3_8 異邦人の荷物
「どうしてこんなことに……」
ミハルは今夜何度目になるのか分からないぼやきを口にした。
街灯の明かりを頼りに夜道をよたよたと進みながら、人間一人分の重量を運ぶというのはこんなにも大変なことだったのかと思う。
割と軽々と隠滅するべく死体を独力で運ぶサスペンスドラマや推理小説の犯人は……なりたくもないが……とても自分には勤まりそうにない。
その背中では、哀れな被害者の代わりに、金髪の女騎士が相も変わらず寝息を立てていた。
同世代の男子と比べても少し細すぎるミハルの腕から時折太腿がずり落ちそうになるのを、その都度抱え直してはさ再度頼りない足取りで進んでいく。
「…………」
早鐘のように鼓動が打っているのは、単に筋肉疲労と乳酸の蓄積によるものだけではない。
耳元のすぐ近くで女騎士が規則正しく呼吸しているのと、その甘い体臭が微かにだがはっきりと鼻孔をくすぐるせいだ。
彼女を背負って歩くだけでミハルにとっては一苦労だった。
まず自分より背の高い相手を担ぎ上げるのがちょっとした工夫が必要だった。
路地裏の壁に背中を押し付けるようにして、どうにか自分の肩越しに両腕を回し膝裏を抱えることに成功した。
驚いたことにそうした作業の間も女騎士はぐっすりと眠ったままだった。
先刻は脳の損傷を疑い本気で心配したことも忘れて、今ではその安眠ぶりが憎らしいくらいである。
苦労して女騎士をおぶさり、夜道を歩くこと20分。
通学鞄も店に置きっぱなしだ。明日の朝、登校前に遠回りして取りに行かなければならない。全く面倒をかけさせられる。
大分感覚が怪しくなってきた腕でもう一度女騎士の身体を抱え直した。
人間一人分でも大変な労苦なのに、脇に抱えている大剣のせいでさらにバランスを取るのが難しくなり、余計負担が大きくなっている。
剣だけでも鍵のかかる喫茶『マリガン』店内に置いてこようか悩んだが、女騎士が眼を覚ました時トラブルになるのが嫌で諦めた。剣帯を触って鞘を外すことに自信がもてなかったせいもある。
「……」
これで夜回り中の警察官に見つかりでもしたらどう説明すればいいだろう。
ぐっすり寝込んで意識不明のコスプレ姿の外国人女を自宅に連れ込もうとする男子高校生。控えめに言って生活安全課の管轄事案である。
「そもそも爺ちゃんにどう説明すれば……」
また背中の女騎士をおぶり直しながら、これから先に待っている手間のことを考えるとミハルは陰鬱な気持ちになってきた。
本当に、どうしてこんなことになったのだろう。
――――――。
それから休み休み歩いて、どうにか家に帰り着いた。
まだ祖父は帰っていないようで、平屋建ての和風一軒家の中は静寂と暗闇で満たされている。
片手でちょっと苦労しながら玄関のカギを開け、中に入る。
手探りで照明のパネルを探しながら、どうにかして客間へ乙女を運び込んだ。流石に自室に入れる勇気はない。
「どっせい……!」
女騎士をごろりと畳の上に転がした。正直なところ、もう人間を運んでいるという意識はほとんどなくなっている。
「あー、重た……」
過重労働に不満を挙げる肩をぐるぐる回しながら、押し入れから布団を引き出した。
(鎧とか脱がせた方が良いのかな?)
引きずるようにして布団まで運びながら、女騎士の方をちやりと見る。
どうにか手足を敷布団の上に乗せてやるものの、鎧姿のままではなんとなく寝苦しそうだ。
とはいえ、女騎士が着ているそれはコスプレとはいえ無駄に本格的で、ベルトや金具もしっかりと収まっていてなかなか堅固そうに見えた。
「…………」
それに何より、装甲とは言え女性の着衣を剥がすという行為は少年には相当に心理的なハードルが高かった。
「ボタン一つで外せたりしないのかな……」
<<了解した>>
「え?」
<<メディカル用クイックリリース開始>>
例の平板な声と共に、ぱちんぱちんと子気味良い音がした。
それに合わせて着脱用の金具が外れ、ひとりでに鎧が弾け飛んでいく。
「嘘……」
絶句するミハルの目の前で、胸当てに肩当て・手甲に鉄靴まで脱げ落ちていく。
その下に現れたのは、ボディスーツのようなすべすべしたアンダーウェアだ。
「えっ」
どういう原理なのかチャックが開くように隙間が開くと、アンダーウェアまで自動でするりと脱げ落ちていった。
薄いスポーツブラに覆われた乳房がまろび出る。
うっすらと割れ目が見える程度に鍛えられた腹筋の上に、形の良いヘソがちょこんと乗っかっていた。
小さな下着に覆われた腰つきは丸く太く、成熟した女性の体つきをしていた。
「うわっ、うわあああ!?」
突然出現した下着姿に、少年はすっとんきょうな声を上げた。
布団の上に半裸の乙女を残したまま、慌てて部屋を飛び出していく。
板敷の廊下に出るや否や、背中越しに力いっぱい引き戸を締めて、思わず深呼吸してしまった。
「なんなんだよ、一体……」
とても女性を介抱している気分にはなれなかった。呼吸する爆弾の処置をしているかのようだ。
「本当、勘弁してくれ……」
愚痴りながら、少年は玄関に転がしてきた女騎士の荷物を片付けに向かった。
――――――。
居間のテーブルの上に年期ものの革鞄を置く。
大剣と一緒に苦労しながら家まで運んで来た女騎士の持ち物である。
店に置いておくことも考えたが、もし貴重品が入っていたらと思うと持ち帰った方が良い気がしたのだ。
「……荷物の中にパスポートか何かあるかな」
『神の命令で来た』などという与太話を信じるつもりにはとてもなれなかったし、現実問題として外国から海に囲まれた日本にやってくるには国境や税関などクリアするべき障壁がいくらでもあることに気付いた。
身元を証明するものか、連絡先でもメモがあるかもしれない。
そう考えて鞄のボタンを開いた。
自分が無遠慮なことしている気がしたが、今は緊急事態である。
少なくともミハルにとってはそうだし、多少のことは許されるくらいの労苦は買ってでてやっているという思いもある。
鞄の中は実に計算されてぎっしりと、しかも取り出しやすいように詰め込まれていた。戻すのは諦めてテーブルの上にひとつひとつ並べていく。
手ぬぐいのような粗悪な布。アンティークなランプ。替えの油らしい瓶。
携帯用の薬箱。縫物用の糸と針。水筒替わりらしい革袋。
ずっしりと重い麻袋に、それから書類入れ。
中には何やら分厚くて弾力のある薄い布のようなものに、枠が金押しされて見たこともない文字がずらずらと並んでいた。
もしかして初めて見るこれが羊皮紙というやつかもしれない、とミハルは思った。
「……」
少年は唖然とした。
電子機器の類は一切ない。携帯電話も、旅行ナビも、防犯ブザーも、電気の力を使って作動するようなものは皆無だった。
それだけならともかく、樹脂製品まで全く入っていない。
木か革か布……あるいは手作りらしい微妙に不揃いな金具しか使われていない。
「江戸時代から来たのかよ……」
自分でもずれているとは思いながら、創造的なユーモアにはやや欠ける独り言でそう突っ込んでしまう。
あいつは、客間で寝息を立てている女騎士は、外国人のコスプレーヤーとか非常識な観光客とかいった程度のものではない。
何かが、明らかに何かが決定的に違っている。
少年はそう認めざるをえなかった。
今はいわゆる未開な地で伝統的な生活を営む少数部族の人間でも、観光客の前以外ではTシャツを着てスマートフォンを使う時代だ。
近代的な生活を拒否する教義の集団とか、かつての歴史を再現するイベントの愛好家でもない限り、ここまで極端に化学製品を拒否したりはしない。
いわんや遠い外国で、だ。
百歩譲って、もし彼女が鎖国に近い政策を取っているマイナー国家の出身で、そうした持ち物が非常に貴重だったとしよう。
それでもパスポートは?ビザは?外国人登録証は?
泳いで密入国でもしたのではない限り税関は通らなければならないはずだ。
今は玄関の傘立てに差されている大剣も、仮に本物であれば美術品証明でもない限り持ち込めるはずがない。それくらいは高校生のミハルにも分かる。
「……コスプレじゃなくて、本物なのか?」
頭がくらくらしそうになりながら、どうにかミハルはそこまで考えを進めることができた。
横の移動の移動でなければ縦軸……例えば、中世ヨーロッパから騎士がタイムスリップしてきたのならこうした持ち物であっても不思議ではないかもしれない。
しかし、だったらなぜ普通に喋れるのだ?
それにもしタイムトラベラーだとして、女騎士には未知の技術や文化に対する戸惑いがあまりにも薄い気がする。
自分がもし1000年前の時間軸の世界に放り出されたら、想像の中でもとてもあそこまで堂々としていることはできない。
あの女は一体、どこから来たのだ?
疑問が渦巻く中、書類入れに収まったあるものに気付く。
油紙でずいぶんと厳重に覆われていた。重要な手形か何かだろうか。
破いたり折れ目がついたりしないように慎重に開いてみる。
「…………地図?」
ミハルが知っている世界地図に似ていた。
今は喫茶店に置いてきた学習鞄の中に納まっている地理の授業で使う、メルカトルだのモルワイデだの強そうな名前で呼ばれるあれだ。
が、その内容はまるで違った。
見たこともない大陸。
覚えのない海。
ありえない稜線を描く山脈。
文字は読めないが、土地の形だけでも少なくともそれが地球の地図ではないことは明白だった。
手書きらしくところどころ線が不安定なところもあったが、その地形の説得力と完成度はとてもファンタジー小説のファンがてなぐさみに作った空想世界の地図とは比較にならない。
これは本当に人が探索し、測量し、精査しなければ書けない地図だ。そう直感する。
「……どこから来たってんだよ」
未知のものに触れたときの本能的な反応、畏れが身体の奥から湧き上がり、おこりのように手が震えだしそうになるのをこらえながらミハルはようやく一言をしぼりだした。
あの女はどこから来たのだ?
一体何をしようとしているのだ?
疑問が渦巻く中、ミハルは自分が恐慌とも興奮ともつかない不思議な高揚感を抱いていることを認めざるを得なかった。




