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1_2 聖都にて

 聖都アスガルド。


かつて人と竜が地上の派遣を巡り争った時、御使いが現れて人類に団結をもたらす救いの光を差し伸べたと言われる聖地である。


現在は法王圏最大の都市にして、政治と商業と信仰の中心でもあった。



 中心を緩やかに流れる"濁った(ティベリス)"の右岸に聖堂騎士団の本部はある。


法王庁の総本山である殉教者大聖堂を守護する位置に座する都市城塞は、増築と改築が繰り返された結果、並みの諸侯の居城とは比べ物にならない要塞になってしまっていた。


平たい円盤の形をした堅牢な外壁は、目の前の聖天使橋を渡り大聖堂へ近づこうとするものを一人の例外もなく威圧している。



(信者の信仰の中心に建てるには無骨過ぎるのではないか)



 ファム・アル・フートは見るたびそう思うのだが、緊急時には法王以下法王庁の要人の籠城に用いられるとあっては仕方なかった。


地下の秘密通路で殉教者大聖堂の奥深くと繋がっているという噂がまことしやかに囁かれていたが、真相は末席の一騎士である彼女ごときが知りうることではない。



 カプラ村での竜退治から三日が経っていた。


本当なら竜退治の任務の後は復興の指揮や実況見聞など合わせて雑務が派遣された騎士に課せられるのが常なのだが、今回は急遽とんぼ返りすることになった。


村を上げての祝勝会をファム・アル・フートが固辞しているところを、聖都から早馬が届いたのだ。


竜を討伐した報がこんなに早く伝わるはずがないと首を捻ったところで、開いた命令書には『聖務の達成未達成を問わず即時帰還せよ』とあった。



 竜出現よりも優先しなければならない任務が何なのか、ファム・アル・フートには思いつかなかった。


叙任式を開き正式な騎士となってから3年。推薦を受けて聖堂騎士団に加わってからまだ1年の若輩者である。


そのような重要な任務に自分が指名されるとは到底思えなかった。




 愛馬を厩舎に預け世話を頼んでから、女騎士は所属する第六大隊の宿舎へと向かった。


常設の六個大隊のうち、最も歴史が浅い第六大隊はやたら広い本部の端の外壁添いに位置している。


ラインホルト枢機卿の肝いりで数年前に新設された大隊なのだが、職務上法王庁全域を飛び回ることが多いので、職掌を犯されると感じがちな他の大隊からの受けはあまりよろしくない。



 いわく、『厄介者』


またある人によると、『追い廻し専門部隊』。


あるいは『使い走りのプロ』。


悪いものを上げれば『枢機卿の愛人ども』。



 ……などと影口を叩かれていることくらいファム・アル・フートも知っているが、それを聞くたび珍しく反骨の気がむくむくと沸き起こるのを感じる。


どんな歴戦の部隊も最初は新造だったのではないか。


日が浅いからといって侮ってもらっては困る。


そもそも愛人云々に至っては完全な侮言ではないか。



「よっ!どーしたの、ふくれっ面して!」



 頬を膨らませていたところ、後ろから駆け寄って来た女に乱暴に肩を組まれた。


慌てて振り返ると、修道女の恰好をした女がくだけた笑顔を顔のすぐそばで見せている。



「シスター・オデット!」

「おめでとう、騎士ファム・アル・フート!見事竜を討伐し、単独討伐プラス1って訳だ!」



 頭に被ったケーブから亜麻色の前髪をこぼし、オデットと呼ばれた修道女は芝居がかった口調でまくしてる。



「いやあ、同僚兼友人としてあたしは嬉しいよ!ついにファム・アル・フートも一人で竜退治ができるようになったかぁ……。

お姉ちゃんとしては嬉しくもあり、寂しくもあり……。おっ、どうしたのほっぺた?アザできてるよ」

「名誉の負傷です。それと、誰がお姉ちゃんですか……。

 それより、また貴女はそんな着崩した格好して!」

「えー?前髪くらい聖都の他の修道女もこっそり出してんじゃん。

 折角堅っ苦しい修道院出られたのに、本部でもしち面倒くさい規則なんか守ってられないっての」



 頭の後ろに両手を組み、全く反省の色のない様子でシスター・オデットは唇を尖らせた。



「貴女は本当に修道騎士ですか……。ともかく、私はこれからこれから隊長に帰還の報告と復命に伺うところです。話はその後で」

「ちょい待ち。小耳に挟んだんだけどさぁ……」

「何です?」

「ガポーシュキン家の三男坊から求婚されたって本当?」

「本当です。ですが、もうお断りしました」

「えぇー!もったいない!玉の輿じゃん」

「何を馬鹿な……。私は教会の剣として、神の敵と戦うために研鑽の日々を送りたいのです。

 色恋や結婚などに現を抜かしている暇はありません」



 毅然と言い切る女騎士に対して、修道士は納得いかなそうに眉を歪めた。



「アンタももうすぐ22だよぉ?世間じゃとっくに結婚してて子供の一人や二人いても全然おかしくない年なのに。

 こんな殺風景な城壁の中に籠って、雑務と訓練ばっかに明け暮れてさぁ。

 短い短い花の乙女の青春の時間がもったいないと思わんのかね?」

「私は女である前に騎士なのだから当然です。

 ……それに、オデットの方が年上ではないですか」

「アタシ?アタシはもう修道誓願立ててっから。

 この身体も心もみーんな全部、神造裁定者様のものなワケ❤」

「ならばそれらしい恰好をなさい!」



 語気を荒げた女騎士は、いつの間にか大隊長の執務室前まで来ていたことに気付いた。



「……話はまた後で。良いですね」

「あいよ。今度良い男引っかけて飲む機会があったら誘ってやっから、アンタも早く良い相手見つけなよ」

「そういうことをするから、大隊がまとめて軽く見られるのです!」



 手をひらひらさせながら別れていく修道女の背中に鋭く言葉を投げつけてから、ファム・アル・フートは軽く深呼吸した。


 扉に向かって呼びかける。



「騎士ファム・アル・フート!ただいま戻りました!」

「入れ」



 命じられるまま入室する。


黒髪の優男が、体を斜めにして執務卓に座ったまま彼女を迎えた。


背筋を伸ばし、ファム・アル・フートは立礼する。


聖堂騎士団では団員同士ならば、最上位の団長相手だろうと跪礼は行わないのが慣例だからだ。



「カプラ村の竜討伐を遂行したことを報告します、ピッコローミニ隊長」

「ご苦労だった。報告は受けている、騎士ファム・アル・フート」



 ジョバンニ・ピッコローミニ……聖堂騎士団の中で最年少の大隊長は、卵型をした頭で頷いた。



「単独討伐は初めてか。どうだった」

「どうということもなく!」

「そういう台詞は無傷で帰ってから吐け」



 ピッコローミニが自分の頬を指さした。女騎士は恥じ入って顔にできたアザを抑えた。


顔に傷を作るようではまだまだ半人前と言われたのだ。



「肝に銘じておきます!」

「それで、呼びつけたのは他でもない。次の任務だが……」

「はっ、何なりと!」



 快活さと生気に溢れた顔でファム・アル・フートは頷く。


法王庁のために奉仕する神の剣の一員として、この程度で疲れてはいられないという自負がある。



「うむ。ああ……。いや、楽にしろ。俺もそっちに行こう」



 広い執務室に置かれた来客用の長椅子を勧められ、ファム・アル・フートは素直に腰かけた。ピッコローミニも移ると、どっしりと対面に腰を据える。



「……お前が聖堂騎士団に来てどれくらいになるかな」

「ちょうど11ヵ月です」

「もうそんなになるか。叙任式に立ち会ったのが昨日みたいだ」

「その節は見届け人を務めて頂き、ありがとうございます」



 叙任式で聖権によって地位に相応しい品位と実力を認められて、初めて正式な騎士をして認められるのがならわしだ。


見届け人に就くことはその騎士の後見になるという意味合いもあるから、ピッコローミニは慣習的にはファム・アル・フートの親代わりに等しい立場にあった。



「それは良いのだが、今回は少し特殊な任務でな……。貴公はまだ若過ぎるのではないかと不安に思うところがある」

「確かに若輩ですが、いかなる困難でも恐れはしません。どうかお命じ下さい」

「いや、その、お前の実力に疑いは持ってはいない。持ってはいないのだが……」



 こんなに言葉を濁すピッコローミニを見るのは初めてだった。


戦意と覇気を周囲に振りまくタイプではないとはいえ、配下の前では明晰な指示を下す上官のはずだった。ファム・アル・フートにはそれが不思議だった。



「ところで……」

「はい」

「貴公は恋人がいるのか?」

「えっ?」

「恋人がいるのかと聞いている」



 一瞬何を言われているのか分からずに、ファム・アル・フートは固まりかけた。



「……いいえ、交際相手はおりません」

「では好いている男とかは……。片思いの相手はいるのか?」



ひょっとしてこれは緊張をほぐすための冗談だろうか?


そう疑いかけたファム・アル・フートに向かって、大隊長は真面目そのものの顔で続けてきた。



「あるいは今、若い者で流行りの文通相手とかは?

 ああそうだ、お父上が決めた婚約者の類はいたりするか?

 一応聞いておくが、まさか同性愛者ではないな?」

「……」



 一体この隊長は何が言いたいのだろう。


ファム・アル・フートの脳裏に疑問符がいくつも浮かんだ。



 もしかして素行不良の類を咎められているのかもしれないと思った。


男女の交際をこじらせて問題になり、騎士道不覚悟として不適格の烙印を押されて追放された愚か者の例はいくつもあったからだ。


だが自分には心当たりは全くない。


そもそもそのような倫理上の詰問ならば執務室で隊長一人が行うのはあまりに不自然だった。


普通は騎士団の本部に呼び出され、査察部のお偉方を前に答弁することになるのではないか。



(――――――もしかして、考えたくはないですが)



 ファム・アル・フートはある可能性に思い至った。


まさかこの隊長は、自分を『女』として見ているのか!?



(そ、そんな!隊長はそんな方では!


…………でも確か前に)



 ……そういえば以前、本部の中庭で鉄靴の隙間に小石が挟まってしまった時。


裸足になって難儀しているところを、たまたま通りかかった隊長にじろりと見咎められたことがあった。


あのときは慌てて自分の無作法を恥じたが、よくよく思い出すとやらしい目で自分の足首を見ていた気がする。



 ついさっき入室する時も自分の胸のあたりをチラッと見てはいなかったか?


以前に『背の低い男ほど性欲が強い』という与太話をオデットがしていた覚えもある。


真偽はともかくとして、疑いの目で観察すると団長の自分とさほど変わらない体格となで肩が実に胡散臭く見えてきた。


実はあの昼行燈然とした眠そうな両目で、夜の性生活に付き合わせる相手を物色しているのかもしれない。



 ……だとしてもいくら部下相手とはいえ、勤務中に言い寄るとは正式な騎士相手にあまりに不道徳ではないか!


仮にも栄光ある聖堂騎士団の大隊長がそんな軟弱な人だとは思わなかった。



 ファム・アル・フートは決意を固めた。


ここははっきり言わなければなるまい。


例え今後騎士団の中で自分の立場が危うくなるとしても、こんな性的な嫌がらせに屈していてはとても恥ずかしくて神の剣を名乗れはしない。



「……申し訳ありませんが、私は隊長をそのような目で見ることはできません」

「なんだと?」

「私は奉仕と清貧の精神を忘れることなく、法王聖下の一振りの剣でありたいと願っています。年上の男性と不倫をするなどととても……」

「待て。何の話をしている?」

「『愛人になれ』というお話であればはっきりとお断りします、と申し上げています」



 胸に燦然と灯る正義感の炎に従い、女騎士は断言した。



「違う!」



 両手で机を叩くようにして、ピッコローミニ隊長は腰を浮かしかけた。



「違うぞ!?勘違いしてくれるな、俺は妻以外の女を持つ気はない!」



 執務室を震わせるほどの大声で、大隊長は叫んだ。


……一呼吸おいてから、威儀を整えようとわざとらしい咳払いをする。



「ああ、その……。新しい聖務の性格上な。

 貴公の個人的な理由によっては、団長の立場として人選を考えなければならないと……。

 つまりそういう訳だ」



 そう言われても話がつかめずにファム・アル・フートは更に困惑した。



「とにかく、恋人はいないのだな!?俺の立場上、ここははっきりさせておいてもらわければならん」

「いません。……が、一体そのことと聖務と何の関わりが?」

「それは貴公から直接お尋ねしろ。聖務を下される方がお会いになる」

「枢機卿猊下が、ですか?」



 ファム・アル・フートは驚いた。


確かに第六大隊は、枢機卿団の中でも実力者であるラインホルト枢機卿の指示を受けて行動することが多い。


それにしても直接一介の騎士に命じる聖務とは何だろう。



「更に上の方だ」

「では、法王聖下が!?」



 大陸最大の宗教権威が、一介の騎士である自分に直接命を下すという事態に女騎士は目を丸くした。


だが、ピッコローミニが続けた言葉は彼女の予想を遥かに上回っていた。


「いや…………もっと上位の方だ」


 名を口にすることも畏れ多い……といった呈で、法王庁最大戦力の指揮官の一席を占める男の唇がわずかに震える。


「神造裁定者がお会いになられる」




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