3_5 22歳児(職業女騎士)の慟哭
女騎士はわんわん声を上げて泣き出した。
良く分からないが、自分はこの女騎士をかろうじて支えていた何かをぶっ壊してしまったらしい。
泡を食ったミハルはそうあたりをつけはしたが、さりとて大粒の涙を流しだした女をどう慰めれば良いのか分からずおろおろとしてしまう。
「私は、私は!騎士なのに!栄えある聖堂騎士団の末席なのに!神の剣なのにぃぃぃ!」
「と、とりあえず落ち着いて……」
「今まで訓練だって、奉仕だって、騎士団領の庶務だって一生懸命頑張ってきたのに!」
……小説の設定か何かだろうか。
混乱しすぎて自分が何を言っているのだろうか良く分かっていないようだった。
「ようやく……ようやく神造裁定者のお役に立てると思ってこの"エレフン"まで来たんですよ!?」
恐ろしいくらい流暢な日本語で喋っていた女騎士の言葉の中で、耳慣れない"エレフン"という単語だけが妙にミハルの耳にひっかかった。
が、問いただす間もなく、むずがる子供の勢いで女騎士はまくし立ててくる。
「やってることが……官憲に追われて!良く分らない理由でポーズを取って!ゴミ箱を漁って食べ物を得てたなんて!そんなことありますか!?」
「俺にそんなこと言われても」
「……オデット!隊長!アルカイド!お父様!ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさいぃぃぃ……!」
慟哭が路地裏に木霊する。
狼狽えることしかできないミハルは、周囲の店から人が顔を覗かせる気配にぎょっとした。
何事かと、コックコートを着た料理人や、スナックの開店準備をしていた中年女がそれぞれの店の勝手口からこちらを見ている。
まずい。
ミハルは焦った。
事情を知らない人間が見れば、男が女を泣かせているようにしか見えないだろう。……服装と互いの年齢と体格に目をつむれば。
とにかくこの状況はまずい。
「と、とりあえず中入って!」
「うえぇぇぇ……!」
ぐいと手を引いた。
その場をしのぎたい一心で、ぼろぼろと涙を流す女騎士の手を引いて店の中に連れ込もうとする。
女騎士が本気でその場に座り込めば動かすのは用意ではなかっただろうが、足こそもつれたものの意外なくらい素直に少年に従ってきた。
……少年が手甲に触れた瞬間、女騎士の鎧の隙間がわずかに輝きを放ったことに、女騎士自身も少年も気づかなかった。
まだ嗚咽を漏らす女騎士をとりあえずテーブル席に座らせて、ミハルは温かい飲み物を出してやることにした。
「飲んで。落ち着くから」
売れ残りの豆だが、とりあえずブレンドを出す。
祖父の煎れたものに比べてまだまだドリップも抽出も未熟な品だが、女騎士は黙って飲んだ。
何故か一緒に出した白砂糖を見てひどく驚いていたが、少年は対面に腰かけて辛抱強く乙女がカップの中身を飲み干すのを待った。
「……ありがとうございます」
「アンタ、外人?外人だよね?」
「"アルド"の法王庁から来ました」
「法王庁?……ああ、小説の設定?そうじゃなくて、どこの国から来たの?」
「……?」
当然だと思っていた質問に不思議そうな顔をされて、ミハルの方も軽く困惑する。
「所領があるのは東方辺境領のアルマーク公国ですが」
「東欧の国?ごめん、よく知らない。俺地理の成績良くないんだ」
「知りませんか。……無理もありません。"エレフン"の人間の無知さには私も薄々と気づいていました」
「なんか引っかかる言い方だな……」
自分たちが全く嚙み合っていない会話をしていることに気付かず、ミハルは女騎士の外見とそれっぽい響きの国名からミハルはヨーロッパのどこかなのかとあたりをつけた。
「……もしかして、お金ないの?」
「まさか"エレフン"では金銀が使えないとは思えなくて……」
「えっ。金?銀?」
「聖務のために働くこともできず……仕方がないので喜捨で飢えをしのいできました」
「まさかその間、ずっと野宿!?」
「いいえ。……野営しています。テントを張って」
ミハルは驚いた。それは不法滞在というやつではないのか。
「……さっき任務がどうとか言ってたけど、日本に何しに来たの?」
「人を探しに来ました」
「人?」
「ええ。私たちの信仰にとって、とても重要な方です。その方を見つけ出し……その、お仕えしてお守りするのが私の役目なのです」
「見つけ出すって……どこにいるか分かってんの?」
「信仰と精霊が私を導いてくれるはずです」
つまり何も分からないということらしい。
女騎士は重々しく信仰という言葉を使ったが、ミハルにはぴんと来なかった。
というのもミハルの信心深さの程度というのはごくごく平均的な男子高校生のものと大差なかったからだ。
いわゆる宗教というのは、クリスマスにはケーキを食べて正月には神社に初詣に行くくらいのものでしかないのである。
そのためにわざわざ身寄りのない外国に行く単身渡航する真剣さは正直言って想像もつかなかったので、とりあえず適当な相槌を打った。
「そっか。大変なんだ」
「大変なのです」
何故か少しだけ誇らしげに胸を張って、女騎士はコーヒーを啜った。
「……それなのに」
ソーサ―にカップを置くと同時に、どんよりと陰気な影が乙女の表情を曇らせる。
「神々のために働くのは"アルド"では大変な栄誉なのです。首都を挙げて壮行会までしてくれたというのに……」
「ああ、そうなの?」
「なのに今まで意気揚々とゴミ箱を漁って、小銭を拾って、私は何をしていたんでしょう……」
うなだれた女騎士は本気で落ち込んでいた。
ミハルは正直彼女に同情するほど感情移入はできなかったが……女の子を落ち込ませたままにしておくのもばつが悪い気がしたので、適当な慰めの言葉をかけた。
「……いいんじゃない?」
「え?」
「だって、アンタ、頑張ってるもん」
「そ、そうですか?」
「そうだよ。普通、金なくてゴミ箱漁ってでも役目果たそうとは思わないよ」
自分だったらそんな根性はない。
突然外国に放り出されて人を探せと言われたら、絶対にどうにか家族か祖父に連絡を取って泣きつこうとしているだろうな、とミハルは思う。
「だからその……なんて言えばいいのかな。笑うやつがいるとしても……多分いるだろうけど……一生懸命な人間を笑うそいつの方が間違ってるんだ」
女騎士のやり方が正しかったのかどうか、という点は脇に置いて少年は続けた。
「うちの爺さんが昔言ってたんだけど、『笑うやつに言葉は無駄だ。結果で黙らせてやれ』って」
「………」
「今は恥でもさ。もし人捜しが上手くいって国に帰ったら、みんな言うと思うよ。『ゴミ箱を漁ってまで任務を果たしてくるなんてすごい』っていう風に」
思ってもみなかったくらい言葉が続いて、ミハル自身も少し驚いていた。
ここまではっきり女騎士を励ますつもりはなかったのだ。
そして、自分が大人に対してずいぶん偉そうなことを言っている気がしてきた。
急に気恥ずかしさが湧いてきて女騎士の反応を伺ってしまう。
女騎士はカップを手にしたまま、目を丸くして聞き入っていた。
「…………そうでしょうか?」
「ごめん、本当かは分かんない。俺が経験したことじゃないから」
「いえ、きっとあなたは正しい。正しいです。そうです、きっとそう」
真剣な面持ちで女騎士は小さく力強く、何度も頷いた。
「あなたは私が抱いていた印象よりもずっと大人なようですね」
(どんだけ子供だと思われていたんだ、俺は)
そう言いたいのをぐっとこらえて、ミハルは少し気恥ずかし気に頬を掻いた。
「……偉そうなこと言ってごめん。俺、別に頑張ってることとかないからさ。何かに一生懸命な人を見るとうらやましいんだ」
「そんなことはないでしょう」
「え?」
「先刻頂いた卵料理はとても美味しかった。練習しないと大皿いっぱいにあれほど上手には焼けません。あなたには何かに努力できるひたむきさがあります」
年上の女性に優しい目で見つめられて、ミハルは思わず視線を逸らした。
同世代の少年が大なり小なりそうであるように他人からの視線というもの対する過敏さのせいで、こういう時には必要以上にどぎまぎしてしまうのだった。
「大丈夫。ひとつのことに打ち込む姿勢は才能よりももっと大切なことです。これは私の経験です」
「そうかな……でも俺、料理人になりたい訳じゃないし」
「何にでも通じることですよ」
真正面から褒められて、ミハルは嬉しさと羞恥が入り混じった気持ちをごまかすように頭をかいた。
「私の話をこんなに正面から聞いてくれたのはあなたが初めてです。"エレフン"にもあなたのような人がいると知って安心しました」
「なんか大げさだな……」
「正直言って、もう少しでこの国にいる人間に大して不信と偏見を抱くところでした」
「不信と偏見?」
「ええ、人情と慈愛という概念のない悪魔崇拝のどうしようもない人々なのではないかと」
「……」
やはり関わったのは失敗だったか、とミハルは少しだけ自分のしたことを後悔しそうになった。
「諸々の意味をこめてあなたに感謝を」
手を祈りの形に組んで、乙女は何やらぶつぶつとつぶやき出した。
(外人のこういうところは理解できないな……)
と思いながら、ミハルは毒気を抜かれた顔で女騎士が口の中でアルドだのシンゾウサイテイシャだの良く分からない単語を呟き終わるのを待ってやった。
「……どうもご迷惑をおかけしました」
大分落ち着いたらしい。女騎士の声に、元の語気と凛とした響きが戻っていた。
「食事と飲み物をありがとうございます。何のお返しもできませんが、あなたの幸運をお祈りします」
「……」
乙女の微笑にミハルは思わず見入っていた。
これでもう会えなくなる、というのが惜しい気持ちが妙に湧いてきた。
少年が思わず引き留めの言葉を駆ける前に、女騎士が口を開いた。
「また来ます。次はお客として」
「本当?」
「ええ、私が聖務を達成して、探し人を見つけたときに報告に伺います。あなたは私の小さな恩人ですから」
<<その必要はない>>
唐突に第三者の声が店内に響いた。
いきなり無機質な音声が聞こえてきたことにミハルは慌てて椅子を立ち、女騎士の方も表情筋に緊張が走る。
「……どういう意味ですか、ファイルーズ」
<<再訪の要なし。貴公はすでに聖務を達成している>>
「おい。誰と喋ってるんだ?」
少年の問いかけを無視して、女騎士は黙って声の主に先を話すよう促した。
<<貴公の勤労ぶりを称賛する。騎士ファム・アル・フート。実に迅速に祝福者を見つけ出したことは賞賛すべき成果である>>
「……しゅくふくしゃ?」
<<肯定する>>
自分が何を言われているかにようやく思い至って、女騎士は鎧と少年の顔を何度も見比べた。
「まさか。何かの間違いでしょう?」
<<誤認の確率は1/4,700,000,000,000。天文学的数字と判断する>>
皆既月食を早回しした映像のように、女騎士の顔にみるみるうちに陰が差していった。
<<彼が、貴公と結ばれるべき祝福者である>>
「……だって、まだ子供ですよ?」
かろうじて女騎士は言い返した。
<<生殖可能な年齢の男性と判断する>>
「色は細いし!肉付きは貧相だし!背も私よりも低いのに!?」
<<貴公の外見の嗜好は祝福者の条件に考慮することはできない>>
「ヒゲも生えてません!」
<<……その反論に意味があるのか、再入力を要求する>>
女騎士は水から引き揚げられた魚のようにぱくぱくと意味もなく酸素を吸い込んだ。
その震える唇が辛うじて言葉をひねり出すまでに、目の前で困惑する少年が何度かまばたきするまでの数秒間を必要とした。
「絶対イヤぁぁぁ――――――っっっ!」




