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3_9 脱衣所にて


 愕然としたままミハルが地図を眺めていると、突然けたたましく電子音のアラームが鳴った。

 

ぎょっとスマートフォンの画面の表示に目を落とす。祖父の番号だった。


急いで通話に切り替える。耳に当てるのももどかしい。



『おうミハル。もううちに帰ったか?』

「おじいちゃん!?どこいるの?」

『あー、今雀壮。ちょっとでかい金の勝負になっちまってよ。徹マンで今日帰れそうにないんだ』

「えー!?」



 祖父の遊び癖はいつものことだが、よりによってこんなタイミングの悪い時にやってくるとは。思わず電話口でミハルはがなり立てた。



「そんな!困るよ!ねえ!?」

『すまんすまん。悪いけど、朝始発で帰るわ。戸締りだけしっかりな』

「ちょっと待って!こっちも大変な……!」


 そこで言葉に困る。


今客間で寝ているあの女のことをなんと説明したらよいのだろう。


店のゴミ箱を漁りに来た女から求婚された。もみ合ったら寝てしまったのでうちに連れ込んだ。今は下着だけの恰好で布団の上で横になっている。


とてもまともに聞いてもらえるとは思えない。



『じゃあな、ミハル。明日も学校だろ。夜更かししないでちゃんと寝ろよ』 

「ちょ……!」



 切らないで、と告げる前に通話は一方的に途切れた。



「…………」

 


 唯一の同居人の祖父は帰ってこない。

 

ということは、今夜一晩あの女と二人っきりではないか。

 


 「えぇぇぇ……?」



どうして良いのか分からずに、少年は悲嘆とも哀哭ともつかない呻きをあげて途方に暮れた。




 ―――――――――。


 

 電灯が着いたままの客間。



「うぅん……」


 

甘やかな寝息を立てて、ファム・アル・フートは寝返りを打った。


少年によって下着姿で布団に転がされたまま放置されていたが、寝苦しそうな様子は一切ない。


むしろ久しぶりに体重を預ける柔らかな寝具の心地よさにぐっすりと眠り込んでいた。


少年が用意した布団の滑らかな感触に、無意識に横臥しながら頬をすり寄せる。



 その時、着けたままのヘッドセットの脇から前髪がひと房流れた。


柔らかい髪先が鼻先をかすめ、そのこそばゆさが女騎士を目覚めにいざなった。



「…………」



 眠りの世界の名残を惜しむように、ゆっくりと乙女が瞼を開く。


一瞬の間を置いて、鮮血の色をした瞳がぱっと見開かれる。


軍隊式の訓練を受けた人間がする急速な覚醒に合わせ、滑らかな曲線を描く体を跳ね起こした。



「――――――っ!」



 女騎士の発達した全身の筋肉に緊張が走った。


いつの間にか見たことがない部屋にいる。油断なく周囲を警戒しながら、眼と耳とで情報を拾い上げていく。

  

柱も天井も木製らしい。床材らしいものは植物が編み込まれているのか、独特の感触と臭いがする。


部屋の中と少なくとも戸の周囲に人間の気配はない。


 

「どこですかここは?」


 

 大型の猫型の動物を思わせるしなやかな体を弛緩させながら、誰ともなく女騎士は口にしていた。

 


 たしか思い出せる限りでは自分は路地裏で祝福者と一緒にいたはずだ。いつの間に移動してきたのだろう。


そもそもいつ寝入ってしまったのだろう。あの少年に何かをされたのだろうか?


あの貧相な体つきで自分を気付かないまま昏倒させることができるとは思えないし、ひょっとして薬物か何かを盛られたのかもしれない。


意識のない女を無理矢理連れ込むような下種な人間には思えなかったのだが、狂信的な悪魔崇拝者に脅されてやったとも考えられる。



「……裸?」



 妙な肌寒さを感じて、女騎士は自分の身体を見下ろした。


何故か鎧も常衣も剥がされて、下着姿だった。しかも引き剥がされた忠勇なる鎧と常衣は寝具の周りに転がっているではないか。


羞恥心よりも薄気味悪さが優って、女騎士は咄嗟に自分の身体を見渡していた。


……怪しい体液や不自然な傷がないことを確認し、小さな安堵の息をつく。



「"ファイルーズ"」

<<何か?>>



 バラバラの状態のまま鎧の精霊は答えた。



「ここはどこですか?」

<<祝福者の少年の自宅だと推測する>>

「自宅?」

<<状況から貴公を介抱する目的で運び込んだものと思われる>>

「どうしてそんなことに?」

<<詳細は不明。貴公は突然昏倒した。現在健康上に問題のある可能性は極めて低いと判断する>>



 寝入ってしまった自分を夜道に置き捨てていくわけにも行かず、ここまで連れてきてくれたということだろうか。



「――――――っ!」


 思わず湧き上がった羞恥に、両腕で自分の身体をかき抱いた。


肌を晒したことよりも、人前で前後不覚になったことの後悔の方が強い。


いかなる時、状況であれ、騎士たる身で公道の路上で分別を失うなどあってはならないことだ。


しかも夫とは言え、年下の男子の世話になるとは――――――。



「……不覚!」


 

 自分の未熟さに恥じ入り、ファム・アル・フートは眉を歪めた。


悔恨に目を閉じたところで、あることに気付く。



「……それで、何故裸なのです?」

<<少年の要望によるものである>>

「…………」



 女騎士が苦い顔をした。

 

まだヒゲも生えていない子供だというのに女体に興味を持つとは……あまつさえ介抱につけこんで衣服を剥がすというのは少しやり過ぎだ。


それほど好色そうには見えなかったが、これも男という生き物のサガだろうか?


確かオデットも『男というものは、四六時中頭の何割かを使ってどうやってイカした美女の服を脱がすか考えているオオカミである』と断言していた。


 

「子供のくせにふしだらな……。いえ、良い方に考えましょうか。異性に興味を持つ程度には成熟しているということです」

<<判断は委任する>>

「不能でないらしいことが分かっただけでも良しとしましょう」



 口ではそう言いながらも、どこか軽蔑を含んだ視線で女騎士はあたりを見回した。



祝福者の少年はどこにいるのか探そうとしたところで、建具の中のあるものに目が留まる。



「……え、嘘?」



 女騎士の常識では考えられないものがそこにはあった。


驚きのあまり、常衣を着直すのも忘れて、慌ててそれの近くに駆け寄る。



「か、紙でできた戸!?」



 戦慄と驚愕を顔に浮かべながら、障子の格子に指を伸ばす。


ファム・アル・フートが生きてきた世界では戸や扉というものは木製か、でなければ金属でできているのが当たり前だった。


こんな素材で部屋の保温や防音ができるとは思えない。そもそもこんな薄い紙ではすぐに破れてボロボロになってしまうのではないか?



「一体エレフンの人間というのは何を考えて……あっ」



 めりっ。


思わず指先に力がこもって、障子紙を破ってしまった。


慌てて指を引っ込めても後の祭りだ。なんとか破れ目の周りをなぞって目立たなくしようとするが、その程度でごまかせるはずもない。



「…………」



 ばつが悪そうに視線を逸らした女騎士が、あることに気付いた。



「ツヴァイヘンダー!」


 

慌てて部屋の中を見渡すが、脱ぎ散らかされた鎧と常衣が転がっているだけで、運命を共にしてきた愛剣と重要な書類の入った鞄は影も形もない。

 


「"ファイルーズ"!?」

<<少年が所持していたことは確認している>>

「彼は!?」

<<退室した。邸内にいる模様>>



 それを聞くが早いか、乙女は引き戸を開けて部屋を部屋を飛び出していった。



―――――――――。



 考えても結論は出なかったので、とりあえずミハルは風呂に入ることにした。


訳の分からないことばかり起きて、頭と神経が悲鳴を上げかけていた。汗を流してリラックスしたかったのだ。


家そのものは年代ものの和風建築ながら、流石にお湯周りは古いままでは不便なので数年前のリフォームで新しいユニットバスに入れ替えてあった。


全自動式のパネルを操作してお湯を張ると、上着を脱ぐ。



「……」



脱衣場の鏡を見ると、貧相なやせぎすの身体が移っていた。


二の腕は細いし胸板は薄いし、脇腹は肋骨が皮膚の上から全て数えられるほどだ。


良くこの身体で鎧を着た大柄な女一人を運べたものだと自分でも思う。



「ふんっ」



思い切り全身に力を入れて見ても、鏡に滑らかな輪郭が多少むくりと盛り上がるだけで、脱毛症にかかってしまった愛玩犬が懸命に伸びをしているようなビジュアルしか作れなかった。



「筋トレでもしようかな……」



『成長期に筋肉をつけると身長が伸びなくなる』という噂を聞きつけて以来その手の負荷がかかる運動は忌避してきた少年だが、大鏡に映るもやし体型を見ると自分でも不健康に思えた。



 ため息とともにパンツに手をかける。


最後の一枚を脱ぐと、ヘソから恥骨まで広がるなだらかで不毛の大地が目に飛び込んできた。


その先には幼稚園の頃からデザインの変わらない男性自身があった。


さらに気分が憂鬱になる。



「おまじない全然効き目がない……」



 撫でさすっても皮膚の毛穴が目で見て分かるくらいで、とても繁茂や生い茂るといった言葉とは程遠い。


昔はミカンや柑橘類の汁がハゲ対策の薬だったと聞いてこっそり自分も試してみたのだが、どうやらこの民間療法に効果はないようだった。



「ボサボサになりたいなぁ……」



心からの嘆きとともに、洗濯籠にパンツを放り捨てて足ふきマットを踏んだ瞬間。



 バンッ、と乱暴に建具を開ける音が少年の耳朶を打った。


 

「ここにいましたか!」

「!?」

 

 いきなり脱衣所のドアを全開きにされて、ミハルは目を丸くした。

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