3_1 パインパンとスーパー銭湯と陰毛
「それでさぁ、すげーんだって。そのコスプレ」
友人が熱っぽく語るのを、うんざりとした目で安川ミハルが聞いていた。
時刻は昼休み。屋上に人影はまばらだが、嶺重ジュンのトーンの外れた調子で語る声は食事休憩中の憩いの場にはひどく迷惑なことだろう。
「外人さんでさ!すげー日本語上手だった。鎧とか剣とかどう見てもすげー金かかってて、本物みたいなの!すげー!」
目をキラキラさせて同じ感嘆詞を連発しだした嶺重ジュンに、ミハルは適当に話を合わせてやった。
「ジュンてさ、そんなにコスプレとか好きだったっけ」
「ううん?でもねーちゃんは興奮し過ぎて過呼吸になってた。『今度見たら痴漢撃退スプレーで無力化してその間に100均の拘束バンドで動き封じて連れて帰りたい』って言ってた」
「さらりと具体的な犯罪行為を口にするな」
購買で買ってきたパンをもそもそとかじりながら、楽しいと感じると歯止めが利かなくなる友人を冷めた目で見やる。
一年生にしては高い身長と、均整の取れた体つき、そして校則ギリギリまで伸ばした柔らかそうな黒髪に端正な目鼻立ちの組み合わせを持った嶺岸ジュンは、入学当初から女子によく声をかけられたり手紙を貰ったりしていた。気まぐれに手を振ってやると周囲から黄色い歓声が上がっていたくらいだ。
入学から一月経って、嶺岸ジュンを彼氏にしようなどという女子は少なくとも同学年の間では消滅した。中身がせいぜい小学校高学年男子くらいの成熟しかしていないことが広まってしまったせいだ。
今では良くて面白キャラ、悪く言えばペットかいじられ役といった扱いを受けている。だというのに本人は全く気にした様子もなく、『毎日が幸せいっぱい!』という言葉を全身で表現しながら楽しそうにスクールライフを過ごしている。
だが、男性的な魅力という点では自分よりジュンの方がはるかに上だろうな、とミハルは赤茶けた髪の先端をいじりながら心の中で一人ごちた。
小学生の頃は身長順で並べば先頭かその次鋒が指定席だった体格は、高校生になったというのに一向に期待に答えた成長を示してはくれない。
相変わらず肩は丸いままだし、声も高いままだし、二次性徴も止まったままだ。人には言えない肉体的な欠陥―――少なくともミハル自身はそう思っている―――も改善の兆しすら見えない。
「ハロウィンでもないのに、何で外人がコスプレして街歩いてんのさ」
心中のコンプレックスを悟られないように、努めて語気を強くしてミハルは指摘した。
「さあ?日本のアニメとか漫画がが好きで留学してきたとか?」
「留学してやることがコスプレかよ」
「そんくらい面白いんだって、"シバロマ"。すげー人気あるし。ミハルくんも読んでみたら分かるって絶対。読もうよ、原作小説貸すから」
「いらないよ。興味ないから」
「すげーリアルで面白いんだよ。本当に歴史の本とかそんな感じ。この間図書室で剣豪小説とか読んでたじゃん、興味ないの?」
「一緒にすんなよ。だいたい、女騎士なんか本当にいたわけないじゃん」
別にミハルに西洋の騎士階級についての正確な知識が備わっていたわけではないが、思春期に入りたての少年特有のポピュラーなサブカルチャーへの忌避感で友人の提案を拒否する。
ゲームやアニメといった『子供っぽい』娯楽へ興じる自分を他者に見られることを想像するだけで、ミハルは思わず息苦しさを感じるほどだった。誰しも一時期持ち合わせる自意識過剰と他者の視線の恐怖が、少年の中にはまだしつこく残っている。
この友人と趣味を共有することの危険性も頭の片隅になかったわけではないが、本質的には劣等感の裏返しだっただろう。短気で神経質な気性を持ち合わせているミハルでも、気持ちに余裕があればこれほど頑なになりはしない。
「えー……。面白いのに」
「……そのレイヤー、そんなに美人だったのか?」
にべもなく断られて気落ちするジュンに、それまで黙って弁当に箸を伸ばしながら会話を聞いていた牧野タクヤが水を向けた。
学年で一番落ち着いた雰囲気を持つ、いかにも眼鏡の秀才といった趣の優等生だが、中身はかなりの女好きであることを中学からの付き合いでミハルは知っていた。
この間なぞ校庭で部活に興じる女生徒たちを観察しながら『女は胸か尻か』という哲学的な命題についてジュンと議論を戦わせていたほどだ。
「すげー美人だった。金髪で背が高くて。あとおっぱい大きかった」
「ほう。どこで見た?」
「埋立地のアリーナ近く。俺と握手していったあとスーパー銭湯入ってった。あの映画館と一緒になってるとこ」
「……女騎士って銭湯入るのか?」
「"シバロマ"のキャラは多分入らない。あー、でももしかしたら俺が知らない別の漫画かアニメかも。見たことない変な鎧つけてたし。独自解釈のオリキャラの可能性もあるけど」
牧野タクヤが意外と熱心に話に聞き入るのを横目に、ミハルはパインパンを少し苛立たし気に咀嚼して飲み下した。
『固くて甘ったるくて電気の味がする』と購買でも不人気のメニューだったが、人混みを押しのけて人気パンに手を伸ばすことができず、余り物をほそぼそと買うしかなかったのだ。
もっと身長があれば見た目でもはったりが効くのに、と思わずにはいられなかった。自分にはないものを持っている友人二人がくだらないことでくっちゃべっているのを見ると、情けなさと腹立たしさが微妙に混じり合った気持ちとなって心をざわつかせてくる。
「ミハルも行かね?」
「え?」
「聞いてなかったのかよ。銭湯だよ。学校帰りに」
「アイスクリーム100円で自分で巻けるんだよ!コーンに好きなだけ!」
どうやらミハルが物思いにふけっている間に、いつのまにか二人は放課後に遊びに行く計画を立てていたらしい。
「……行かない」
ほとんど反射的に、ミハルは断言した。
「えー?なんで?」
「……俺、風呂嫌いだから」
「恥ずかしくないって。男同士なんだしさあ。プールの授業とか始まったらどうせみんな裸みたいなもんだよ」
しつこく誘ってくるジュンとは対照的に、タクヤはふてぶてしく眼鏡の奥で小さく笑っていた。その冷笑的な態度がミハルには何より恐ろしい。
中学の修学旅行の悪夢が脳裏にフラッシュバックする。あの日、旅館の大浴場で起きた惨事を、おそらくミハルは一生忘れないだろう。
「ミハルはツルツルだもんな?」
「え、何が?」
「……」
仕留める寸前の獲物をいたぶる猫科の動物そっくりの笑みでタクヤが唇を歪ませた。
「生えてないから裸見られたくないんだよな?」
「えっ?おちんちんが?」
「バカ。毛の方だよ」
「………っ!」
言われてしまった。
小学校のころはまだ性徴の差で自分と他人を納得させることができた。
しかし、中学三年にもなって……それも陰毛どころか、ヒゲも指の毛も伸びないとあっては、もはや珍獣の扱いしかされない。
何より傷つくのは、それから高校に入学した現在になってもコンプレックスの原因は是正されるそぶりすら見えないことに尽きる。
ふらふらとミハルは立ち上がった。
「ミハルくん?」
「あ、ごめん。怒った?」
少し慌てた友人たちを無視して、屋上に設けられた転落防止用のフェンスに指をかけて、春の透き通る日差しが満ちた青空を見上げる。
そして、潤んだ目で嘆息した。
「いつになったら俺はスネ毛が生えるんだろう――――――」
「珍しい悩みだな……」
「良いじゃん。半ズボンと膝が綺麗だよミハルくん」
そうなのだ。
旧軍の海軍学校由来という伝統の水兵服に似た制服も、入学してみたら周囲の誰もまともに馬鹿正直に着用してはいなかった学校指定の膝丈のズボンも、少年の外見の印象を本人の理想とはかけ離れたものに固定するのに一役買っている。
いわく『かわいい』『女の子みたい』『女子更衣室にいても違和感ない』――――――。
せめて、人に見えないところでくらい肉体的な劣等感くらい解放されたいと思うのは、若さゆえのワガママなのだろうか?
「陰毛が欲しいよ―――っ!!」
少年の切実な叫びが、昼休みの屋上に木霊した。




