正規版に備えよう。
「わぁお…」
アバターネーム「アイリス」こと八十八 菖蒲が呆然としているのは、某地方都市のどこにでもありそうな喫茶店のボックス席。タブレットのディスプレイの向こうでは、やや小柄な平凡顔の青年がコーヒーをすすっている。菖蒲の次兄の、名を琢磨という。
「これ、あやだろ。」
と言いつつ差し向けられたディスプレイに映し出されたのは、先日の「フロンティアプラネット」βテスト最終イベントで、モンスターとどつき合いをはさみつつ逃走する装甲パワードスーツ。間違いなく「ザラマンダ・プロト」だ。
「たく兄、これどこで」
「プレイヤーの活動の動画を使用させていただくことがあります、と規約にあったろ。つまりは映像は記録されてるってこった。で、運営ホームページのデモに使用するにあたって、一応ユーザーの許諾を再確認すべくここで会っている」
久しぶりに兄に呼び出されたと思ったら開発運営の回し者だった。
「やだよ、恥ずかしいよ」
「そもそもこのスーツのデザイン原案は俺のもんだ。拒否権は認めん。特別に顔出しは勘弁しといてやる」
「たく兄横暴」
「ユーザーの許諾があれば、このザラマンダ・プロトを公式に採用して、ゲーム内で購入できるようにする。販売数に応じてゲーム内通貨でロイヤリティーが支払われるだろう。」
「ばんばんつかっちゃってくだしあ」
取引が成立したらしい。
「あとな、おまえ死に戻りの後ストレージの確認とかメッセの確認してないだろ?登録アカウントでログインすれば確認できるから見とけよ?いろいろ入ってるからな」
「いろいろって?」
「いろいろだ。なんせイベントボスをソロ討伐だから、死に戻りで半分引き上げてすら運営の想定外なことになってる。因みに室長は腹を抱えて爆笑してた」
「んー…朗報?最後のはいらない情報ぽいけど」
「まあ、資産持越しなら朗報だろうな。アバター持ち越しだと微妙だが」
βテスト特典の話だ。βテスト参加者は、アバターのステータス及びスキルか、もしくはアイテム、装備、資金の持ち越しかのどちらかを選べる。菖蒲/アイリスは後者を狙っていて、「ザラマンダ・プロト」の製作に没頭していたのもそれを本サービスに持ち込むためだった。
「なら問題ないかな。資産持越し予定だし」
因みに、β特典をどちらにするのが有利かの議論は資産持越し有利、の意見が強いのだが、あるていど高品質のアイテムや装備の使用にはステータス制限やスキル制限が付くことが多いので初期ステータスでは宝の持ち腐れになりかねない。一方高ステータス、高スキルなら一定の効果が期待できるが、装備がしょぼすぎればできることに限りがあるのでどっちもどっちと言える。
「おまえ変なとこものぐさだから、これだけ教えといてやる。ボスのソロ討伐報酬はユニーク初期装備ガチャチケットで、イベントモンスターソロ討伐報酬はウルトラレア初期装備ガチャチケット、イベントモンスターパーティー討伐報酬はレア初期装備ガチャチケットだ。ホントはボス討伐報酬も計画あったが、あやがソロで仕留めたんで急遽変更になった。重複配布はない」
「うわぁお…」
兄の落した爆弾に、本日二度目の呻き声がもれる土曜の午後であった。