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セサミシードとクラークを結ぶ航路は往路標準、復路標準、往復共用の短縮航路の3つがある。
チャンドラー公転軌道はラグランジュ4にあるセサミシードの対フロンティア公転軌道と同じなので、セサミシードからチャンドラーへ向けて加速するのは対フロンティア公転速度の観点では減速することになる。すると、公転軌道はフロンティア基準で若干低高度に遷移してしまい、周回距離が短くなってしまうため減速したのに距離的には引き離して先行する、という事態になる。逆に公転方向に加速して軌道高度を上げ、楕円になった軌道を再加速して修正、しばらく慣性で飛んでいればチャンドラーが追い付いてくる。後は逆加速でそのままチャンドラーの周回軌道に乗り緩降下、クラーク港へ降りる。この方法ならば加速回数が最小限で済み、プロペラント消費が節約できるので交易輸送船と貨客船はもっぱらこの航路を用いる。セサミシードからの往路はもう一つ設定されていて、こちらは発進後、常に軌道修正と加速を続けて強引かつ一直線にチャンドラーを目指す。図面上は簡単に見えるが、高度修正と速度修正をほぼ常時行うことになるのでプロペラント消費が大きく、しかもクルーが忙しい。
チャンドラーからの復路も似た考え方になる。クラーク港には船舶用マスドライバーが建設されており、これを用いてチャンドラー重力圏よりの離脱加速を行うのだが、セサミシード行きの便は公転方向と逆に射出されるので、チャンドラーよりも低高度軌道となる。公転軌道を先行するセサミシードに追い付くタイミングに合わせて加速及び軌道修正を行い、エンゲージ、バンゲリング港へと入港する。初期加速にプロペラントの使用が少ないので、より燃料を使わずに済む。その分積み荷を増やせるが、これは鉱物資源を輸出するクラーク側にとっては好都合となっている。一方短縮航路は速度を上げると高高度軌道に遷移してしまうのでその修正にもよりプロペラントを消費することとなり、セサミシードからチャンドラーへ向かう時よりもより消耗の大きな経路となる。
フィニッシャー級護衛艦一番艦、ハリケーン。
突貫工事ではあるが無事進宙し、艦種と艦名の両方から「仮称」が取れたこの艦は、現在クラーク港へと向かう標準航路にいる。定期便とは時間もずれており、近くに他の艦影はない。初期加速を終え、軌道修正も済ませ、高軌道に遷移した後は事故のない限り慣性航法となり、乗員の仕事は少なくなる。
現在ハリケーンに乗務するのは臨時艦長メイフェア以下36名。うち4名は各部署の教官として公団やセサミシード港湾局より派遣されたNPCで、さらにオブザーバー兼白兵戦教官としてアイリスが乗り込んでいる。訓練を終えて就役すれば教官役は艦を離れることになるので残る30名が当面の正規の乗員となる。これに、艦載機パイロットと支援要員を加えることもでき、それを入れると40名が定員となる。
構成は艦長1。副長1。第一分隊砲術科、7。第二分隊船務科、航宙科、9。第三分隊機関科、8。第四分隊補給衛生科、4。副長は砲術長と兼務となる。21世紀初頭の駆逐艦、護衛艦の乗務員は200名前後だから、その2割の人員で運用できる、というのは相当な省力化、自動化が進んでいると言える。また、21世紀初頭までなら艦長は佐官が普通だが、指揮する人数が減ったことにより中尉、ないしは大尉がその任に付くことになった。副長が少尉、各分隊長は少尉ないしは曹長となる。
艦隊前方にアームに支持されているドラム型のブリッジ内は、およそブリッジらしくはない。サイバー、ないしはザラマンダでの使用を前提にするためコンソールやスクリーンの類が一切ないからだ。おまけに非戦闘時で慣性航法中の現在はブリッジの要員も最小限でいいので余計に閑散としている。だが、それはあくまでも客観的には、の話だ。ブリッジに居る副長のギュンターの目には現在位置とセサミシード、及びクラークに対する相対速度のグラフや周囲のレーダー情報、公団の配信する航路情報などのウインドウが開かれている。新たなウィンドウが開き、補給衛生科のミシェル曹長の顔が映し出された。
「副長、確認です。ブリッジへの昼食は5人分でよろしいですね」
「ああ。俺と砲術科のロメイン、航宙科のジャン、ケニー教官とヒラタ教官の5人だ」
「艦長と総督閣下はそちらにはいらっしゃらないんで?」
「お二人とも予定を変更して席を外された。後で艦内食堂へ行かれるだろう」
「了解です。すぐお持ちします」
人口重力環境を作るにはハリケーンは小さすぎるので、基本的に慣性航法中の艦内は無重力である。食事も無重力環境用のものになっているが、食材のバリエーションはこの半年でずいぶん増えたためメニューも豊かになっているらしい。今日の献立の予定は何であったか、と思ったところでまた通信ウインドウが開いた。
「ギュンター副長、今ヨハンがブリッジへの配膳に出ました。先ほどお話した通り、抜き打ち訓練を開始します」
映るのはにっこりと笑うメイフェアの姿。
「ホントにやるんですか?艦長」
「はい。どうも普段の訓練でアイリスさんや私が相手だと皆さん腰が引け気味ですので」
「多少は加減してやってくださいよ。全員腹ペコでエラー連発なんて御免ですからね」
「善処しますわ。アイリスさんにもそう伝えておきます」
袖口で口元を隠して微笑みつつ答えるメイフェアに今一つ不安をぬぐいきれないギュンターだった。
ハリケーンの船内通路は軍艦としては異例に広く作られている。ザラマンダを着用しての移動が想定されているからだ。なので普通は食事時前の艦内食堂付近とはいえ流れが滞るなどという事はまずありえない。そんなありえないはずの事態が今まさに発生しようとしていた。
「という訳で、諸君。艦内白兵戦訓練だ。銃器の使用は禁止。私たち二人のうちどちらかが納得する立ち回りができた者には食券を渡そう。何か質問は?」
通路の中央には腕組みをしたアイリスが。
そのやや後方に薙刀を携えたメイフェアが。
食堂の入り口に食券の束を持ったクオが。
そして
昼食のために食堂へ向かったクルーの顔には絶望が浮かんでいた。




