7_8 とある春の日
6_14『生体計測』をうっかり削除し気付かずそのままにしていました。
感想欄で指摘して頂いて初めて気付きました。再投稿したので今では話数に抜けはないはずです。申し訳ありません。
"アルド"の各地、特に大都市には必ず聖地への巡礼者を援助するための施設がある。
例えば次の目的地までの身元の保証を行ったり、食事や宿泊場所の提供を行う修道院がそれだ。法王圏で最大の宗教権威であるともに最大の官僚組織である法王庁に所属する施設はすなわち公的な役所や救貧所としての機能も果たす。
その病院も、長期の旅程で健康を損ねた巡礼者向けの医療機関だった。
並大抵の諸侯や個人が運営するものよりもはるかに設備も人員も充実しており、治療は特殊な器具や薬物を用いるものを除いて基本無料である。運営のための資金は篤志家からの膨大な寄付と、金融資産としてそれらを運用する独立した外部団体が上げる利益から出ている。
不浄を払う太陽の適度な光と清潔な空気が病人にとって何よりの薬であるのは周知の事実なので、二階のその病室も大きく窓が取られ、"央の海"から吹き込んでくる心地いい風がカーテンを揺らしていた。
「それで目の前で結婚した?」
ベッドの上に半身を下ろしたまま、病人着のオデットは愉快そうに笑った。
ゆったりとした袖や襟元から軟膏を貼りつけたのが見え隠れしているが、声と表情は健康そのものだった。
来客用の椅子にどっかりと腰を下ろしたピッコローミニが、無言で視線の動きだけでオデットの質問に応じる。
相変わらず眠たそうで不機嫌げな視線が出した答えは"イエス"だった。
「ハハッ! 最高ですね、あの坊や。私が見込んだだけのことはある」
「笑いごとじゃねえよ」
これから自分が負わなければならない労苦と責任を思うとピッコローミニの方が入院したいくらい気分なのだが、オデットは身を乗り出して食いついてくる。
「奥さんにはもう言ったんでしょ? なんて?」
「褒められた。『なんて名誉なの、信じられない! あなたにこんな甲斐性があるとは思わなかったわ!』だとさ」
ピッコローミニが裏声で妻の驚嘆を真似てみせたのを、オデットは小鳥のようなけたたましい笑い方で心底愉快そうな声を上げた。
しばらく体を揺らした後で、『あーおかしい』とベッドに座り直したオデットは、
「……それでアタシの処分は決まりましたか?」
穏やかではあるが沈んだ声で問いかけた。
「……。所属は聖堂騎士団のままだが、しばらく"ザルカーン"は団で預かる。退院次第修道院に戻って大人しくしてろ。次の任地は追って決める」
「つまりお払い箱ですか」
「心配するな。お前みたいなのをずっと遊ばせておくくらい法王庁は人材が有り余っている訳じゃない。いずれ呼び戻してやる」
乱雑な言い方だが、ピッコローミニの普段の物言いからすれば最大級の配慮のこもったセリフだった。
「それより今日の本題は別だ」
そう言うと、ピッコローミニはベッドの毛布の上に金属板を投げてよこした。
大きさはちょうど人の顔がすっぽり覆えるくらい。目の当たる位置にはのぞき穴らしい小さな隙間が開いている。ぐしゃぐしゃに潰れてはいるが、元は仮面のようだった。
「見覚えあるか?」
「たしか塔でアタシがぶん殴ったやつか、窓から落としたやつがつけてたものです」
湖畔の城の尖塔で、監禁された半裸の少年をいじくりまわしていた連中がまるでユニフォームのように揃いで着けていた鉄仮面だ。
「尖塔の残骸と一緒に6人分の身元不明の死体が谷底から見つかった」
「身元不明? そんなバカな。第二大隊の正式な命令書を持っていたんですよ。……6人?7人では?」
「6人分だ。手足の本数に数え間違いがなければな」
ピッコローミニは顎をしゃくって手に取るよう促した。オデットはおそるおそる指を伸ばすと、手に取った量感に驚いた。
「軽いですね……」
「素材は何でできてると思う?」
「さあ? まさか、木か何かに色塗ったとか?」
「チタンとアルミニウムとステンレスの複合だそうだ」
初めて聞く単語にオデットは目を丸くした。
「何それ?」
「聞いたことないだろう。そりゃそうだ。法王庁はもちろん帝国でもそんなものを精錬する技術はない。
が、"エレフン"じゃありふれた素材らしい」
「……どういうことです?」
薄気味悪くなって唇を噛んだオデットに対して、ピッコローミニは忌々し気に吐き捨てた。
「推測の段階だが、これを付けてたクソったれの誘拐犯は俺たちとは別の手段を持ってる。"エレフン"に渡航するためのな」
――――――。
「…………あの、ミハルくん? 聞いてる?」
安川ミハルははっと我に返った。
目の前には滑らかな青い月もごつごつと隆起した赤い月もなければ、武装した兵士も鎧を着た騎士もいない。
ただ、平和な昼休みの学校の屋上と、心配そうに自分を見ている友人たちがいるだけだ。
春の日差しの陽気の中、校庭からは生徒の嬌声が聞こえてくる。
食事中だったことをミハルは思い出し、慌てて聞き返した。
「……あ、ごめん。聞いてなかった」
「そ、そうなの?じゃあもう一回言うね」
弁当箱を開いた嶺岸ジュンが、どこか奥歯にものが挟まった物言いで繰り返した。
「今度の土曜日に皆で遊びに行こうかって……。その、行きたいところがあるなら行先はミハルくんが選んでも良いよ」
「ごめん。土曜日はバイト入れてる。お店に出なきゃ」
にべもなくミハルは言い切ると、パインパンをかじって咀嚼する行為に再び没頭し始めた。
「「「…………」」」
気まずい沈黙の中で、友人たちは目を見合わせると、ミハルには聞こえないように小声で囁き始めた。
「やっぱりファムちゃんがいなくなってショックなんだよ。最近全然送り迎えにも来ないし、お店にもいないし!」
マドカが深刻そうに眉間に皺を刻んだ。
「なんでいきなり?不法入国でもしてたとか?でも大使館員なんだろ?」
訳が分からないと言った顔で、タクヤが眼鏡のツルに手をやる。
「喧嘩でもして外国の実家に帰っちゃったとか? ……どうしよう、俺たちでカンパでもしてミハルくんの渡航費用集める?」
タクヤがあわあわと顎に両手を当てた。が、どことなく目元が嬉しそうなのは『まるで青春映画みたい!』などとバカなことを考えているために違いない。
「いや、それより大使館に問い合わせてだな……」
「私たちが首を突っ込むとかえって良くないんじゃない?やっぱり友達としては、敢えてぐっとこらえて普段通り振る舞うのも立派な友情なんじゃ……」
「いっそ気分転換に他の女の子紹介するとか……痛っ!ごめんなさい!」
マドカに思い切り太腿の肉をつねられて、タクヤが悲鳴を上げた。
「帰ってくるよ」
食べ終えたパインパンの袋をくしゃくしゃに丸めながら、ミハルはぽつりとつぶやいた。
ばっ、と三人は慌てて向き直る。
「あのバカは帰ってくる」
「そ、そうなの?」
「うん。だから大丈夫。心配いらない」
といいつつも、どこか表情も語気もどこか上の空のままだ。
それを見た三人が『サプライズパーティー』だの『新しい世界の扉を開かせてやる』だの密談に花を咲かせ始めたのを尻目に、ミハルはそっとベンチを立つと昇降口へ足を向けた。
――――――。
『さぞお寂しいでしょうが、ホミネ……失礼、ファム・アル・フートはやはり聖都に一度返すべきですわ』
アルカイドはそう言いながら、先刻までファム・アル・フートの両手を拘束していた手枷を兵士の一人に手渡した。
『え……』
『大人の世界では、手順というものは思った以上に大事ですの。命令が出た以上は従わなければなりませんの」
『でも』
『ご安心あそばせ。今更法王庁にも、騎士団にも、彼女を拘束したり騎士号を取りあげたりしようとする愚か者は一人もおりませんわ。そんなことは法王聖下だってできはしません。ファム・アル・フートは、50年ぶりに人に下った神命を完全に達成したのですから』
後ろで膝をついて地面に落ちた小石を放り投げているピッコローミニには目もくれず、アルカイドは柔和な笑みを絶やさずに言った。
まだ何か言いたげなミハルに、鎧を再び身に付けたファム・アル・フートはぽんと肩を叩いてきた。
『心配いりません、ミハル』
まだ目元を微かに赤くした女騎士は断言した。
『私は必ず"エレフン"に帰還します。貴方の隣が今の私のいるべき場所ですから』
そう告げる女騎士の表情に迷いなど微塵もなく、ミハルは同意せざるを得なかった。
――――――。
……そう言ってもう一週間が経つ。
その後アルカイドと塔の真ん中で数十分間待って、何故かいきなり駅の男子トイレの中ですし詰めになって悲鳴を上げて逃げるように飛び出してきた。
家の玄関を開け放したまま3日も連絡もよこさずに、いきなり知らない女に付き添われて帰って来た孫に流石に祖父は目を丸くした。
が、ファム・アル・フートがいないことと、ミハルの表情を見て何かを悟ったらしい。アルカイドに丁寧に礼を述べた他は、ミハルに対しては特に叱ろうとも問い詰めようともしなかった。
『用事を済ませに実家に帰った』とだけミハルは説明して、祖父はそれきり何も言わなかった。
再び慌ただしい日常が返って来た。
捜索願が出されていたことで警察関係者と学校の教師たちにはこっぴどく怒られ、友人たちにはもみくちゃにされた。
学校で学業をこなし、喫茶店で家業を手伝う日々が繰り返される。
路地裏で女騎士を見つける前の日に戻ったようだった。
彼女の奇行にやきもきすることも怒鳴り散らすこともない毎日。
自分はそれまでこんなに感情の起伏の乏しい生活をしてきたのかと、ミハルは最初驚いてしまったくらいだったが、それもすぐに慣れた。
本当に何もかもそれ以前に戻ってしまったようだった。
家に残っていた荷物はアルカイドが引き払っていったし、銀時計はあれからどういじろうともまたぴくりとも動こうとはしない。
この世界全体に間違った方向に進んでしまった何かの軌道を元に戻す力が働いて、ファム・アル・フートという名前の女騎士がいた証拠を全てなかったことにしようとしているかのようだった。
今日のように遠慮がちに友人たちの会話に出てくるだけで、女騎士が確かにいた痕跡は何も残ってはいない。
ただ一つ。
折に触れて思い出す、ミハルの唇に残った柔らかな感触を除いて。
「……」
屋上に繋がる階段を下りながら、ミハルはそれでもミハルはファム・アル・フートが戻ってくることを確信している。
(あいつは、自分の言ったことは全部守ってきた)
だから今度もきっとそうだ。
心からそう信じている。
ただ、この空気が薄くなったような寂寥感だけは心の働きだけではどうしようもないようだ。
階段を下りた廊下の先で、女子生徒の一団が黄色い歓声を上げながら通り過ぎていった。週末はカラオケとショッピングで予定らしい。
「……早く帰ってこないと、浮気しちまうぞ。バカ」
誰にも聞こえない声量でミハルはつぶやいた。
――――――。
そしてまた当たり前のようでいて、どこかぽっかり何かが欠落したまま日付だけが無為にいくつか過ぎ。
その日は来た。




