サイレーン
「今度は先に言っとくけど、スラスターのコントロールは注意して。浸水に関しては、セサミシードでも耐圧試験はできたからこの辺りの水深なら問題にならないけど、推力はかなり過剰なはずだから」
「チャンドラーでの空間機動ユニットと同じ、ですか」
アイリスの注意に、浅瀬まで戻って水面から上体を起こした飛鳥は、どうしてこの人は過剰すぎると端からわかるレベルまで余裕を持ちたがるのだろう、とひとつため息をついた。
「そ。チャンドラーと違って水深にも礁湖の広さにも限りがあるから、うっかり全力加速とかかますとサンゴ礁に激突しちゃうからね」
「確かにセサミシード内で速度試験が難しいのはわかりますが、そこまで余剰推力を持たせなくてもよろしかったのでは?」
メイフェアの突っ込みに飛鳥はもっと言ってやって、とばかりに頷く。
「どのあたりまで潜れれば十分かもわからないし、外海で危険生物に追われる、とかの緊急時とか考えたら不安になったもので、ねぇ」
「私にねぇ、って言われても。確かにそう思えば速度は出るにこした事はありませんが」
ろくでもない想定を告げられて飛鳥は顔をしかめるが、事ここに至ってはどうせ有り物に付き合うほかはない。
「ま、慣らし運転のつもりでやちゃって?」
「慣らし、ですか」
「慣らしは重要ですよ?飛鳥さん。慣らしもしないで実戦するとろくな事が無いって昔の人も言ってます」
まあ、その昔の人が言うのは正論ではあるだろう。なぜかカリスマだけあって言う事ことごとく信用ならない人のような気がしてならないが。
飛鳥はまずは両手のパドリングだけで十分な深さ--1、6mくらいあれば十分だろうか--まで沖に進んだ。スラスターのハイドロジェットを意識すると、飛鳥の視界に空間機動ユニットとほぼ同じパラメータがオーバーラップする。
「空間機動ユニットと同じでいいんです?先輩」
「大体は。高度じゃなくて深度表記だから気を付けて。高度のつもりで読むとおかしなことになるよ」
「らじゃ」
ボートの上からアイリスが飛鳥に返答した。アイリスもメイフェアもまだサーペントは装備していない。飛鳥がもう少しサイレーンに慣れて速度や行動範囲が広がるか、あるいは何か危険生物と遭遇など緊急事態があれば装備するだろう。
「後、スラスターの位置が違うから大分感覚は違うと思う。バランサーの補正がどの程度が適当なのかわからなかったから、飛鳥ちゃんの主観でいいんで色々試してみて」
「了解です」
アイリスのアドバイスに短く返した飛鳥は水中へと身をひるがえした。
「おおう……」
赤道近くの強い日差しが比較的浅い位置のテーブルサンゴを照らし、鮮やかな色の小魚がぱっと身を躍らせる。
「先輩……と、声出してもここからじゃ聞こえないか」
『どう?飛鳥ちゃん』
素で第一印象を口に出しかけてそれでは会話にならぬことに気付いた飛鳥にアイリスのフレンド通信が届いた。
『きれいですよ、先輩。見る限りヤバそうなのもいませんし、先輩も潜ってみません?』
『このくらいなら素潜りで行けそうだけどね。仕事すませないと落ち着かないし、今はテスト優先で』
『一応魚群探知はしてますが、サンゴの陰に入っていたりすると水上からではわかりにくいですからお気を付けて』
改めて送ったフレンド通信にアイリスとメイフェアからの返信が返ってくる。
『もうちょっとこう、古代生物ー、的なのばっかりかと思ったんですが、案外普通に熱帯魚いますね。あ、あれは三葉虫かな?』
サンゴの上を掌くらいのサイズの甲殻類が意外な速さで通り過ぎていく。
『魚類はもうかなり発展してるんで地球の礁湖と似たことにはなってるって公団は予想してるみたいだよ』
『ですか。じゃ、ちょっとサンプル採取します』
飛鳥は素手でも捕らえられそうな動きの鈍い貝類や、海藻、海鞘などを採取し、そのままいったん浮上した。
「ん?どったの?なんか不具合?」
水面から顔を出した飛鳥にボートから身を乗り出してアイリスが問いかける。
「不具合ってか、採ったものどうしましょう?」
飛鳥は両手いっぱいの採集物を差し出しながら問い返した。
「ああ、ちょい待ち。クオ?なんか網袋みたいなのあったかな?」
「少々お待ちを。……ルナ・アルケニーのカメラターレット用のスパイダーシルクライナーは代用になりませんか?」
「ええと……まあ、ちょっと大きいけど使えなくはない、かな?」
アイリスがクオの助言を受けてバックヤードから引っ張り出したのは、スパイダーシルクでできた半球状のネットで、サイズは直径1m足らずと言ったところだ。網目に適当なロープをくぐらせその場で巾着袋状にする。
「これでどう?」
飛鳥から採集物を回収し、即席の網袋を代わりに手渡す。
「どんだけ集めさせる気ですか?」
飛鳥はうへぇ、という顔で抗議しながら受け取った。
「あり合わせだから大きすぎるのは勘弁ね。適当に目についたのを拾えばいいよ」
「はぁい」
しかたないなあ、と飛鳥は再び潜水した。
『じゃ、ちょっと動きます』
『出力アイドルからね。マシンだけじゃなくて操作感覚の慣らしも気を付けるんだよ?』
『らじゃ』
アイリスの助言を受け、飛鳥がハイドロジェットスラスタの出力をわずかに上げるとゆっくりと前進を始めた。




