断崖
あけましておめでとうございます
「ぶえー。つ ー か ー れ ー た ー 」
「きゅい」
ぐったりと脱力した飛鳥を背びれに引っかけた鐘木竜が母船の側まで戻ってきたのは20分ほどたってからだった。
「お疲れ様でした。何かお飲み物でもご用意いたしましょうか?飛鳥様」
「クオちゃんありがとー。そーだなー、ココアかなんかある?」
見るからに疲労困憊、といった様子の飛鳥はクオの提案に一も二もなく乗った。
「お疲れ様です。でも、ちょっと意外でしたね」
「なにが?」
「飛鳥さんは冷たいものをオーダーされると思いました」
そういうメイフェアは母船のデッキに置いたデッキチェアーでティーカップを持っている。柑橘系の香りが混じるカップの中身はアールグレイ系の紅茶だろう。
「暑い寒いにはサイバーになって耐性ついたみたいだけど、ずっと流水の中にいたから気分的にあったかいものが欲しくなったんで。あと、くたびれたんで甘いもの」
「……理屈はあってるような気がしますね」
飛鳥の返答にロビンが横から口を挟み、オーダー通りにココアを用意したクオが舷側から紙コップを差し出した。それを受け取りながら、飛鳥はもう一つの視線に気づく。
「お前はだめ。人には問題ないけどお前には毒になるかもしれないから」
視線の主は鐘木竜だ。飛鳥は犬や猫にはチョコレート系の食品は毒になる、と言う話を思い出したので、鐘木竜に与えることに慎重になったのだ。
「きゅぅ?」
飛鳥の意図が通じているかどうか。鐘木竜は頭を傾けて一声鳴く。
「……」
「きゅ?」
「あー、もう、これでも食べてなさい」
睨み合いにおれたのは飛鳥の方だった。バックヤードから昨夜の試作料理の残りの一つ、アンモナイトのつぼ焼を取り出して鐘木竜に放る。鐘木竜は器用に海面に落ちる前に口でとらえ、殻ごとバリバリとかみ砕いた。
「飛鳥さん、順調に親交を深めてますよね?」
「一緒に泳いでいても私なんか目もくれないんですよ?あの鐘木竜」
「そろそろ個体識別名を決めていただけると良いのですが」
飛鳥が鐘木竜に二つ、三つとアンモナイトのつぼ焼きを投げ与える様子を見下ろす船上では、無責任な会話が交わされていた。
「クオちゃん、こいつら普段何食べてるのかアーカイブに載ってる?」
そこに飛鳥から声がかかった。が、
「申し訳ありません、飛鳥様、姫様より補佐するよう通信がありました。その案件は後程」
クオにとってはアイリスの指示が来た以上、それ以外の事柄は全て些事となる。
「仕方ありませんね。船上に上がります?」
「いや、ここでいいよ。メイフェアさん。水中でもサイレーンボディーなら上にいるのとあんまり変わんないし」
クオが「本来の仕事」に戻ったことで取り残された格好の飛鳥にメイフェアは声をかけたが、飛鳥も気づかい無用、と手をひらひら振って今しばらく波間にたゆたうことにした。
『さて、そろそろ、かな?』
『のはずだが……』
呟くアイリスにムラが応じる。方角はおよそあっているはずなので、経過時間から推定してアイリス等サーペント隊は問題の海底断層にかなり近づいているはずである。
『視界が悪いな。ん?あれは?』
『二式飛行艇の主翼か?』
いつのまにかもやがかかったように霞む視界の中、インセクティア兄弟が海底から斜めに伸びる長大な主翼を見つけた。
『ああ、つまりそういう事か』
『どう言う事だ?アイリスさん』
ひとりごちるアイリスにバズーの質問が飛ぶ。
『片方主翼が折れた状態で沈んだからね。元々重心は前寄りだし、残った各翼やフロートの抵抗やらで、こう、らせんを描くように沈降したんだと思うよ』
アイリスは人差し指を立て、くるくると渦を巻くように沈むさまをゼスチャー付きで解説する。
『ああ、それで海底の砂を』
『そう。真っ直ぐすとんと落ちたんじゃないから海底を滑走する格好で巻き上げて、それで視界が悪いんだと思う』
こういう話だと理解の早いバダーの相槌を受け、アイリスは話を継いだ。
『なら、あのニ式は沈没地点の真下にいるって訳じゃないんだな』
『そうなるね。バズー君。だがものすごく離れているわけでもないはずだ』
ムラは現在地が目標からさほどは離れていない、と推定したが、ニ式の降下ラインは不明なので目印としては今はあまり役立たない。一行はそのまま二式の残骸を横目に直進し、ほどなく目的地に到達した。
サーペントの足元には再びの断崖絶壁。元々日の光の届かぬ深度のうえ、二式の巻き上げた砂埃のせいもあり、崖の底はサーペントの高感度カメラをもってしてもうかがうことはできない。
『30m位の段差になってるって話だっけ?』
『そうだ。アイリス君。下まで降りてみるか?』
『んー、まず、どこまで伸びてるのか調べてみよう』
東西に延びる断崖の規模を調べるべく、アイリスはまず東の端を探すことにした。
『ん?あれ?』
だが、その試みはすぐに終わることになる。100mも辿らぬうちに東端に行きついたのだ。ぱっと見直角に切り取ったように唐突に段差が終わっている。
『天然の構造、には見えないね』
『ああ。西の端もこんななのかな?』
『行けばはっきりするさ。アイリスさん、ムラさん』
『違いないな。バズー』
短い相談の後踵を返した一行が、同様に切り取ったような西端に到達するまでの距離は500m程度だった。
『どうするね?アイリス君』
『……窪みの位置と形を確定しよう。クオ?』
『ただいま。姫様』
『サーペントの位置情報を記録』
『データを記録、保存します』
『少し動くから、追跡して。指示したらそのポイントを記録』
『かしこまりました。行ってらっしゃいませ、姫様』




