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3_2 少年の事情



「―――ミハルくーん!」



 七時限目の終わりを告げる号令の余韻が消えるか消えないかというタイミングで、女生徒が飛び込むように机の上に身を乗り出してきた。


現代文の教科書を鞄にしまおうとしたところで、思わずミハルは驚いて手を止めてしまった。



「大師堂さん。何?」 

「ねえねえ!今日の放課後一緒に遊び行かない!?」



 女生徒……大師堂マドカが、肩にかかるくらいまでに切り揃えた髪を揺らしながら提案してくる。



(わざわざ隣のクラスからそれを言いに来たのか)



 ミハルが半ば呆れたのには気付く気配もなく、大師堂マドカは興奮しきった様子で更にまくしたててきた。


 

「さっきの休憩のときにマッキーと嶺重くんには話したんだけどさ、すごいコスプレイヤーが土守駅前にいるんだって!一緒に写真撮らせてもらおうよ!」

「コスプレ?」



 そういえば昼休みに嶺重ジュンがそんな話題で盛り上がっていたな、とミハルは思い返した。


昨晩のことが脳裏に浮かぶ。


うっかり夜道で変な連中に絡まれて、売り言葉に買い言葉で相手してしまった自分の窮地に現れた変な女のことだ。


突然現れては、勝手に振る舞い勝手なことを言ってさっさと立ち去って行った。まさかとは思うが……。



「あれ?どったの、ほっぺた」



 しまった、とミハルは思った。つい無意識に、頬に大きく貼られた湿布に指が伸びていたのだ。



「えっと、これ?……転んだ」

「へー。器用なこけ方したね」



 咄嗟に出たごまかしを大師堂マドカは疑わなかったが、弁解よりもその湿布そのものが気になったらしく、自分の頬をイタズラっぽく指さしてみせた。



「でも珍しいねそれ。自家製の手作りの湿布なんて私初めて見たよ」

「手作り?」

「だって今時、布製の湿布なんて薬局とかドラッグストアで買えないでしょ。おばあちゃんの知恵袋的なやつ?」



 そういえば、昨日の女はその場で膏薬を布に塗って湿布にしていた。


確かに今時そんなことをしている人間をミハルは見たことがない。コスプレ趣味でそこまでやっているとしたら大した力の入れようである。


その割には妙にてきぱきと手慣れていたし、頬にしっかりと残る湿布はひんやりと清涼感のある着け心地でちゃんと炎症を抑える役目を果たしているようだ。



 (……まさか、本物?)



 頭の中に浮かんだ疑念を、ミハルはすぐに『そんな訳あるか』と打ち消した。


今時はインターネットで何でも調べられる時代だし、オタクも趣味に時間と手間と努力を惜しまないことくらいミハルも聞き知っている。


鎧や剣と同じく、きっとこれもキャラクターを演じるための小道具の一つなのだろう。



「そんなことより、そのレイヤーさん本当すごいんだって。うちのクラスの子が撮った写真見せてあげるね」

「ごめん。俺、今日バイトあるんだ」



 スマフォを操作し始めた大師堂マドカを制止して、ミハルは鞄を片手に席を立った。



「ああ、おじいさんちのお店手伝ってるんだっけ?忙しいの?」

「いや?むしろ出るシフト減らされたくらい」

「おおう。もしかしてお客さん少なかったりする?」



 普通はそういうことは思ってても聞かないだろうな、と心の中でつぶやきながらミハルは返答した。



「違う。おじいちゃんがもっと外で遊んでこいって。『お前友達少ないだろ』って言われた」

「あははは!当たってんじゃーん!!」


 

 何がツボに入ったのか、大師堂マドカはばんばんとミハルの背中を叩き始めた。



「じゃあさ、ほら!数少ない友達のお誘いっておじいさんに言って、遊びに行こーよ」

「やだよ。日数減らされた分頑張らないと」

「あ、そう?じゃあさ、バイトお休みの日にまたね!」



 マドカは意外とあっさり引き下がっていった。


常にハイテンションで人のやることに首を突っ込みたがる性格をしているのに、不思議と邪険にされないのは人を不快にさせる粘着質な気質からは遠いせいだろうか。


こういうのも人望というのだろうか。少しひりひりとする叩かれた背中を撫でさすりながらミハルは思った。



 それにしても。



 (コスプレねえ……)



 ……まあ二度と会うこともないだろうし、自分から関わろうとしない限りもう接点なんかありはしないだろう。昨日のことは決して愉快な思い出とは言えないことだし。


そう結論付けてミハルは下校していった。



 ――――――。



「あの、ですから……」



 ちゃんと説明しようとすればするほど、滑舌は悪くなっていく。


心臓はずっと早鐘のように高鳴っているのに、全然酸素を巡らせてはくれない気がする。酸欠になったように息苦しい。



「お客様にカフェマキアートだと確認して……」

「はあ?言ってないですよ、そんなこと」



 50代くらいだろうか。化粧が濃くてごてごてした装飾品をつけたおばさんの声の調子が大分高くなってきた。


テーブルの上に置いたカフェマキアートが自分の注文と違うと言い出されたのが3分ほど前。


そのときはもっと落ち着いた調子だった。見るからに機嫌が悪くなっている。


まずい。事情を説明しようとしているのに、どんどんグダグダになってしまっている気がする。


つっかえつっかえでも声を絞り出す。



「その……メニューはちゃんと……復唱することにして」

「だから、あなたが間違えたんでしょう!?」



 そんなはずはない。


自分は気を付けることにしている。特にマキアートは間違えている覚えているお客さんが多い。


例のチェーン店のメニューのせいで、カフェラテにキャラメルソースをかけたメニューのことをそう呼ぶと思っている人が結構な数いるのだ。


本当はエスプレッソに少量のスチームミルクを注いだ飲み方をマキアート(染みのついた)という。


頭の中では分かっているのに、説明しようとしても心臓が縮み上がって言葉が出てこない。



「……ません」

「はい?」

「すみません」

「すみません、じゃないですよ!」



 その場を逃れたい気持ちが強すぎて謝罪した。が、逆に火に油を注いでしまったようだ。


ますますどうしたら良いのかわからなくなって立ち尽くす。



「お客様」



低いバリトンの声が割って入る。



「うちのものが、何か失礼でも?」



 客は何か言おうと振り返ったが、頑健な体つきの店長を見て少しぎょっとしたように目を見開いた。

興奮していたお客のトーンがわずかに下がる。



「コーヒーにキャラメルソースのかかったのが欲しかったんですけど、この子が…!」

「それは申し訳ありませんでした。ただちに作り直させていただきます」



俺を指さして更に何か言おうとするのを、ミハルの祖父はぴしゃりと言い切って止めた。



「え、ええ……」

「そちらのマキアートはサービスにさせて頂きますので、よろしければお召し上がりください」



きびきびと方針を決めてしまう。おばさんも押し黙ってしまった。



(バックヤードに行ってなさい)



ぼうっと立ち尽くしていたミハルに、祖父が小声で声をかけてくる。


赤くなった目尻を手で押さえながら、ミハルは言われるとおりにした。



――――――。



「お前が間違えたかどうかは問題じゃないんだ」



 店主である祖父は言い切った。


 ミハルが反射的に反論しようと口を開く前に、眼だけで制される。


眼力のようなものに、即座に口答えする反発心も消し飛んでしまった。



「お前が間違えてなくても、お前がしゃんとしてないとお客が困る」

「……」

「さっきのお客さんでも、すぐに作り直してれば怒らせずに済んだ。原因があのお客さんにあっても、不快な思いをさせた責任があるのはお前だ。喫茶店は飲み物とくつろげる時間を提供して代わりに金をもらってるんだ。そのことをよく考えなさい」



 ぐうの音も出ない正論だった。


ただうなずくしかない。



「……すぐにフォローに行けなかった俺も悪かった。あまり気にするな」



ぽん、と肩に手を置いてから祖父が店に戻ろうとする。



「俺も……」

「良いから落ち着くまでバックヤードにいなさい」



ミハルは慌てて追いかけようとしたが、止められた。



「そんな顔してお客の前に立つつもりか?」



言われて初めて、少年は自分の顔が涙と鼻汁でひどいことになっていることに気付いた。


慌ててエプロンに入れておいた紙ナプキンで拭う。が、何枚使っても目頭と鼻の奥の熱までは拭いきれそうになかった。


結局ミハルはその日はもうお客の前には立てずに、ずっと裏で作業していた。



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