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3_4 青いポリバケツに関する一考察


 ……女騎士が夜の路地裏で青色のポリバケツを漁っている。


あまりにシュールな光景に、ミハルは愕然とした。

 

少年にもう少し心の余裕があれば猜疑心が働いて、『さてはドッキリか何かか』と撮影しているカメラを探したかもしれない。



 が、不意打ち過ぎて思考が追い付かず、オムライスの皿を手にしたまま固まってしまった。


完全に注意が逸れて、気付かず開ききったドアに肩がぶつかり、蝶番がきしみ声を上げた。


 

 (しまった!)



 慌ててももう遅い。油の切れかけた金属がこすれる音に、相手の身体が反応したのが見えた。


こっちに気付いた。


暗がりの中で赤紫の目がこちらを捉えたのが分かって、思わず一歩後ずさる。


かなり特殊な服装倒錯の犯罪者ということになるが、強盗か物取りという可能性はまだ消えていないのだ。



 ミハルは、皿を放り出して慌てて引っ込んでドアを閉めるか逡巡した。

 

が、それを知ってか知らずか、女騎士は構わずつかつかと自信満々の足取りで近寄ってくる。



 気を削がれて、思わずミハルは



「……な、何?」



と声に出してしまった。



 女騎士は何も答えなかった。


ゆっくりと籠手に包まれた両手を身体の正面で合わせる。



「ご喜捨ありがたく頂きます」



ミハルを拝んできた。



「私がこのような異郷の地で聖務のために働けるのも、皆様のご喜捨のおかげです。何のお返しもできませんが、どうか感謝の祈りだけでも伝わりますように」


「…………」


つらつらと意味不明な言葉を並べ始めた。



(こいつは一体何を言っているんだ?)



状況が理解できずミハルの頭と体がフリーズしたまま固まった。

 

 

「……」


「……」



何やらぎらぎらとした視線を送ってくる女騎士を前にミハルはどうしたら良いのか分からなくなった。


気まずい沈黙が流れる。



「……あの」


「ありがたく頂きます」

 

「えっ」

 

「ですから、ご喜捨はありがたく頂きます」



 少し唇をほころばせて、軽く眉を潜めた女騎士が匙をかきこむ仕草をしてみせた。


……どうやら皿の上に残った巨大オムライスの残骸を『食わせろ』と言っているらしい。



 これから捨てようと思っていたものとはいえ、大の大人から食べ物をねだられるという初めての経験をしたミハルはちょっと戸惑った。


だが、こうなっては他に取るべき選択肢もない。


食いかけのオムライスが乗った皿とスプーンをおずおずと差し出す。



「おお、卵料理とは豪勢なものを!結構なご馳走をありがとうございます」


「は、はあ」


「貴方に重ねて感謝を」



 深々と一礼して、女騎士は皿とスプーンを受け取った。



カチャカチャという、食器と皿がぶつかる子気味良い音が路地裏にかすかに響く。



 ……食べてる。


本当に食べてる。


なるべく音を立てずに、黙々と食べている。


必要以上に口を開けずに、皿を汚すことのないように。


立ったまま食べ残しを嚥下しているというのに、どこか上品ですらあって、何故かミハルは感心してしまった。



「……ごちそうさまでした」

 


 ミハルが女騎士が皿とスポーンを戻してくる。


よほど器用なスプーンの使い方をしたのか、ケチャップの一滴も皿に残ることなく綺麗に平らげていた。



「ご喜捨かたじけなく頂きました。貴方に神造裁定者の恩寵が降り注ぎますように」



手甲を組んで祈りの形にしてから、女騎士は一礼してきた。



「……おや?」



 女騎士の両目が驚きに丸くなった。



「あなたは昨日の!これは奇遇な!」



 今頃ようやく気付いたのか、とミハルの方まで驚かされる。



「ああ、失敬。私、"エレフン"の人間の顔の区別がまだよくつかないのです。傷の具合はその後いかがですか?」


「えっ」


「見せてごらんなさい。湿布は貼り直した方が良いかもしれませんね。膏薬ならまだありますから遠慮なさらずに」


「い、良いよ!薬箱ならうちにもあるから!」



 無遠慮に頬を撫でられそうになって、ミハルは慌てて湿布に手を当てながら身を引いた。



「食べ残し片付けてくれて、どうも!さよなら!」

 


 皿を持って奥に引っ込もうとする。


が、できなかった。



「!?」



いつの間にか女騎士の手が伸び、勝手口のドアを押さえていた。


ものすごい力だった。ドアノブをいくら引いても根が生えたようにびくともしない。


何事かとミハルの顔から血の気が引いたが、女騎士も女騎士の方で汗を垂らしながら卑屈な笑みを口元に貼り付けている。



「も、もう少しだけお話しませんか?」

「えっ」

「な、何でも良いですから。ちょっと今、人恋しくて心が辛いのです……」

「えぇ?」

「この地に来てから一週間でまともに私と会話してくれたのは、人間では貴方だけなんです……!!」

「えぇぇ……!?」



どんなやばい生活を送っているんだ、とミハルの背中に怖気が走った。



「さ、さっきの卵料理は貴方が作ってくださったのですか?」

「そうだけど……」

「とても美味でした!卵の火加減も適度で、赤いソースが実に味が深かったです」

「……本当に?」

「もちろんですとも。私も騎士のはしくれ、虚偽の言葉は口にいたしません。充分にお金が取れる出来栄えです」

「……」



 ミハルは、女騎士の言葉に無邪気に喜びかけている自分を見つけて、そのことが自分自身でも意外だった。


友人がこんなことを口にしようものなら、からかわれているのではないかと反骨の気が湧いてくるところだが、あまりに芝居がかった女騎士の言葉にかえって真実味が感じられる気がした。


そして初めて自分が飲食店の業務に関することで褒められたことに気付いて、ぱっと頬が朱に染まった。



「?どうしました?私に何か非礼でも?」

「いや、違っ……」



 慌てて誤魔化そうと話題を探して……女騎士が開けていたゴミ箱に目が留まる。



「……アンタ、いっつもこんなことしてるの?」

「え?」

「それ、中身漁ってただろ。食べ物拾ってんの?」

「ええ。我が身の不徳の致すところですが、皆さまの喜捨には助けられています」

「喜捨?」

「ええ、食べ物の施しのことです」



 女騎士は胸を張って、青いポリ製のゴミバケツを見てうなずいた。 

 

 

「この青い箱は実に良い習慣ですね」

「……」

「ひけらかすことなく、慎ましく、気兼ねせずに貧しい者に食事を分け与えることができます」

「あの……」

「"アルド"にはひとつ持ち帰るつもりでいます。帰ったら職人に同じものを作らせ、領地で広めることにしましょう」



 少年は、なんとなく女騎士がひどく幸福な……ある意味不幸な勘違いをしていることを察した。

言ったものか悩んだが、黙って教えずにいてまたどこか他の店で女騎士がゴミバケツを漁っている姿を目撃されるのが不憫な気がして、勇気を出して口にすることにした。


「ゴミ箱だけど」

「?何のことです?」

「あれ、ゴミ箱。生ゴミとか食べ残しとか捨てる」


 

 女騎士の表情が固まった。



「え?」

「多分、その……施しとかじゃなくて、食べ残しとか売れ残り捨ててたんだと思う」

「嘘」



 『とても信じられない』という面持ちで、女騎士がゴミ箱と少年の顔とを何度も見返した。



「そんなバカな。からかっていますね?まだ食べられるものを何故捨てるんです?」

「俺の場合は食べきれなかったからだけど……」

「嘘です!私はあの箱の中で手をつけられていない弁当を何度も見つけました!」

「それ賞味期限切れ」

「ショーミキゲン?何ですかそれは。"エレフン"で崇拝されている悪魔の名前ですか?」

「この国じゃ作ってから時間が経った食べ物は捨てないとダメなの」



 今度こそ驚愕の面持ちで女騎士の顔面が固まった。



「……"エレフン"の人間は何を考えているんですか!?」

「いや、そういう決まりだから」

「あ、あんなにきれいな青色なのに……?ゴミ箱!?」

「色は関係ないと思うぞ」




 女騎士の顔から血の気がどんどん引いていくのが分かった。 


信じていたものが崩れていくのを見てしまった時は人間はこんな顔をするのだ、と少年は短い人生の中で初めて見るその表情を見て悟った。


 

 「……ということは。私はこの地に来てからずっと、ゴミ漁りをして生きてきたんですか……?」

 「そういうことになるのかな……」



 がくんと乙女の頭が揺れる。

 

そのままゆっくりと、膝から力が抜けて崩れ落ちた。



 「だ、大丈夫……?」

 「そうとも知らず、ニコニコと……バカみたいにゴミ箱を探し回って……?喜んで感謝の祈りまで捧げてた……?」



 ミハルは、辛うじて精神を支えていた張りつめた糸がぷちんと切れる音が聞こえた気がした。


排水のために傾斜したアスファルトに両手をついて、がっくりと女騎士がくず折れる。


 

 「うわぁあぁあぁ―――ん!!」


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