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7_10 おまえとあなた

「それで、私には改めて法王聖下より直々の聖務が下されることになりました」



 ミハルと並んで日陰に座ったファム・アル・フートが得意げに胸を張った。



「どんな?」

「"エレフン"への長期赴任と、正式な祝福者として認められた貴方の警護です。まさに"エレフン"に嫁ぐことになる私に適した役目と言えますね!」



 つらつらとファム・アル・フートは法王の思いやりに対する感謝とその慈悲深い考えを称賛し始めた。



「ふぅん……」



 興味なさげにしながらもミハルは頬が緩むのを抑えきれなかった。



「あの、それで、私は……そのですね……」


 

 急にファム・アル・フートの歯切れが悪くなった。



「できたら、また、前みたいに、ミハルの家に置いて頂けると助かるなって……。いえ、その、迷惑ならまた野営しても良いのですが……」



 ミハルは軽く驚いた。

こんなに腰の低い女騎士を見るのが初めてなのもあるが、また元通り自然に家に居座ろうとするものと決めつけていたからだ。



「俺は戻ってくるのが当たり前と思ってたけど」

「……」

「今更おじいちゃんが駄目っていう訳ないし……。どうしたんだ、なんか今日変だぞ?」



 膝の上に置いた手をもぞもぞと動かすファム・アル・フートを見て、ミハルは怪訝げな声を出した。



「その……ミハルは後悔していないのですか?」

「何が?」

「あの……私と結婚して……」



(あ)



 そうだった。

思わず声に出してしまうところだった。

あの時は無我夢中で、帰ってからは自分のことで頭がいっぱいだったので完全に抜け落ちていた。



 あの時はもう他に方法はなかったし無我夢中だったのだ。

言われてみて初めて、自分がファム・アル・フートを助けた後のことなどろくに考えてもいなかったことに気付いた。

本当に責任が取れるのか。

家や子供はどうするのか。

そもそも収入も学歴もない自分がとてつもなく無責任な大それたことをしてしまったような気がしてきた。



(やばっ)



 今更になって脂汗が浮かんでくる。

同時に"黒の塔"でのキスの感触も脳裏に浮かんできて、少年の顔は青くなったり赤くなったり慌ただしく変化を繰り返した。



「……本当のことを言うと、今日会うのはずっと不安だったんです」


 

 こちらも不安げにしながら、ファム・アル・フートがぽつぽつと内心を漏らした。



「貴方が私に同情して、本心ではないのに助けるために仕方なしにしてくれてたんじゃないかって……」

「えっと、それは、その……」

「もしそうだったら……私はとてつもなく罪深いことを強要したのと同じです。言い訳はできません。神々からの信頼と愛を裏切ることになります」

「け、結果オーライってことじゃダメかな……?」



 誤魔化すようなミハルの声に、ファム・アル・フートは目を剥いて向き直った。



「だってこの先、一生ずっと一緒にいるんですよ!?」



 真剣な口ぶりにミハルは思わず首をすくめてしまう。



「私はその……婦女子のたしなみもろくにできませんし!体は筋肉ばかりついていますし!"エレフン"の常識もありませんし!」

「そ、それは知ってる」

「今はまだ22歳ですけど、すぐにおばさんになるんですよ!?」

「それこっちだとあんまり大きな声で言わない方が良いかも……」



 ファム・アル・フートよりも年上で未婚の女性が聞いたら残らず眉をしかめそうな暴言にミハルは汗を流したが、無視してファム・アル・フートは続けた。



「貴方が大人になるころにはもう子供もそんなに産めませんし!貴方よりも先に死ぬんですよ!?」

「……」

「それに、その、私、ミハルから、愛を語ってもらったことがまだありません……!」



 母親から叱られた少女のようにつむじを曲げたまま、ファム・アル・フートは自分の膝に顔を押し当てた。



(どうしよう……)



 自分が一人の大人の女性の一生を左右する問題に直面していることに、ミハルはこの期に及んで困惑した。

ここで『愛している』とか言っても恐らくはひどく嘘くさく聞こえることだろう。

というより、異性に対して愛を語るどころかモーションをかけた経験すらないなりたての男子高校生の羞恥心ではとても歯の浮くような言葉など吐けなかった。

説得力がある事実が何かないかと本気で悩んだ。ファム・アル・フートを納得させるに足る証左になる事実が。



「な」



 これしかないと思って口に出すが、噛んでしまった。

顔中を真っ赤にしながら慌てて言い直す。



「なんとも思ってない相手と、キスする訳ないだろ……!!」



 言い終わってから、『しまった』と思った。



(……これってほとんど告白なんじゃないか?)



 違う。そういう意図ではなかった。いやでもこの場合は好意を伝えなくては駄目なのか?どうなんだ?



(まずい。これはまずいぞ……)



 耳まで真っ赤になりながら、ミハルはあることを危惧していた。

こんなことを言ってはファム・アル・フートを図に乗せてしまうかもしれない。

力関係を気にし過ぎていたりするやや過剰気味な自意識が、おそるおそると隣に座る女騎士の方へと視線を向けさせた。

ものすごいドヤ顔をしていたらどうしよう、などと内心で恐れながら。



「……」


 

 意外にも、ファム・アル・フートは膝に顔を埋めたままにしていた。

時折ぴくぴくと両肩を揺らしているのは、喜んでいるのか恥ずかしがっているのかミハルからは判別がつかない。



 気まずい沈黙が流れ始める。

こちらから声をかけて無理矢理でも返事を聞くべきかミハルが迷いだしたところで、ファム・アル・フートがぽつりと漏らした。


「本当に私で良いんですか?」

「……()()()でいいや」



 乱暴な物言いで返すのがミハルのせめてもの抵抗だった。



「……こちらに来る途中、先輩から言われたんです」

「先輩?」

「アルカイドからは幸せで幸せで仕方なくなったときに結婚するものだと」

「ふうん……」



 まあ、世間一般でイメージする結婚というのはそうしたものだろう。

少なくとも、こんな風にドタバタでなし崩しで危機回避的に行われるものではない、と思う。



「思ってたのとは大分違いますけど」



 ファム・アル・フートが顔を上げた。



「多分今、私は幸せです」



 泣きはらしたような腫れぼったい目ながら、長いまつ毛を目元に貼り付けてファム・アル・フートは相好を崩した。

その泣き笑いがあまりに綺麗だったので、ミハルは慌てて視線を真正面に戻して……それから急に不安になって聞いた。



「お、おまえの方はどうなんだよ」

「え?」

「俺のこと、どう思ってんのかって……。言えよ、俺ばっかずるいぞ」



 軽く目を見開いたファム・アル・フートが、少年の言わんとするところを理解するまで少し時間がかかった。

小さくほほ笑むと、そっと少年に顔を近づける。

まるまる頭ひとつは身長のあるファム・アル・フートに吐息が届きそうな距離で上から見下ろされて、ミハルは思わずぎょっとなった。



「―――やっぱり今は駄目です」


 

 その目尻が緩む。何かを残念に思うような形であったことに気付いたミハルは軽くショックを受けた。



()()()を見ていても、感謝と愛らしさしか感じられません。多分これは、ミハルが求めているものとは違いますよね」

「……」



 少年の落胆が伝わったのだろうか。慌てたようにぱっと目を見開くと、ファム・アル・フートはフォローのつもりなのか両手を広げて小さく振ってくる。



「でも10年後か……5年後には!背が伸びきって、がっしりした体つきになって、立派なヒゲが揃えられるようになったら」

「…………」

「その時はあなたのことを一人の男性として愛せるかもしれません。いいえ、愛してみせますとも!」



 何の根拠があるのか、ファム・アル・フートは取り成すように自分の胸を拳でばしばしと叩いてみせた。

それを見てミハルは小さくため息をついた。


 以前ファム・アル・フート自身がそう言っていたように、誰しも自分が思った通りに生きられるものではないらしい。

が、曲りなりにもこれはミハルが選んだことだ。

恐らくは生まれた初めて自分の考えだけで選択できたことの一つが、人生の墓場入りの第一歩とは。



(……まあ、そんなに悪くはないだろ)



 これが本当に祖父の言っていた後悔しない選択なのかは分からない。

ただ泡を食って自己弁護をするファム・アル・フートを見ていて、不思議と不愉快な感じはしないのは確かだった。

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