った。
客の前で小さくなり、小声でぶつぶつつぶやきながら、許してもらえず祖父の助けを頼りにするばかりの情けない姿だ。
あんな自分を友人たちに見られたくない。
「いや、でも、本当に小さなところだしさ。……来てもつまんないと思うよ」
「俺は行ったことあるけどさ、珍しいもんたくさん置いてあるよ。インドの雑貨とか」
「そうそう。ミハルくんのおじいちゃん色んなこと知ってて面白いよ!」
タクヤが余計なことを言ったせいで、見たい見たいとマドカが黄色い声ではしゃぎ出した。
結局そういうことになった。
―――――――――。
「ミハルが友達連れてくるなんてねえ」
孫が友人たちを店に連れてきたことがよほど嬉しかったのか、ミハルの祖父はずっと相好を崩しっぱなしだった。
店に出るときの恰好……シャツと黒のエプロンに着替えたミハルは、他のお客の注文を取ったりコーヒーを煎れたりとなるべく忙しくふるまっていたが、カウンターで談笑する祖父と友人たちが何を話しているのか気が気ではなかった。
「…………それで、もう少しで相手側のファンの奴らと抗争になりかけてねえ。慌てて選手が乗ったバスを囲んでた連中を連れて逃げたんだよ」
「うわー、すげー!すげー!」
「あははは、おじいちゃん面白―い!」
孫の自分でも聞いたことがないような話をネタにしているようだが、本当に大丈夫だろうか。
「ミハルくんもこっち来なよ。おじいちゃんの話すっごく面白いよ」
他の客が引いたのを見計らって、マドカが誘ってくる。
店内を見回しても雑用は残っていなかったので……ミハルは諦めてカウンター側に回った。
「それで、昨日はそのすごいレイヤーの人探してたんですけど空振りで」
「この後またちょっとみんなで足伸ばそうかなって」
「ミハルくんも連れていって良いです?」
「ああもちろん良いよ!」
「良いのかよ」
即応した祖父にミハルが突っ込む。
「お前友達は大事にしろよ。仲いい子が3人もいることが分かってじいちゃんちょっと感動してるぞ」
「どんだけ交友関係狭いと思ってたのさ」
「みんなはどういう友達?」
「あ、趣味が一緒だったんです。"シュバルリーロマンス"ってラノベなんですけど……」
マドカがスマートフォンをいじって、検索結果が並んだ画面を祖父に向けて差し出してきた。
「ご存知です?すごい人気作で、映像化もされててー……。コスプレイヤーとかもたくさんいるんですよ」
「コスプレって漫画やアニメのキャラクターの恰好することか?」
3人が一斉に祖父の問に首肯した。
「……例えば、ああいう恰好した娘のことか?」
「えっ」
祖父の視線を追うと、店の表に面したガラスの向こうに歩道のそば電信柱があった。
「…………」
……もとい、鉄柱に両手を添わしながらそわそわと店内の様子を伺う金髪の女の鎧姿があった。




