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エピローグ(前)

 

 憂鬱な気持ちで、安川ミハルはメモ用紙に書きなぐった即席模擬問答集から顔を上げた。


白い額に細い髪が貼りつくのを気にも留めず、テーブルの向こう側に座る金髪の女に目をやる。


長髪を後頭部でまとめた彼女は、こっちに来てから覚えたとは思えないほど堂に入った正座でビシッと背筋を伸ばしていた。


彼の胸中の不安など知りもしない様子で、いつも通り無駄に自信に満ちて透き通った表情のまま泰然としている。

 


 明らかにこの国の人間とは造形も色素も異なる外見だった。


大きめの眼窩と、吸い込まれるような深紅の瞳。


鼻の通った顔立ちは控えめに表現しても美女だった。


 ――――――少なくとも、こうして大人しく黙っている間は。


 

 異国の美女が、一般家屋の純和室の客間で正座している。


それだけでもかなり特殊な光景と言えたが、最大の問題点に比べれば些末なことだった。



 女は流線形をした金属の装甲で固められた鎧で隙間なく身を包み、あまつさえ頑丈な拵えの大剣をすぐ鞘から抜ける位置に保持していた。


少年が何度も客が来るから着替えるよう言ったのだが、『これが正装である』と頑として首を縦に振らないのだ。


八畳間の畳の上で正座する女騎士。ほとんど冗談か、でなければ出来の悪いシュールレアリズム作品のような光景である。


この光景が日常となってしまったせいで、もう半ば違和感が働かくなってきている自分の神経に少し苛立ちながら、ミハルは薄い唇を開いた。



「……どうも学校側に、おまえがうちに住んでいることがバレたらしい」



 少年の言葉を聞いて、女は小さく決然と頷いた。



「なるほど。それでは正式に挨拶と報告に赴く必要がありますね」

「恐ろしいことを言うな。それで、その辺の事情を聞きに、3時に生活指導の先生が家庭訪問に来ることになった」

「あなたの恩師ですか。では、丁重におもてなししなければ」

「余計なことはしないで良い。なんでわざわざうちに来るかっていうと、不純異性交遊を疑われてるからなんだよ」

「フジュンイセーコーユー?」



 女が小首をかしげる。



「何ですか、それは。"エレフン"の言葉はまだ良く分かりません」

「不純異性交遊というのは……その……ええっと、男女で不適切な関係にだな……」

「意味が掴めません。もっと具体的な説明を求めます。……ミハル?顔が赤いですよ、風邪ですか?」

「とにかく!このままだと俺が困るの!こんなことが原因で反省文を書かされたり停学になったりしたらたまらないからな!」



 真面目な顔で説明を待つ女に向かって声を張り上げて、多少強引に話題を逸らす。


女騎士はまだ少し納得いかなそうにしていたが、それ以上追及してはこなかった。



「……ともかく、先生がおまえに直接会って質問しに来るから」

「分かりました。応対しましょう」

「ずいぶん物分かりが良いな」

「事情は把握しました。私が神々の使命を帯びてこの"エレフン"に来た事情を説明し、ちゃんと納得して帰って頂けば良いのでしょう?」

「上手く嘘ついて誤魔化してやりすごすに決まってるだろ」



 やはりこいつ任せにする訳にはいかない。


一体どんなとんでもないことになるか知れたものではない。


そう結論したミハルは胸のうちで毒づきながら、メモ書きを手渡した。



「文字は分かるんだよな?」

「問題ありません」

「思いつく受け答えはだいたいここに書いてあるから。

 お前の設定、赤線引いてあるところな。聞かれてもすぐ答えられるようにちゃんと覚えとけよ」

「アルマーク公国から文化交流事業でやって来た交換留学生……。何ですかこれは。出鱈目です」

「はぁ?おまえが持ってきたパスポートに書いてあったろ?」

「パスポート?」

「ほら、身分証。あの手帳みたいな。おじいちゃんに渡したやつ」

「あれは偽造です」

「平然と断言するな。先生には言うなよそれ絶対……」

「騎士に虚偽を述べろと?」

「おまえは騎士じゃなくて交換留学生だ」



 設定を覚えさせたところで、このまま先生の前に出すのはどうしても不安が拭いきれない。


仕方ない。残った時間でどこまでやれるか分からないが、やはりあらかじめ不安な点を洗い出しておく必要がある。


ミハルは身を乗り出した。



「やっぱり予行演習しとこう」

「演習?」

「そう。俺が先生役やるから。聞かれたことにちゃんと答えられるように、あらかじめ問答の練習しておくんだ」

「分かりました。あなたがそう言うなら」



 少年はてっきり嫌がるものと思っていたが、女騎士は意外と素直に受け入れてきた。



「さあ、いつでもどうぞ」

「……」



 大人の女性に胸を張って身構えられると、何故かミハルの方が少し気恥ずかしくなってしまった。



「じゃ、じゃあ先生が来て挨拶するところからな?」



 えほん。


 誤魔化すために、わざとらしくもったいぶった咳払いをひとつ。



「えっと……それでは自己紹介をお願いします」

「私はイブン・マンスールの娘、ファム・アル・フート=バイユートです。

 アークマイト公国から文化交流事業の一環でこの国に参りました」



 メモに視線を落としもせず、すらすらと堂に入った挨拶を述べてきた。


 ミハルは小さくうなずいた。良し。出だしは悪くないぞ。



「これが身分証と在留証明書です。お改め下さい」

「失礼。……では身元は、領事館に問い合わせれば証明して頂けますね?」

「もちろん。誓って私の身元に怪しいところはありません。

 叙任式で大公閣下よりれっきとした騎士の称号を授与されております」

「えっ」



 いきなり雲行きが怪しくなってきた。



「身分は戦士階級。所属は栄えある聖都の聖堂騎士団です」

「はぁ」

「無位無官でしたが、先日男爵の爵位を賜りました。報告書の書面には男爵夫人とお書き下さい」

「……」



 話の腰を折って修正するべきかちょっと悩んだが、こんなところでつまずいては時間がいくらあっても足りない。


 後でまとめて指摘するつもりで、ミハルはファム・アル・フートと名乗った女に先を促した。



「……続けますよ。どうして安川くんと同居しているんですか?」

「領事館の手違いで、受け入れ先の体勢が整わなかったためです。

 幸運にも私の祖父がミハルの曾祖父と親交があったため、現在ご好意に甘えて下宿という形でお世話になっています」

「では、その……やましいというか、後ろ暗いというか、不適切な関係では決してない訳ですね?」

「もちろんです。神々に誓って言葉にしましょう」



 薄い唇が上品にほころんだ。



「どうかご安心ください。

 同居しているからといって、私と安川ミハルとの間にふしだらな行いや、邪な事柄は何ひとつ存在しません」



 凛とした声と、自信に満ちた瞳の輝き。


 響きだけで聞いたものを安心させ、振る舞いだけで見る者を納得させるような澄明な態度だった。


 思わず先生役をやっている俺の方まで釣り込まれて頷きそうになってしまう。



「―――なぜなら、私たちは正式な夫婦だからです」



 柔らかな微笑を浮かべながら、金髪の乙女は剛速球の爆弾を放り投げてきた。



「……」



「正当な手続きに則り、法王聖下に認められた結婚です。

 お疑いならこれをご覧なさい。ラインホルト枢機卿猊下の直筆のサイン入り結婚証書です」

 


 いつ用意したのか、豪奢に金で箔押しされた羊皮紙を高らかに広げて見せてくる。



「……なので、私たちが何をしようと決して不純な行いとはならない訳です。

 一つ屋根の下に寝起きしようと、浴場で湯あみをしようと、同衾し二人の愛を育もうと。

 何せれっきとした婚姻関係にあるのですから。

 分かっていただけますね?」

「……」



 ミハルは無言で畳の上に広がっていた新聞紙を手に取ると、くるくると手の中で棒状に丸めた。


 立ち上がると、少し自慢そうに鼻腔を広げた自称女騎士の脳天に向けて、全力でそれを振り下ろした。


 即席の精神注入棒が空気を引き裂く響きに続いて、適度な硬さと重量の紙が頭頂部を直撃する乾いた音が、客間の隅々まで響き渡った。

 


「――――――痛ぁっ!?」

「バカ――――――っ!」



 大げさに頭を両手で抑えながら目をきょろきょろさせてこっちを見上げてくるファム・アル・フートに向かって、ミハルは思い切り大声で怒鳴りつける。



「な、何をするんですか!今の説明のどこにつまずきがあると言うんです!?」

「全部だ!バカ野郎!おまえ、さては何が問題なのか全く分かってないな!?」

「問題?どこがです?夫婦が愛し合うことが悪いことだとでも?」

「それ以前の話!

 お願い、いい加減に理解して!

 この国じゃ普通、15歳の男子は結婚して女と同居したりしないの!」

「!?そうなのですか!?」

「ようやく分かってくれた!?」



 が、言葉とは裏腹に女騎士の反応はミハルの淡い期待を裏切るものだった。


 信じられない、と言わんばかりにわなわなと深紅色の目を見開いている。


 脳裏に思い至った可能性の重大さに戦慄したように、震える声で問いただしてきた。



「ま、まさか……"エレフン"では夫婦が同居していたら罪になるとは……!!」

「そっちか……」

「そ、そ、それでどうやって子供を作ったり育てたりするんです!?家の中では家族を増やさないのですか!?

 ……ひょっとして行きずりの相手とまぐわって子供を残し、無責任に放り捨てるのが普通なのですか!?

 なんと野蛮な!恥を知りなさい!

 あなたたちはそれでも文明人ですか!?」



 とうとう自分の方を指差して文明批判を始めてきた女騎士に対して、少年は再び手を振り上げる。


スパコーン、と絶妙の音を立てて新聞紙の一撃を再び頭にお見舞いしてやる。


前回と同様にファム・アル・フートは悶絶して痛がった。 



「か、家庭内暴力はやめてください!」

「どこでそういう言葉覚えてくるんだ……」



 少年の身体からアドレナリンが引いていくとともに興奮が収まって、代わりにどっと疲れが押し寄せてきた。


 仕方なく、トーンの下がった声でしずしずと説明することにする。



「……あのな、ファム?

 おまえのいた世界じゃ12歳と結婚して子供産ませても何も言われないかもしれないけど。

 この国じゃ18歳以下は結婚できないし、そういう……関係を持っただけでアウトなの」

「18歳になるまで結婚できない!?

 なんと愚かな政策を!それでは子供がたくさん産めないではないですか!」

「まあ確かに……。晩婚化と少子化は社会問題だけど」

「ミハル!やはりこんな圧政を敷く"エレフン"は捨てて"アルド"に亡命してらっしゃい!

 私の領地で、あなたに人間らしい暮らしを取り戻させてあげます!」

「またそれかよ……」



 どうやらこの女騎士の眼と頭の中のフィルターを通すと、この現代社会はとんでもない悪習に支配された迷妄な暗黒時代に映るらしい。



「何度だって言います。あなたの健康管理も私の役目ですから。

 こんな穢れた土地の不浄な空気の中で住んでいるから!

 いつまでも背が高くならず、髭も伸びず、陰毛も生えてこないんです!」

「その話はやめろ!」

「早く成熟して下さい!

 私、子作りどころか初夜の契りもまだだなんて……恥ずかしくてとても正直に人に説明できません!」

「そんなこと説明する方がよっぽど恥ずかしいだろ!このっ!このこのっ!!」

「痛っ!痛いです、やめてください!」


 

 気恥ずかしさとやり場ない感情のあまり、少年は新聞紙の棒を金髪で覆われた頭に向けてやたらめったら振り下ろした。

 


「…………っ!」

「はぁ、ハァっ……!はあ……」



 息が続かなくなって、打擲はすぐに途切れた。


頭を押さえて悶絶するファム・アル・フートと、金魚のように口を開閉して酸素を取り込むミハルとの間で、重苦しい嫌な空気が流れる。



「……とにかく一回落ち着こう。な」

「そ、そうしましょう。これ以上頭を叩かれ続けると、私の中で良くない感情が芽生えてしまいそうです……」

「で、先生が来た時の話だけど」

「そのことなのですが、私に考えがあるのです」



きっ、とファム・アル・フートがこっちを見上げてきた。



「考え?どんな?」

「やはり作り話など私の性に合いません。

 仮にもこの国の最高学府の教諭なのですから、虚言を弄さずとも話は通じるのではないかと」



最高学府、という箇所がひっかかったがもういちいち訂正するのも面倒なのでミハルは黙っておいた。


少年が通学しているのは単なる私立の高等学校なのだが、ちょっとした行き違いで女騎士はこの国一番の教育機関だと信じているのだ。



「それで?」

「全て正直に説明しましょう!

 赤誠を以て話せば、きっと私たちの良き理解者になってくださいます」

「えぇ……」



 晴れやかな顔で、女騎士は自分の胸に手を当てて朗々と述べ始めた。



「私が神々の代理人たる神造裁定者の命を受け、祝福を受けた土地"アルド"からこの地にはるばるやってきたことを。 

 紆余曲折と艱難辛苦の末、聖堂騎士団の正式な立ち合いの下あなたと結ばれたことを。

 全て包み隠さずお話しするのです」

「……つまり、

 『私は神様からの指令を受けて異世界からやって来た女騎士です』

 ってぶっちゃけようと?」

「はい! 実は以前から疑問に思っていました。何故私は心を支える信仰と、栄えある聖務について隠し立てしなければならないのかと」

「……そんな話、信じてもらえると思うか?」

「ミハルは悪意と虚偽に満ちた"エレフン"に毒されて、未だ世の中の正義と真実があることを知らないのです。

 大丈夫、お任せください!

 必ず教師を説得し、神々の権威の存在とこの結婚が祝福されたものであることを納得させてみせます!」

「おまえに何をどう任せろっちゅーんだ……」


 

 泣きたい気分になって、少年は思わず新聞紙を取り落とすと、両手で顔を覆った。


 どうしてこうなったんだろう。


 少年の脳裏に、これまでに起きた出来事が鮮明に蘇ってくる。



 日暮れの街角でチンピラ相手に見えを切る女騎士の姿。


 彼女が裏路地でゴミ箱を漁っていたのを目撃してしまった時の、恐怖と呆れとがない交ぜになった感情。


 日常生活に無理矢理入り込まれてからの苛立ち。


 ――――――そして、この世のものとは思えなかった彼女の郷里の光景。



 

(……なんでこんなの拾っちゃったんだろ)



諦観とも後悔ともつかないため息を胸の中でついてから、少年は唇を引き結んだ。



思い通りにならない現実ばかりだが、気落ちしてはいられない。


時計は午後二時近くを指し示している。先生が来る刻限まであと1時間しかない。


ミハルの学校生活と、内申の評価は今日を上手く乗り切れるかにかかっているのだ。そのためには行動を起こす他ない。



 顔から手をよける。


自信満々で返答を待つファム・アル・フートの顔が実に癪に触るが、無視して小さく頷いた。



「……分かった」

「良かった!」

「もう何も喋らなくていい。先生には俺が説明するからその間ずっと日本語が分からない振りしてろ」



自分に出せる精一杯力強い声で、少年は女騎士にそう命じた。


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